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009.崩壊

 ――力が欲しいか?


 キリヤが次に感じたのは、ひたすらの闇。あたり一面が真っ暗で、魔石の首飾りが光り、自身の姿は確認できる。例のぼろい白のシャツと茶色のズボンをはいた格好だった。そして、どこからともなく声が聞こえる、妖艶な雰囲気の女性の声。


「欲しいっつったらくれるのか?」


 なんとなく返事をしてみる。すると闇から女性の姿が浮かび上がる。脇には人間の五倍ほどもある上裸の大男を従えており、キリヤはびくりと体を震わせる。


『この程度の眷属、恐れるでない。貴様はこの眷属サタン、あるいは大魔王である私をも凌駕する力を持つ』


 納得できなかった。当たり前だ。何故なら、エリアスたちに殺されかけた記憶は鮮明に焼き付いていて、そんな力があれば三人になんて負けはしなかったはずだ。


「俺にそんな力はなかったんだが。納得できねえな。それに大魔王だ? いったい何の話だよ……」


 自分の少しの苛立ちに反応したのか、サタンと呼ばれた大男が跪く。その身体は震えており、大男が自分のことを恐れていることが分かるほどだ。


『ああ。納得もできないであろう。大魔王のくだりも今は忘れてよい。だが、力が現れるのは、立志の儀式にて貴様がホフランドの大樹の枝に触れた後からだ。これを忘れるな』


 ふとキリヤは、日本にいた頃の異世界小説の定番を思い出す。


 大体のパターンとして、異世界に転生、転移させられた人間はそれぞれチート級の能力を持つのがお約束だ。お約束通りなら、このシチュエーションはそのフラグとしか考えられなかった。


 大魔王が想像もしていないだろうベクトルからなんとなく話を理解したキリヤは、言葉を返す。


「で? その力の代償は何なんだ? あんたが大魔王だってんならそれなりの見返りを求めるだろう?」


『ほう。理解が早いな。気に入ったぞ』


 大魔王がまたしても妖艶な笑みを浮かべる。


『代償などない。その力はもともと貴様に宿っていた才能だ。もしその才能を気に入り、真に生かしたいならば「崩壊した文明」を訪れよ。私はそこで君を待つ』


 言い残して消える大魔王とサタン。その刹那あたりは光に包まれ、キリヤは意識が戻るのを感じた。



  ◇  ◇  ◇



「ああ、またこれか……」


 目を開くと、見覚えのある天井。少なくとも一度は見たことのある天井、すなわちベッドの天蓋である。


「あ、キリヤ様! ようやくお目覚めですね!」


 ほどなくしてルカの声が脳内に響く。その方向を見やると部屋の掃除をしていたルカと目が合った。


 刹那、襲われる恥ずかしさ。かつての桐山光輝中二病全盛時代でも見なかった痛々しい夢を見てしまった事実、夢の中とはいえノリノリで大魔王とやり取りをしていた事実に、一人勝手に悶えるキリヤだった。


「えっと……どうされました? キリヤ様」


「思い出したくもない黒歴史を思い出して死にたい」


「記憶が少し戻ったんですね! よかったじゃないですか!」


「全然よくねえよ……」


「あはは。ところで、キリヤ様が目覚めたらヴァレッタさんが言いたいことがあるって言ってましたので、呼んできます」


「えー……起き抜けにあの人か……」


「そんな露骨に嫌な反応をするな」


 ヒイッと声にならない声をあげてしまうキリヤ。またもヴァレッタが無音で扉を開き、立っていた。再度、ババアノックしろよ! とキリヤは再び心の中で叫ぶ。


「貴様。今何か失礼なことを考えたな」


「い、いや……大したことじゃないっす」


「まあいい」


 ヴァレッタは部屋に入り、ベッドから体を起こしたキリヤと正対できる位置に椅子を置き、腰掛ける。


「受け取れ。好物だと聞いた。ひとまずは食え」


 言いながらヴァレッタが投げたのはプアルの実。リンゴに見た目も食感も激似のエネルギーがあふれる食材で、アリサに二日酔い解消のために食べさせてもらってからの好物だった。キリヤは反射的に右手でプアルの実を受け取る。


「あれ? 右腕が治ってる……だと?」


「アリサ様が三日三晩寝ずに治療なさっていたからな。感謝しろ」


「え? どういうことっすか?」


「ああ。今日で立志の儀式まであと三日。貴様は私が見つけてから四日間、ずっと眠っていた」


 立て続けに情報を与えられ整理しきれないキリヤ。


「えっと……あの、さっきまでエリアスの連中と魔剣士の鍛錬してたはずなんですが」


「そうだ。その時私が右腕を折られ、糞尿をまき散らし気絶している貴様を発見した。まあ想像はついている。あの三人にやられたんだろう?」


「ええ、まあ」


 言いながらプアルの実をかじるキリヤ。一口で甘みが口いっぱいに広がり、お腹からエネルギーが沸き上がるのを感じると同時に、空腹を認識する。三日三晩飲まず食わずだったのだ。キリヤのお腹が盛大にぐうううううと鳴った。


「あ、キリヤ様。食事の準備をリコ姉さんにお願いしてきます」


「ルカ。素晴らしい気配りだ」


「ありがとうございます!」


 部屋を出る際にキリヤとヴァレッタに一礼し、ルカは立ち去る。


「それで、だ。その件に関してはひとえに私が悪かったと思っている。すまなかった」


「あ、いえ……」


 いきなり想定外の事態に陥ると人間は何もできなくなってしまうという。キリヤもヴァレッタから謝られるとは思っておらず、あんぐりと黙り込むことしかできないでいる。


「その……僕が弱すぎるのがいけないんです。弱い奴は黙って泣くことしかできないって、誰かが言っていたのを思い出しました」


「そうだな。私が魔剣士だった頃、数多くの戦友たちを亡くしてきたが、ことさら弱い奴が死ぬときは泣き叫ぶことしかできなかった」


 ヴァレッタは鋭い視線をキリヤに向ける。その視線はそれでも貴様は魔剣士の道を行くか、と問いかけているようだ。


「……記憶をなくしても、身体は嘘をつかん。貴様が盾一つ持てなくとも魔剣士を目指すと言うなら止めはしない。私は今回の件で貴様に多少の申し訳なさを覚えているが、決して貴様を信頼したわけではない。むしろ貴様が何者なのかまた深く興味を持った。無論、悪い意味で、だ。貴様が魔剣士になって死んでしまっても、私は一向にかまわん」


「あ、そ、そうですか……」


 鋭さを増したヴァレッタの視線に、またどもりがちになってしまうキリヤ。


「……鍛錬はあれ以来儀式まで中止になっている。エリシオン家の長男は他領土に出向くと聞いた。アリサ様は……ひどくお疲れになっている。貴様が現れたせいで今年の魔剣士候補はボロボロだ。例えば貴様が『崩壊した文明』から送り込まれた刺客であっても、何の違和感もないわけだ」


「『崩壊した文明』って……何のことですか?」


 キリヤは吃驚していた。夢と現実がリンクしたのだ。心臓が高鳴り、恐怖に襲われながらヴァレッタに問いかけた。


「……話にならんな。すまない、邪魔をした」


 ヴァレッタはキリヤの問いに答えることもなく、部屋を後にした。


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