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002.召喚

 茶髪の女性が崖から飛び降りる。

 

桐山光輝は右手を伸ばし、彼女の右腕を掴む。


 ――離して。私はもういいの。


 泣きながら、そう叫ぶ。女性は後期の右手から逃れようと暴れる。その20メートルほど下まで、陸はない。


 光輝は返答する。自分でも何を言っているか分からなかったが、怒鳴るような大声で言った。


 女性ははっとした表情になり、暴れるのをやめた。



◇ ◇ ◇



 桐山光輝は目を覚ます。変な夢を見たなあ、と起き抜けに思う。


 次いで取り戻した五感で感じる土の匂い、風のせせらぎ。太陽の温かさ、野鳥の鳴き声。そのすべてに違和感を覚え、光輝はがばっと上体を起こした。


 前方には森が広がっており、光輝の寝っ転がっていた地面は舗装されていないまでも整地されており、何かしらの歩道になっているのは分かる。


 問題はなぜ光輝がこんな野外で寝ていたのか、というところだ。


 桐山光輝という存在は、五文字で表すならばヒキニートの一言で片付く。高校に入学したものの、ろくに学校にも行かず、バイトにも精を出さず、部活もしない。一日中ネット小説を読みふけっているような男。

それが桐山光輝だ。


 光輝はそのまま頭を抱えた。なんだこれ。何が起こっているんだ。ここどこだよ。自宅で昼間から寝て起きたら野外とか夢遊病者かな? あらゆる考えが光輝の脳内を逡巡する。


「目は覚めた?」


「ふぇ?」


 背後からの女性の声。他人と話すのは何か月ぶりだろうか、間抜けな声を出してしまう光輝。


 声のほうを振り返ると、茶色の長髪を風になびかせる美少女が、崖の手すりに寄りかかって立っていた。黒く澄んだ瞳に真っ白く澄んだ肌。控えめなボディラインはむしろ彼女の美しさを際立たせ、比較的高い身長でありながら華奢な体格は言いようのない可憐さを醸し出す。美しすぎる光景に息を飲む光輝だったが、女性の次の発言に光輝のスイッチが入る。


「ようこそ、ホフランド王国マッケンジー領へ」


「そうか……俺、死んだのか。確かに後悔ばかりの人生だった」


「いいえ、あなた生きてるわよ?」


「……天使ちゃんと戦ったりしないの?」


「あなた、魔族にでもなるつもり?」


「……神様への抵抗は?」


「物騒なこと言うのね」


 光輝の大好きな某死後の世界で好き放題やって憂さ晴らしして次の人生に旅立つアニメと全く同じ展開だったのに、話してみると全くそうではなかった。


「大丈夫? 私を助けてくれた時に頭を酷く打ったから、なにか混乱しているのかも……」


 美少女は言いながら手すりから離れ、光輝の目の前に跪く。


「ちょ、近……」


「安心して。何か状態異常にかかっている、ってわけではなさそうよ」


 言いながら美少女は光輝の左頬に右手を当てる。


「ちょちょちょ……あんた何なんですかねえ?」


 慌てて少女から離れる光輝。少女はきょとんとした顔で立ち上がった光輝を見上げていた。


「私? 私は……アリサよ。念のため、回復魔法をかけてあげようと思って。あなたは?」


 にこりと笑ったアリサの笑顔が素敵すぎて。思春期かつ引きこもりの光輝はどもりにどもった。これ以上ないほどに歯切れ悪く、噛みに噛んで名乗ってしまった。


「き、き、キリヤ……キリヤ。キリヤ……もうキリヤでいいです」


 桐山光輝、と名乗るのを途中であきらめてしまう。



「キリヤでいいってどういうこと? ひょっとして家名持ちさんですか?」


 くすくす笑いながらアリサが立ち上がり、また光輝、改めキリヤの左頬に右手を伸ばした。


「い、いや……キリヤ。ただのキリヤ」

 

 某兵士長の幼少期を思い出し、家名がないアピールを兼ね、改めて名乗る。そもそもが偽名なのだが、変にフルネームを名乗るより『キリヤ』という名前のほうが変な詮索もされないだろう、と光輝、改めキリヤは考えていた。


「……そう。じゃあキリヤ君、少しじっとしててね」


 アリサは言うと、瞳を閉じ、ぶつぶつと何かを唱え始めた。


「神よ、精霊よ。この世を統べる、正しき理よ。癒しの風をこの者に与えたまえ」


 それは、体験したことのない感覚だった。まさしく癒し。キリヤが感じていたのは、疲れとか痛みとか、ストレスと言った肉体的・精神的な痛みが、アリサの触れる頬からすーっと抜けていく感覚だった。


「なにこれすごい」


「なにって、ただの魔法よ? キリヤ君も魔石の首飾りをつけているんだから、別に初めてではないでしょう?」


 言われて初めて気が付く自分の服装。中肉中背、顔面平均点のキリヤが身に着けていたのはボロボロの白の長袖の上着に、またボロボロの茶色のズボン。生地もよくわからないが着心地は悪くなかった。


 アリサの言う首飾りは、真ん中の石が一番大きく、左右両端のものが一番小さい、ほぼ左右対称のものだ。


 意識して見ると、アリサもキリヤと色合いとしては同じような服装だが、しっかりとした上着にズボン、そして同じような形の首飾りをしていた。


「えっと……この首飾りって……それに魔法って言われてもいきなりすぎて何が何なのかわけわからないんですけど」


「え」


 瞬間にアリサの表情が凍り付いたのが分かるくらい、彼女は動揺していた。


「……えっと、魔剣士候補の人が魔法を知らないなんてありえないわ……ありえないはず……そうだ。あなたの家はどこ? どこから来たの?」


「分からない。強いて言うなら、あんたがそこまで動揺する理由も分からない」


 まさか日本から来ました、なんて言っても通じないか頭のおかしな人だと思われるのがオチだと思ったので、分からないと答えておいた。日々の日課だったネット小説読み漁りが実を結ぶ。


「つまりあなたは記憶喪失?」


「ということにしてくれると非常に助かる」


「覚えてる最後の記憶は?」


「あんたを助けたのはなんとなーくだけど覚えてる」


「うーん……やっぱり打ち所が相当悪かったのかしら……」


「いやほんともう何があったし……色々と」


 キリヤの本音だった。


 毎日変わらないヒキニート生活。異世界に転生するネット小説を読み漁り、親が小言と一緒に持ってくる飯だけを食って寝る。いつからだったか、それだけの人生になり果てていたが、気が付いたら目の前に美少女がいて、なんかフラグが立っていて、魔法だって使っている。


 ミイラ取りがミイラになるとはよく言ったものだ。どうやら自分自身が異世界に来てしまったらしいと、キリヤはこのころにはもう悟っていた。


 いや、偽名を名乗った時、どこから来たのか聞かれたときにはもう本能レベルで分かっていたのかもしれないな、と考えると、自分でもあきれた笑いが溢れ出す。


 俺は日本に未練がなさすぎるだろ。適応力抜群か。そんな考えから湧きだした、乾いた笑いだった。


「あなた……キリヤ君がね」


 何があったし、の問いかけに間をとって答えるアリサ。


「キリヤ君が……私を助けてくれたの。崖から飛び降りようとした私の右腕を掴んでくれた。そして、励ましてくれたの。覚えてない?」


「……ごめん。残念ながら」


「あ、いいのよ。これから思い出してくれれば……こっちこそごめんね」


 慌てて謝るアリサに、自分も申し訳なくなり視線を外してしまうキリヤ。


「それでね、あなたは私を引っ張り上げた時に勢い余って転んでしまって……頭を地面に。で、そこまでしてくれて、助けてくれてありがとうって言いたくて、起きるまで待ってたの」


「そんなことを俺が?」


 考えられなかった。自分はただのヒキニートである。


 そんな自分が必死に誰かを助けたのが信じられなかった。夢だと思っていたことが事実であるとするならば、どうしてそうなったのか想像もつかない。


「うん。私、本当に助かったんだからね。ありがとう!」


「いやほんと覚えてなくて申し訳ない」


 自分のキャラになさすぎる行動にありがとうと言われる気恥ずかしさ。言葉が勝手に口をついていた。


「大丈夫、きっと思い出せるわ。ところでキリヤ君、あなたマッケンジー領内の身寄りとか知人とか、そういうのも全く覚えてないの?」


「いや、不思議なくらい全く覚えていないな」


「だったら私と一緒に来てくれない? お礼がしたいの!」


「ちょ……おいおい」


 アリサはキリヤの右手を引っ張り、走り出していた。


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