年齢制限なし。残虐な王の話と、暴力が支配する町の話
19世紀末から20世紀初頭にかけてバイエルンの王位に就いていたオットー王は精神を病んでいたらしいです。
オットー王は家具の中に霊がいると信じていて、時々引き出しを開けては、数時間にわたって一人で話し込んだりしていたそうです。
でも、実際の政務は大臣達が執り行っていたので国政にはあまり関係がなく、お飾りの国王でいる限りは問題はなかったらしいです。
しかし、オットー王は、国王の真実の姿を国民に知られることを恐れていた周囲の人間達によって王宮内に監禁されていました。
それというのもオットー王には半ば義務として考えていたと思われる、危険な趣味があったから、らしいのです。
それは、毎朝農民を銃殺することです。
オットー王は起床すると王宮内の庭にある“いつもの場所”に待ち伏せ、毎朝“なぜか”同じ場所に来る農民らしき人物を見つけると王宮に侵入するという不敬を働いたとして、護衛官からライフルを受け取るとその農民らしき人物に狙いを定めて銃の引き金を引きます。
銃声が鳴り響き農民らしき人物が倒れると、オットー王は満足して、ありもしないその日の政務を勤めたそうです。
でも、実は護衛官からオットー王に渡されたライフルには空砲が込められていて、撃たれた農民らしき人物も別の護衛官が農民に扮していただけで、空砲の音を聞くと死んだふりをしていただけだったらしいです。
文字通りの宮仕えの人は本当に大変ですね。
以前、繁華街に行ったときに終電を逃してしまってネットカフェに泊まったことがあるんですよ。
個室に入って寝ようとしたんですけど、空腹で眠れないから近くにあるコンビニに行って、弁当を買おうと思って真夜中にネットカフェから外出したんですね(持ち込み自由なネットカフェでした)。
そうしたら、真夜中の繁華街はさっきまでの雰囲気とは違って、怖そうな人達が街のあちこちにたむろしてて、外国人らしき女の人にも声をかけられたりして、スゴく怖かったです。
やっぱり怖いのはフィクションの中だけで充分だと思います。
しかし、それでも被害者になるのは嫌だけど、好奇心で怖いところに行ってみたいと思う人は一定数いるみたいですね。
アメリカのネヴァダ州にあるパリセードという町は1870年代に、連日のように起こる暴力的な事件と、その事件を報道する大都市の新聞によって「シカゴ以西で最も危険な町」という異名がつけられました。
例えば、汽車に乗っていてパリセードの町の駅についたとして、汽車の座席に座り続けていることに疲れた乗客が、次の出発時間まで駅に降りて体を休めようとします。
すると、二人のガンマンがその乗客の目の前で銃を抜き、撃ち合いを始めます。
乗客は恐怖と驚きで体を地面に伏せ、再び撃ち合っていた二人を見てみると既に決着がついていて、一方のガンマンは地面に倒れ、勝者となったガンマンはその場に立ち尽くしています。
その後、撃ち合いに決着がついたのを見計らっていたかのように町の住人が倒れているガンマンの体を、葬儀屋と思われる場所へと沈痛な表情で運んでいきます。
乗客は急いで汽車の中に戻り、早く汽車が次の駅へと出発してくれるようにと願います。
そして、汽車が動き始めると乗客は自らの幸運を神に感謝し、得難い経験をしたと思います。
多分、乗客は地元に帰るとパリセードで起きた出来事と、そこから生きて帰ってきたことを武勇伝のように周囲に語ったことでしょう。
また、別の乗客達はさらに残酷な光景を目撃することになりました。
パリセードに汽車が停車しているときに、銀行強盗が発生して保安官助手達が強盗団に向けて発砲すると、熾烈な銃撃戦が始まりその争いは駅前にまで飛び火してきました。
すると、どこからともなく馬に乗ったインディアン達が現れ、ライフルを使って、保安官、強盗、男性、女性、子供見境なく虐殺していきます。
乗客達が恐怖に襲われている最中、なんとか汽車は出発していきました。乗客達はきっと九死に一生を得たような気持ちだったでしょう。
この乗客達も家に帰ったあと自分達に降りかかった危機について、周りに吹聴したことでしょう。
まあ、全部お芝居なんですけどね。
実は、パリセードの駅前で行われた銃撃戦で使用されていた銃には、全て空砲が詰められており、実弾は一発たりとも使用されていませんでした。
撃たれたはずの人間が流していたと思われた血は町の肉屋から牛の血を仕入れてたのを使っていただけでした。
最初のガンマンの撃ち合いも、次の虐殺騒動も駅に停まっていた汽車が出発して町から見えなくなったら、撃たれたはずのガンマンや虐殺されたはずの人達も立ち上がって、互いに笑い合いながら労をねぎらいあったりして、みんなで駅前を掃除してたりしてたそうです。
一応、言っておきますが銀行強盗もお芝居です。
それでは、なんでパリセードの人達はこんな手間のかかるお芝居をしていたのかと言いますと、「町おこし」のためです。
元々パリセードはただの汽車の給水地と牧場があるだけの人口およそ290人程度の遅々として発展しない田舎町でしかなかったんですけど、町を活性化させるために、手っ取り早く町を有名にしようとして、このようなお芝居をすることを話し合いで決めたそうです。
東部の新聞は、パリセードの治安を回復させるために町役場に訴えかける記事を掲載しましたが、町中の老人から赤ん坊までもがグルな上に、地元の軍隊や地元のインディアン達までもが、この企みに加担していたため、その訴えは徒労に終わりました。
時には、パリセードの住民達は汽車の時刻表に合わせて、1日に5回も、この血なまぐさいお芝居をしなければいけなかったそうです。
これによって、町は住民の希望通りに西部一有名になり、パリセードは活性化しました。
お芝居の方は3年ほど続きましたが、古き荒々しい西部劇の時代から近代化の波が押し寄せることによって終わりを迎えました。
ちなみに、本来のパリセードは保安官すら必要としないくらい平和な町だったらしいです。
それにしても、目的意識が一致していたのかもしれませんが仲がいい町ですね。