オークという生物
前書き 皆さんはオークという生物を知っているだろうか。
豚と人間が合わさったかのような、その奇妙な生物は、18世紀初頭、イギリスのとある非合法な“探検隊”が、当時まだ完全に未開の地であるアマゾンの、あのうだるような熱帯雨林で発見した生物である。
ローバト博士こと、この私、ロバート・ヒュム・バークライは、あのオークを始めとする、世界の素晴らしき生命の秘密を探る、知の探究者ではない。私は先の世界大戦中、陸軍の特務大尉として祖国の為に働いた、いわゆるただの諜報機関員の末端である。そんな私がオークという生物に深く関わった人生を歩んだのは、大戦時にとある奇妙な体験をしたからだ。あのオークと。思い出す数々の記憶……。
この手記は、私の半生の記憶である。しかし、これを書いたのは20世紀になってから。この通り耄碌してからだ。(手記のこの部分はわざとらしく筆跡が乱れている)
よってこの手記は読みやすいように時代を入れ替えている、皮肉にも私の大嫌いな、戦争の勝者によってのみ書かれたあの歴史的事実とは違う点があるのかもしれない。しかしこれは私の主観に基づく記憶においては、完全なる真実である。
1.
その昔に戦働きをした者は、特別な年金をもらえる。私もその内の一人である。残念ながら、私はこの年まで連れ添う女性も、後に残さなければならない子供たちもいないので、身に余る軍人恩給を使い放題に、精一杯の贅沢暮らしをしている。しかし私が年代物スコッチを飲み、元ホテルのコックに料理を作らせ、メイドに家事をさせていられるのは、私が過去に複雑かつ秘匿性の高い任務に従事して、青春の多くを費やしてこの国に尽くしたからだ。
この恩給は、今この時、ロンドン郊外の一軒家で、慎ましく妻や可愛い孫に囲まれる老後というやつを、軍と国に売渡した証拠であり報酬なのだ。青春と若さへの対価としては妥当なものではないだろうか。そもそも…………。
いや、話を戻そう。
(年よりはすぐ話が長くなるというが、私はこの手記を通して実感している)
この時の私は、軍時代の仕事は引退した年には全てが終わったと思っていたが、
そうでなかったことから始まる。
この日は早朝にメイドのアリッサが今日来たつまらない手紙を渡してくれたので、それを読み捨てていた時である。もうすぐ私の大好きな焼きたてのパンとインド産の紅茶が出て来る筈だった。しかし来たのはふわふわではなく、ごわごわ。厳密には雨に濡れたような髪をした、一人の男だ。彼は目立たないながらも今時の若者の服装を……要はキザな格好だ。キザな格好の男は、家主たる私の断りもなく、私の家の、私の椅子にかってに座ると、私の断りもなくタバコをくわえる。
「誰だ!!家主の私に了解を知らずに。杖で前歯を折られたいか?」
「まあまあ。ロバートさん。私は現在の情報局の者です。あなたの居た組織は色々と変わって、私の所属場所になりました。対戦も終わったことですしね。そこで……幾つかのお話があるのです。ですので少し来ていただきたいのですが?その、秘密裏にお願いしますね。他の人には知られずに。あなたの筆跡を真似た、書類は用意いたしました」
「諜報員なら最初にそう言え。引退してもそれくらいやってやる。で、行先はどこじゃ?」
「今回の旅先はアメリカの米軍が所有する秘密施設。対象は……あなたが関わった生体兵器、オークに関するものです」
このトウヘンボクは、張り付いたような嘘くさい笑みでもって国家権力を突き付ける。なるほど、私も現役時代、無垢な市民たちに対して使った事のある技だ。
「ふん。まあたしかに、書類は本物だ。それにお前の身のこなしも本物なのだろう。……いいだろう。これも国の為だ。何せ私は愛国者だからな」
私は長年愛用している相棒のステッキを部屋の奥からとってこさせると、すぐさまアメリカへ飛んだ。久しぶりの飛行機は正真正銘のファーストクラスで、これが老人をだます赤野郎の仕業でないと分かる。
気圧の変化によってか、年と共に味覚が悪くなったのか、私はワインと機内食の不味さに辟易しながら、アメリカへと渡ったのだ……。