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第2話「0」

 時計の針が完全に12時を回ったことを確認し、大きくため息を吐いた。


Xデイ−X is the day− 第2話「0」


 これで全て終わってしまった。僕は結局、自分の母と妹を殺した相手に対し何の反撃も見せることができなかった。やりようの無い悔しさが頭の中を支配した。その悔しさは次第に体全体を支配し、自然と腕が震えた。

 ブルルルルッ

 その時僕の携帯が振動した。ここまでタイムリーにメールをよこしてくる奴なんて…と思ったが、とりあえず体を起こした。僕が今こういう状況に立たされていることを知っている人間は、警察や検察、裁判所などの人間を除けば3人しかいない。父と、近所に住む昔からの親友の拓海と、彼女の花腰 円。メールは花腰からだった。彼女は少し間の抜けた所もあるがとても優しく、常に僕のことを心配してくれていた。この時のメールもなるべく直接的な単語は避けながらもとにかく僕のことを心配してくれている言葉が並び、僕の心にほんの少しの安らぎをもたらした。

 僕はメールの返事は出さずにそのメールを何回も読み返した。読み返すたびに、少しずつ気持ちが楽になってゆくのを感じた。5回程読み返してから、僕は再びベッドに体を投げる。花腰のおかげで随分と心が安らいだ気がする。今度何かお礼をしなくちゃな…等と考えていると、今度は家の呼び鈴が鳴り響いた。

 「誰だよ……」

 これには流石に腹が立った。変わらずベッドに横になったまま、玄関の方に背中を向ける。出る気分にはなれなかった。すると再び呼び鈴が鳴り響いた。

 「…………」

 重い体を起こし、玄関の方へと進む。

 父は勿論鍵を持っている。拓海か花腰か…いや、それも無いな。なら警察とか検察…などと考えながら覗き穴から外を覗くと、案の定知らない顔だった。チェーンを掛けてから鍵を開け、扉を開く。そこに立っていたのは両手を体の前で結んだ中年の男性だった。

 「?」

 警察の人かなと思ったが、警察手帳を提示する様子もなかった。不思議に思った僕が「あの」と声を掛けるより少し早く、男性が話し出した。

 「初めまして。こんな夜遅くに申し訳ないね…、話があるんだ。中に上がらせてもらってもいいかい?」

 僕は一瞬戸惑い、そのまま話す。

 「いや、そんなこと急に言われても…」

 当然だ。いくらなんでも怪しすぎる。僕は非難の意のようなものを込めた目で相手の顔を見たが、男は諦める様子を見せなかった。

 「無礼だということは充分承知しているんだが……どうしても今話したいんだ」

 その声からは熱意と思しきものすら感じられた。こんな時間に訪ねて来て一体何の話があるというのだろうか。その時僕は未知の男に対する興味も持ち始めていた。

 しかし、それでもこんな真夜中に見知らぬ男を家に上げるという事は軽々しい事ではない。僕は警戒心を解かなかった。

 「そんなに時間はかからないと思うからさ。頼む」

 僕は男の顔や服装、足元などに目をやった。まあ…誠実そうな男だ。男の態度を見ても、敵意は無いように思えた。

 「君のお母さんと妹さんのことについてなんだ…」

 男は息をのんでそう言ったが、そんなことは分かっている。このタイミングで家を訪れるなんて、それ以外には考えられなかった。しかしその言葉が決め手となり、僕は男を家に上げる事にした。

 家に入ると僕は男の名刺を受け取った。それを見て、男は岡本信二という名前であり近くの会社に勤めていることを知る。まあ、いずれも真実かどうかはわからないが……。僕たちは居間のテーブルを2人で挟むようにして椅子に座り、岡本が話し出すのを僕は待った。

 「あの…今日はお父さんは?」

 「仕事です。まだ暫くは帰ってこないと思います」

 「ああ、そっか…」

 岡本はそれきり軽く俯いたまま黙り込んでしまった。しばらく沈黙が流れる中、僕はたまたま岡本の額に少しだけ汗がたまっているのを見た。

 「?」

 なんだ?この男………。

 僕はこの岡本という男が何者かという事にももちろん興味はあったが、今はそれよりもさっさと立ち去って欲しい気持ちで一杯だった。こいつ、僕が今どんな心境なのか知っているのか? いや…、だからそれは知っているか。僕は頭の中で自問自答を繰り返した。

 相変わらず岡本は黙り込んだままだった。呆れた僕は椅子を立ち上がる。

 「麦茶でいいです?」

 沈黙を破る意味と、岡本の額にたまっている汗を見かねたのとがあった。しかし、岡本は反応を示さない。僕は岡本を無視して背中にある戸棚から2人分のコップを取り出そうとした。その瞬間

 「すまん!!」

 突然の怒声にも似た大声と、何かをテーブルに激しくついた音とが同時に響いた。驚いて振り返って見ると、岡本は額をテーブルについていた。ああ、やっぱり警察の人か。僕はそう納得した。

 「気にしてないですよ。元々難航を極めた捜査でしたし、あなたにだけ謝られてもしょうがない」

 もちろん、事件について気にしていないはずはなく、殺人事件の公訴時効を成立させておいてしょうがないもなかったが、岡本の誠意に免じてここはそう言っておいた。何より、早く一人になりたかったし…

 「とりあえず、麦茶飲んだら帰って下さいよ。そろそろ父も帰ってきますし」

 さっき父はまだしばらく帰って来ないと言ったかな、と思ったが、まあいいかとすぐに考えるのを止めた。僕は戸棚からコップを1人分だけ取り出し、今度は岡本の背中にある台所へと進んだ。コップをまな板の上に置き、冷蔵庫から麦茶を取り出す。しかし麦茶をコップに注ぎ出した時、僕は自分の耳を疑った。


 「俺が殺したんだ」


 麦茶がコップに注がれる音だけが部屋に響く。



 「俺が…15年前、君のお母さんと妹さんを殺した」

 頭の中が、かつてない程に混乱した。

 「15年前…俺がここで、君のお母さんと妹さんを……」

 体中が火照ってゆくのを感じた。体の底から興奮が突き上げてくる。この男が、僕の母と妹を…? 頭が熱い。腕が震える。足が痺れる。

 「本当に……申し訳ない」

 その言葉を聞いた時、僕の体は一転して驚くほど鎮まった。というより、体中が麻痺したと言う方が近いかもしれない。

 申し訳ないだと? ふざけるな……

 頭が冷たい。僕の頭は最早正常には機能していなかった。視界が回る。足が震える。まともに立っていられない。思わず体勢を崩し、流し場に左手をついた。

 少しの時間を掛けて頭を落ち着かせる。次いでガンガンと痛み出す頭を手でおさえながら顔をあげると、その視線の先には、ちょうど包丁が立てかけられていた。

 「…………………」

 朦朧とする頭でそれを見つめる。手を流し場に置いて体を支えながら、岡本の方に体を向けた。岡本は未だ額をテーブルにつけている。

 「真意は……? お前の話が本当だって、どうやって証明する!?」

 自然と声が荒いでゆく。30歳近く年の差があるであろう男を平然とお前呼ばわりした。

 「本当に…本当に申し訳ない」

 捨てかけていた憎しみが、ふつふつと沸き上がる。

 「証明する方法はない。証拠となるものは全て事件後に処理したからね…。だが、本当なんだ」

 「………………」

 岡本はいまだに額をテーブルにつけていた。僕は元々いた位置から反対側に来ていたので、岡本の頭は僕の方には向いていなかった。無防備な背中が僕の目の前に晒け出されている。

 もはや冷静な思考判断が行えなくなっていた僕の頭は、岡本が僕の母と妹を殺した人間だと信じて疑わなかった。

 右手を伸ばし、包丁を強く握り締める。

 ゆっくりと左手を流し場から離した。今まで左手が感じ取っていた、ステンレス製の流し場が持つひんやりとした感覚が無くなる。

 「申し訳ない……本当に……」

 岡本がその言葉を重ねる度に、僕は心の中の憎悪が大きく膨らんでゆくのを感じていた。いつまでも体を起こそうとしない岡本の姿を眺め、その背中に憎しみを込める。しばらく岡本はピクリともすることは無かったが、僕が岡本の方へ歩を進めようとするとギシッと床が軋んだ。次の瞬間、岡本はその体を起こそうとした。

 再び体が熱くなった。何かが背中を押すように僕は一歩で男の元へと近づいた。


 僕は力の限り右腕を振り下ろした。生々しい音と共に、ナイフが深く突き刺さる。

 「ぐあっ……!!」

 岡本が悲鳴を上げる。僕はその聞くに耐えない悲鳴を考えない様にしながら更にナイフを体の奥へ突き刺す。

 「がっ!!」

 僕が更に力を込めた所で岡本の体を支えていた両手に限界が来たのか、岡本は音を立ててテーブルに突っ伏した。

 じんわりとテーブルクロスが赤く染まってゆくのを見ると、男の命がどんどんと薄くなっていくのを理解した。

 しかし、死なない。男は完全に絶命してしまう様子は見せず、それどころか右手を後ろに回して包丁を掴もうとしてきた。その一瞬僕は焦った。しかし冷静に包丁を引き抜き、もう一度それを高く掲げた。男の聞くに堪えないうめき声を全て断ち切るように、僕はもう一度、力の限り包丁を振り下ろした。今までの憎悪の全てを込めて。





 僕は体中の力が抜けたようにその場に座り込んだ。目の前には、完全に力尽きた母と妹の仇の姿があった。

 「はっ…はっ…」

 改めて自分のやってしまったことを認識し、鼓動が激しくなる。今目の前に倒れている人間は、僕が殺したのだ。僕は途端に恐くなり、体を縮めて蹲った。

 しかしその一方で、母と妹の仇をとったという達成感のようなものもあった。僕はやったんだ……母や妹、父の無念を晴らしたんだ……。そう考えると不思議と恐れは引いていき、冷静に今僕が立たされている状況を客観視することができた。

 僕がこんなことをするなんてな……捕まったらどうなるんだ……人生が駄目になってしまうのだろうか……そんなことを考えていると、そもそもこの岡本信二という男がどういう状況にあったのかを思い出した。

 「………………」

 僕は一度顔を腕に埋め、少ししてまた顔を上げた。


 「15年か…………」


 この瞬間、気の遠くなる程に長い孤独な戦いが始まった。

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