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010.信頼

「キリヤ君、おはよう。ご飯を持ってきました」


 ヴァレッタが部屋を出たのち数分、今度はアリサが鉄製の小ぎれいな鍋と白の深めの皿が乗った、これまたおしゃれな台車を押して客室を訪れた。


 その表情は少しやつれたようで、疲れているのがなんとなく分かる。茶色の長髪は少しボサっとしており、普段は川の流れのように澄んだ白い肌にも、目の下の隈を始めとして疲労感をうかがわせるサインが出ており、黒く澄んだ瞳にも少し陰りが出ていた。


「……なんか、腕治してくれたんだってな。ありがとう」


 キリヤはひとまずねぎらいの言葉をかける。ただ事ではない様子のアリサに何と声をかけたらいいか分からず、迷った末に出た言葉だった。


「あ、いいのよ。私も悪かったって思ってるし……」


「え? あの別れる作戦の事か? あれは俺が……」


「いや、あの……エリアス君のこと悪い人だって焚き付けたの、私だったから。そんな悪いことしなければ、キリヤ君もエリアス君と喧嘩にならなかったんじゃないかなって」


 やはりアリサは優しい子だ。キリヤは再認識する。キリヤ自身が忘れていた事の発端を、アリサは罪に感じていたのだから。


 いつもはこっちが元気になるようなとびきりの笑顔で人と話す癖に、こんな小さなことを気にして自分と視線を合わせることができず、悲しく視線を下げているアリサは、本当に心が優しいのだろうと感心するばかりだった。


「あー、そんなこともあったな。でもアリサ、俺はそんなこと忘れてたし、どのみちあの野郎とは喧嘩になってたと思うぞ。だから気にすんな。な?」


「うん、でも……」


「早く飯を食べさせてくれよ。冷めちまうだろ」


 強引に話題を変えようとするキリヤ。本当にアリサが悪いことなんて一つもないから、もうこの話はここで終わりにしたかったのだ。


「あ、うん……これ、ラビットファンゴのお肉入りシチューです。リコちゃんと私で、二人で作ったの」


 言いながら鍋の蓋を取り、シチューを取り分けるアリサ。部屋においしそうで濃厚なシチューのにおいが立ち込める。


「はい、どうぞ」


「ああ、ありがとう」


 言われるがままに皿とスプーンを受け取るキリヤ。日本のものと見た目は変わらない、ホワイトシチューだった。アリサも自分の分を取り分け、ベッドわきの椅子に腰かける。


「いただきます」


「いただきます? それってなあに?」


 黙ってシチューに口をつけていたアリサが聞く。


「え、何だ? 習慣って奴だな」


 キリヤがヒキニートだったときに読み漁っていた、異世界小説の定番。いただきますのあいさつをツッコまれるを体感し微妙な気分のキリヤは、微妙な返答にとどまる。


「キリヤ君ってたまに変だよね」


「変って言うなよ」


「ごめんごめん。でも、キリヤ君はなんか私の知らないことたくさん知ってるような気がして、それで変なことを言っちゃうと思うの」


 しゃべりながら一口目を口に運ぶ。味も日本のシチューとそう変わらなかったが、美味だった。特に、ラビットファンゴの肉は格別で、口に含むとあっさりとした味わいだがとろりほろりと溶けていくほど柔らかい歯触りだ。


「うわめっちゃうめえ」


「ほんと? よかった……」


 アリサの表情から、ほんの少し疲れの色が消えていく。その様子を見て、キリヤも一つアリサに質問することにした。


「アリサ、一ついいか?」


「ん? なあに?」


 それは、キリヤがこの世界、トライランド大陸はホフランド王国に転移してからの疑問でもある。


「なんでアリサは、俺にここまでよくしてくれるんだ? あ、いやその……崖から助けたからってのは分かるんだけどな……なんかいつも俺って世話されてばっかりだし」


 それを聞いたアリサは意外そうな顔をしていた。それどころかなんでそんなこと聞かれるんだろう? と顔に書いてあるようだった。


「いやな……さっきヴァレッタさんに言われたんだよ。ヴァレッタさん自身はまだ俺のこと信頼していないって。考えてみれば、俺っていきなりここにきた不審者みたいになってるだろうし、なんでアリサはこんなに信頼してくれるんだろうって」


 聞いたアリサはきょとんとしていた。まるで質問の意味を理解していない様子だ。


「うーん……よくわからないんだけど、私の命の恩人が困ってて、その人を助けるのに理由がいるの?」


「ああ、分かった。気にするな」


 キリヤは気づく。アリサは純粋で、純真で、無垢で、優しさに満ち溢れた女の子なのだと。疑うことを知らない、真摯で誠実な人物なのだと。


「私も一つ聞きたいんだけどいいかな?」


「ん? どうした?」


 唐突に言われ、意表を突かれた格好でキリヤは答える。


「あの……私、闇の悪魔にされないかとても不安なの。立志の儀式が近いのに、頭の中の整理がつかないし、正しき道なんて分からない。とても怖いの」


「闇の悪魔? ってなんのことだよいきなり」


 また覚えていない、いや分からないことを訊かれ困惑するキリヤ。


「あ、ごめん……まだ思い出してなかったのね」


「いや、アリサは悪くねえよ。で、闇の悪魔って?」


「うん……普通、魔剣士っていうのは火・水・風・土の四つの属性に分かれるようになってるの。ホフランドの大樹の枝が、その人の才能を見抜いてくれて、一番力を発揮できる魔剣士になれるようになってる。たぶん私は風の魔剣士で、エリアス君なら水の魔剣士なんだけど……」


 エリアスが水の魔剣士。殺されかけたあの魔法を思い出し、体が勝手に震えだすのを感じる。死の恐怖は、二度と味わいたくないものだ。


「たまーにね、すっごく強い光の魔剣士と闇の魔剣士っていうのが現れるの。で、闇の魔剣士は闇の悪魔になって、最後には魔王になってトライランド大陸の征服を狙うようになるの。それを光の魔剣士が止めるっていう歴史は、不思議と何度も繰り返されているのよ。それでね、闇の魔剣士がいない時間がもう長くなってて、そろそろ誰かが選ばれるんじゃないかって言われてるわ」


 説明を聞いて不安になるキリヤ。


 半殺しにされている間に見た夢。その夢とこの話が少しリンクする気がするからだ。大魔王が魔王を求め、自分をその候補に選んだのならば、力が欲しいか? そう問われた意味はなんとなく分かるし、ヴァレッタさんの話ともリンクする内容だったこともありその不安は増大する一方だ。


「で、その闇の魔剣士にならないためにどうすればいいんだよ」


「とにかく正しき道を進み、正しくあることって、お父さんは言っていたの」


 答えが抽象的すぎる。そもそもキリヤはヒキニートである。正しき道とは正反対の場所にいたような男が、どう正しき道を進めばいいのか。キリヤはますます不安になってきていた。


「キリヤ君? 大丈夫?」


「あ、いや……何でもない」


「ほんと? 何かとっても難しい顔してたから」


「いや……その話を聞くと俺も不安になって。人間なんだから、そういうのはみんな不安なんじゃないのか?」


「そう……そうかもね」


 アリサの表情がまた少し晴れたように映る。そして、元気な時には及ばないまでも、笑顔になってキリヤに言った。


「ねえ? 病み上がりに悪いんだけど、少しお出かけしようよ。キリヤ君と行きたい場所があるの」


「あ、ああ」


 キリヤは少し照れくさくなって、小さくアリサに返事した。


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