第11話「2008,9,23」
そうだ……どうして今までこんな事に気が付かなかったんだろう。
人を殺すという事は、人を殺すという事だ。
安原には、家族がいた。それも死の直前までその身を案じてしまう様な、愛すべき家族が。その家族にとって僕は岡本と同じだ。残虐に家族を奪い、残された者に絶望を与える……そんなどうしようもない殺人鬼。
僕は安原の最後の願いを叶える事で、精一杯の償いをしよう。
Xデイ−X is the day−第11話「2008,9,23」
安原の死体は未だ森の中に埋まってある。恐らく、このまま放っておけば何十年経とうと発見される事は無いだろう。僕はそういう場所を選んだ。
しかし、それじゃ駄目なんだ。安原の最後の願い…自らに掛かっている生命保険で残された母と娘を救うという願いを叶えてやるには、わざと死体を第三者に発見させ他殺に見せかける必要がある。
「……やってやるよ」
僕はあの夜ビリビリに破った紙に記されていた安原の連絡先を記憶の断片から引っ張り出し、それを新たにメモ帳に書き記そうとした。
「いや……待てよ。これは安原の携帯番号じゃないか。自宅の番号じゃなきゃ意味が無い」
いきなり行き詰った。殺人の事実を家族に伝えようにも伝える方法が無い。まさか警察に通報する訳にもいかない。僕は小さく舌を打ち、今度は部屋の机の引き出しから安原の名刺を取り出した。
『労働者派遣事業 ジョイントワーク 安原哲司』
僕はもう一度舌打ちをした。あの年で妻子持ちで派遣社員かよ……と心の中で罵倒する。
(住所は……厚木市…………)
車で約1時間の処に位置するジョイントワーク社。
(行くしかないか………)
僕は溜息を吐いて立ち上がり、車のキーを握り締めた。
駐車場の一番奥……二人の男を地獄へと送り込んだ僕の車は、何事も無かったかの様に佇んでいる。僕はなるべくそのトランクを見ないようにしながらキーを鍵穴に差し込む。中に乗り込むと僕は言いようの無い不安に駆られ、エンジンをかけるのを躊躇った。
(やめろ……何も無い。何も考えるな………)
岡本を殺した以後、二日間に渡り二人の死体を運び続けた車は、確かに僕にしか分からない禍々しさを纏っていた。
目を瞑ったままキーを回すとエンジンがかかり、車体が微かに振動し始める。
(……なんだ………。昨日は何とも無かったのに…………)
汗が噴出し、鼓動が波打つ。僕は確実に怯えていた。
(バカな……くだらない事を考えるな。霊や死人の魂など存在しない……!)
アクセルに乗せた右足に力を入れると車は動き出し、静かなカーブを描いた後そのまま駐車場を後にした。
暫くして僕を乗せた車は大通りに入り、次第に辺りの通行量が増えてくる。しかし運転自体は平穏を保っており、車は順調に目的地へと向かっていた。
(落ち着け……大丈夫だ。冷静になれ………!)
ハンドルを握った両手には自然に力が入り、一度は乾いた額が再び汗をかき始めた。
(………………)
フジマチヤシロ………………
「えっ?」
確かに何かが聞こえた気がした。僕は後ろを振り返る。
ヨクモ殺シタナ………………!
「うわっ!!!」
僕は思い切りハンドルをきった。車はその場で90度方向転換し、車体が大きく傾く。
「!!!」
前方の車が予期せぬ行動に出た事で、その後方を走っていた車との距離が急激に狭まる。
「ひっ!!!」
後続車は寸での所で急ブレーキをかけ、耳を劈く不快音と共に激しくタイヤをすり減らしながら停止した。それに次いで二台目、三台目、四台目と、後方に続く十数台の車がそれぞれギリギリの所で停止する。
「………はっ………! はっ……………!!」
僕はタイヤを握り締めたまま固まっていた。極端に肩を窄め、限りなく体を小さく纏めた体勢のままただ前方だけを見つめている。
(なんだ今の声は……………!)
必死に後ろを振り返ろうとするが、首が回らない。恐怖心が僕の体を抑え付け、後ろを振り返る事を許そうとしない。
「はっ………! はあっ………!」
僕は後ろを振り返る事は諦め、バックミラーに目をやろうとした。頭を微塵も動かさず、左右の黒目だけを上へ移動させる。
後ろには何も無い。
(………………)
「コラア!! テメエ降りて来い!!!」
激しくウィンドウを叩きつける打撃音と共に罵声が飛び交う。後続車に乗っていた人々が車を降り、事の発端である僕の車の所へとやってきたのだ。僕の車の周りには既に数十人の野次馬や被害者達が集結し、僕が車を降りるのを待っていた。
「………………」
僕は微動だにせず、ただただ前方だけを見つめていた。
「おい! さっさと降りろや!!」
「………………」
僕は一度目を瞑り、そしてドアを開けた。そこで待ち構えていた金髪の男が僕の胸倉を掴むのとどちらが早いか、僕は怒声を上げた。
「おいガキ!! テメーどこ歩いてんだオルア!!」
「!!?」
予想もしていなかったであろう展開に、僕の胸倉を掴んでいる男は目を点にして固まった。
「くそっ、どこ行きやがったあのクソガキ!!」
「えっ?? 何? 何?」
僕の胸倉を掴んでいた腕は自然と解け、一歩二歩と僕から遠ざかる。
「くそっ!!」
僕は地面を思い切り蹴りつけ、そして少しして我に返った様に周囲に目をやった。
「ああ、すいません。急にクソガキが飛び出してきやがって。急ブレーキをかけました」
「…………あっ、ああ………。あ〜、あ、な、ならしょうがないな! お、おい、いこうぜ!」
金髪の男は傍にいた男を連れ走り去ってしまった。それを見て他の野次馬や文句を言おうと待ち構えていた者達も続いて車へ駆け足で戻る。
「………………」
僕は誰一人として僕に敵愾心を送る者がいなくなった事を確認し、最後に車に戻った。
「………………」
運転席のシートに背をかけた瞬間、僕は背とシートの触れる部分が余りにも濡れている事に驚き、背をシートから離す。
それは汗だった。