6.
収監されて四日目の朝、元漁師だった囚人が言った。
「今夜は嵐になるな」
「どうして分かるんだ?」ロザリオがたずねた。
「空を見れば分かるさ」
元漁師は小さな窓に切りぬかれた四角い青空を顎でしゃくった。ロザリオが信じられない様子で首をかしげると、彼は肩をすくめて言った。
「まあ信じないなら、それでもいい」
その夜、漁師の予言通り、島はひどい嵐に見舞われた。豪雨が屋根と壁を激しく打ち、九本の雷が一度に轟いて空気を痺れさせた。囚人たちは雷なんて大砲の音に比べれば大したことはないと軽口を叩きあったが、この塔が島で一番高い位置に建っていることを思い出すとみな押し黙ってしまった。
三時間後、嵐は無事に通過して、静かな夜が訪れた。耳をすませば血が体内を流れる音も聞こえるような静けさ。いびきをたてるものはいなかった。
「アンジェロ、寝たか?」ロザリオが声を潜めて話しかけた。
「いや」
「話さないか? 聞きたいことがあるんだ」
「いいぜ、何でも聞けよ。おれも寝つけなかったんだ」
「大した話じゃないんだけど」ロザリオは躊躇いがちに言った。「死ぬ直前、今までの人生が走馬灯みたいに脳裏をよぎるって本当か?」
「本当だ。銃殺隊のライフルが遊底を引いたとき、薬室の中におれの人生が見えた」
「人生って?」
「全てだ」アンジェロは続けた。「雪が降っていた。チェントリオーネ伯爵の屋敷を追い出された母さんが生まれて間もないおれを黒いケープに包んで、まるで追い立てられた野良猫みたいに足早に歩いていた。悪いのは母さんを孕ませたクソバカ野郎の伯爵なのに。おれはそのクソバカの血を半分引いている。でも、母さんがおれを愛してくれていたのは間違いない。おれがムズがるたびに立ち止まってあやしてくれたんだ。おれが腹をすかせて泣き出すと胸をはだけさせて、おっぱいを吸わせてくれた。細かくて冷たい針みたいな雪が胸に落ちると、母さんは辛そうに震えた。くそっ、ロザリオ、信じられるか? おれは馬鹿だから、雪のなかで三回もおっぱいをせがんだ。そのたびに母さんは立ち止まって、おれにおっぱいをくれたんだ。あんなに寒くて辛かったのに」
「悪かった。辛いことを思い出させて」
「よせよ、ロザリオ。全てが見えたって言ったろ? ヴェネツィアで暮らした日々もちゃんと見えた」
アンジェロはちょっと言葉を切ると、毛布から手を伸ばしロザリオの手に重ねた。
「ありがとよ、ロザリオ。あのときは最高だった。お前やジョヴァンニや二人のピエトロ、キノッティアのじいさんたち、アリチェ、クレアとメレア、そしてラヴェンナ……。おれが母さん以外で初めて心を開けたのはお前らだった。おれ、こんな体だったから……」
「帰りたいな。ヴェネツィアに」
「ん? ああ。帰りたいな」
「さっきの嵐は本土に向かうのかな?」
「だとしたら、ヴェネツィアにも行くのか?」
「行くかもな」
その後、島を襲った嵐は海で勢いをためながら北上し、航行中だったイタリア海軍の巡洋艦にぶち当たって、数人の不運な水兵を海へさらった。夜明けごろ、嵐はヴェネツィアの東、イタリア・オーストリア両軍が対峙するイソンゾ河戦線にぶつかった。暴風雨は両岸に広がる塹壕線を無慈悲にかき回しながら、内陸に切り込んだ。両軍の兵士たちは雨風に打ちのめされながらライフルに水が入らないよう布を強く巻き、体全体で銃を雨からかばった。掩蔽壕では水が膝まで溜まり、兵士たちは寝ることを諦め、ライフルを濡らさないよう高く掲げて夜を過した。豪雨にさらされた道は泥の海と化し、負傷者を運ぶトラックが泥の中にはまり込んだ。エンジンが呻き、タイヤがぬかるみで空回りして甲高い叫び声を上げる。トラックが揺れて食い込んだ砲弾片が負傷者の体の中で蠢くと、彼らは獣のように泣き叫んだ。見かねた歩兵たちがトラックを後ろから押したが、足が膝まで泥に浸かってしまい、なかなかうまくいかなかった。疲れ果てた体はゴムのように感覚を失った。真夏にもかかわらず泥は氷みたいに冷たかった。トラックがスリップで大きく横滑りし、荷台からは壊疽の熱にやられた重傷者たちのうわ言めいた唄がこぼれてくる。
「……もし明日晴れたら……アーモンドの枝に……ブランコをかけよう……あの子もきっと、喜んでくれる……」
兵士の一人が濡れた煙草を吐き捨てつぶやいた。
「家に帰りたい……」