精神強化の指輪②
翌日のタケルの精神は実に冷静そのものであった。酒に強いとは言えない彼が昨晩飲んだのは、何杯ものエール、ワイン、そして度数の高いドラゴン酒。しかし彼の精神は二日酔い等跳ね除けて、今から直ぐにでも戦えるのではないかと言うほど。
「あれ、もう指輪装備しちゃったのか。どうりで、すっごい気分がいいや」
タケルの左手人差し指には、昨日の指輪が長年の相棒のように嵌っている。
その効果にDランク装備以上の効果を感じ、これは儲けものだと朝から機嫌もよく、タケルは他のパーティーメンバーを探しに酒場の奥に併設された宿泊施設から出るのだった。
外の太陽は既に真上にあった。酒場の天窓が大きく広げられて、昨晩は美しい夜空をのぞかせた場所から、母なる灼熱の光球を感じる。
しかし彼を出迎えるべく酒場で遅めの朝食をたべている者は誰もおらず。
「マスター俺はタケルって言うんだけど、伝言とかない?」
「ないな。お前のメンバーは全員まだ寝ている。起こすか?」
「いや、いいよ。機能は仕事をしたから、今日は休みの日だしね」
酒場のマスターに効いてもこの通りで、タケルは仕方なく遅めの朝食で腹を満たしながら、今日何をするかを考える。
「うーん。天気も良いし、久しぶりに修行でもしたい気分だ!」
タケルがそう言うと、酒場のマスターの隣で作業をしていた冒険者ギルド組合員の女史が、タケルの前に申し訳なさそうに出て来る。
彼女はギルド組合関係の証である、オークの丈夫な皮で出来たエプロンをつけており、デビルアイという上級モンスターの腕を使った腕輪を見に付けている。
「あの~タケルさん?ちょっとお話があるんですが~」
「ええ、なんでしょう?」
「ちょ~っと緊急の依頼がありまして。ギルド通している時間がないものですからー。タケルさんに個人的に受けてほしいんですけど」
ギルドを通さない依頼を冒険者にするのはご法度である。
ご法度ではあるが、ここはギルド組合員の上級職員である冒険者や貴族院から派遣された老人が会議する王都ではなく、常に柔軟性が求められる現場である。
従ってこのような事は往々にして。
「まずはお話を聞きましょう」
「あのー、すっごく浅い場所なんですけど、まだ親に無断で貴族の子が向かっちゃいまして。番兵の若い子がお金に負けて通しちゃったらしんです。それで、その貴族の子供が問題でー、このままだと管理体制とか問われちゃいそうなんで、早く探し出さないといけないんです」
「それは大変ですね。その子の特徴は?」
「小太りの男の子で、ダットンジュニア言う名前で登録しています。どうやら装備が高級品ばっかりなので、そうすぐ死ぬことはないと思いますが、出来るだけ早く、今から行ってほしいんです。勿論、報酬は弾みます」
こういった緊急の依頼は、その即効性に加え、ギルドを通さないという事もあり、中抜きがない分も加わって報酬が抜群に良い
タケルも冒険者としてこの好奇を逃す事はないと思い、急いで彼の仕事場である“ダンジョン”へと向かうのだった。
ダンジョンとは、具体的にはどういうものなのか。そう言った難しい話を考えるのは宮廷に住む人。彼ら冒険者は、その場所にモンスターと宝がおり、何処とも知れぬ深淵の奥深くへと続く洞窟ダンジョンとしか呼ぶ。
ダンジョンには大小無数の入り口があるが、組合員の女史がいうに、依頼はタケルがいつも使用している第三入口付近であると言う。入口に突っ立ている、左遷された周辺各国の衛兵達の、死んだ魚以下の淀んだ監視を潜り、タケルはダンジョン入口付近の階層で、子供を探す。
「子供って言ってもな~」
ダンジョンはその全貌が明らかになっていないのは当然ながら、その浅い階層ですら時々道順が変わってしまい、ダンジョン内の地図は高騰する。タケルも高い割には使う機会のない、浅い階層の地図という残念なアイテムは持っていない。従って彼が出来るのは浅い階層を順繰りに歩き回る事だけ。
もっともこの場所は彼ほどの経験者ならば単独潜入でも死ぬ恐れはないと言っていい。低層ならば出現するモンスターは装備も貧弱なカスばかりで、ドロップアイテムの貧乏さを除けば、初心の冒険者パーティーでも比較的安全なものである。
しかし、さすがに子供では何があるかわからないというもの。最弱モンスターであるリトルトロールであろうと、一流の冒険者なら絶対に油断しないのだ。
「おーい、ダットンく~ん」
タケルは早く帰りたかった。例えこの子供が屍となって発見されたとしても、破格の報酬の半分は手に入る。もし発見した上で帰還を拒むようならば、適当に切り刻んでの、その一部だけ切り取って死亡報告という、冒険者らしい情も何もない悪辣な選択肢もあるのだ。(もっともそう言った冒険者にはこういったお声がかからないものだが……)
タケルは中央の大きな道をそれ、慣れない索敵をしながら周囲を観察する。今日に限って雑魚モンスターは出現せず、ダンジョンは静かな物。同業者もどうやら浅い層に仕事があるような者はいないようで、タケルは久しい孤独感を感じる。
「やけに静かだな。声が響く」
タケルが反響する声に不気味さを覚えながら道を進んでいると、右曲がり角の奥より悲鳴が上がった。
「助けてぇえええええ!!」
「死にたくないぃぃ!!」
「ぎゃああああ!!」
声の主は人間、それも少年だ。ダットン坊やが見つかればお仕事は終い。この辺りの雑魚モンスターなど剣の一振りである。
「ヒハハハアハハ!!もっと逃げろよ雑魚モンスターめ!!」
「お願い!!妹だけは!!」
タケルは道を曲がり、一瞬その惨状に理解が追い付かなかった。
目の前で命乞いをしている兄妹は、明らかにダットン坊やではない。貴族特有の肥えた身体や香水の匂い、そしてきっちりと切り揃えられた髪とは程遠い、薄汚れた乞食のようだった。対する剣を振り上げた甲冑男は、子供かと思うほどに低い背丈だったが、声は成人した男性、とううよりは豚のようであった。しかし彼の装備に施された豪勢な装飾や、様々な守護の印、煌びやかな剣からも、依頼にあるダットン坊やらしい。
こういった場面ははじめてだったが、乞食の兄妹が真っ二つにされるまで待つような愚鈍では冒険者は務まらない。タケルは直ぐに投げナイフを投擲し、ダットン坊やを牽制すると、同時に叫ぶ。
「ダットンさん!止めてください!!」
「あ?お前誰だ?なんで止めるんだよ?」
「だって人殺しですよ!?ダンジョンの中に法はないと言っても子供を殺すなんて捨て置けません!!」
ダットンは馬鹿を見る目でタケルを睨むと、そのまま無言で子供に切りかかった。
しかし、タケルは中堅の冒険者である。ダットン坊やが剣を兄妹に当てる前に、加速の呪文の効いたブーツで地面を蹴る。そして兜の隙間から見える脂ぎった瞳が気づく前に、タケルは前へ躍り出ると、貴族の間で流行っている優雅な剣術教本通りに構える、ダットン坊やの剣は一瞬で弾き落とされる。
「なっ何をする!僕のパパは伯爵なんだぞ!!」
「それはこっちのセリフだ。見過ごせないといっただろ?さあ、君の父上が待っているよ。そこでこの沙汰の説明をしてもらおうか。これに拒否すれば、このまま君を気絶させて引きずって行くことになる。それでも抗えば……最早命の保証もない!」
普段のタケルの柔和さを知る者ならば、驚愕すべき怒声。
ダットン坊やも参ったようで、剣を拾うと、ゆっくりと鞘に納める。
「ちぇ~わかったよ。なにをそんなに怒っているのか解らないけど、パパの命令なら従うよ。また外出禁止は嫌だからね。あ、じゃあせめて、お土産を持って帰っていい?」
そう言ってダットン坊やは震えて未だ動くことのできない兄妹を越えて、通路の奥へと歩いて行こうとする。
「おい、待て。勝手に歩くなよ。罠や奇襲があったらどうする」
「大丈夫だよ。罠なんてこの加護の防具があればへっちゃらさ。それに、もうこの辺りにモンスターはいないよ。狩り尽くしちゃったからね。どう?僕って冒険者の才能ないかな?」
狩り尽くした。その言葉にタケルは言いようのない嫌や予感を感じた。今しがた、この醜い全身甲冑は、子供を殺そうとした。そして、彼はこの子達をモンスターだと言ったのだ。
そしてタケルの予想は当たった。彼自身ダンジョン暮らしが長すぎて気にならなかった、この周囲には異常な程血のにおいが充満していた。1人や2人ではない。幾重にも折り重なった子供の死体から、ダットン坊やは戦利品を探していたのである。
「おまえッ!!」
「なんだよぉー。こんな殺しすぎちゃダメだったのか?じゃあパパがお金払うから勘弁してよ」
「もう勘弁ならない。君は殺し過ぎだ……しかし、地上の法は貴族の息子である君を裁かない。……だから……お前は俺が裁くッ!」
タケルは有言実行が信条である。タケルの剣はダットン坊やの頭を、その豪勢な甲冑の合間を縫って、特注サイズの大きな胴体から切り離した。
「一刀両断!!」
「ゲブブブブ……」
「君の頭を持って帰れば、まあ面目は立つ。あの世で反省するがいい。さあ、もう怖いおじさんはいないから、君たちも一緒に外へ出よう」
タケルは賞金首同様、袋にダットン坊やだったものを詰め込みつつ、振える兄妹に手を差し伸べる。返り血ひとつついていない綺麗な手だったが、この子供達をこれからどうするかという事を考えると頭が痛い。ならずものと心持以外はほとんど変わらない“冒険者”のタケルが、見ず知らずの子供を養うという選択肢はないのだ。
「君たち、さあ!(かといって、この街の孤児院は人身売買施設となんら変わらないし、教会は胡散臭すぎる。どうしたものか)」
兄妹はタケルの手を取らない。二人は子供らしからぬ素早さで一歩下がると、
「……ほんとだったんだ」
「……英雄様だ。勇者様は本当にいたんだ」
彼らはそう言ってお互いの目を見つめ、強く一度だけ頷くと、そのままタケルの居る方向とは反対に逃げていく。タケルは止めようと彼らを追うが、通りを一度曲がると、彼らはいなくなっていた。
「そんな!!あんな子供達じゃあ10分と持たないぞ!!クソ、なんで探査系の魔法使いがいないんだ!!」
タケルは罠を見つける専門家ではない。しかし低階層の罠など武には少し痛い程度なので、力ずくで罠を蹴り込み肩の装甲で押しつぶす。彼のバックラーも役に立った。
「何処だ!!子供達!!僕は違う。君たちを助けようとしているんだ!!」
武はこの広大なダンジョンの一階層全体に響くような大声で子供達に叫ぶ。
5分程声を出し続け、体の中に絶望が支配するかという時、やっと武は未知の奥に人の気配を感じた。
「誰だ!!」
人影は一人。この階層、この時間に一人でダンジョンの低階層を歩く者は珍しい。例えばこの周辺のレアモンスターであり、初心者が出会えばまず逃げろと教えられる、イビルウィッチであるとか……。
「まさかあれがイビルウィッチか。初心者なら絶望するところだけど、今の俺は一人前の冒険者だ。刀の錆にしてやる!」
遠くの影は陽炎のように揺れながら、タケルの元へと飛来し、タケルの間合いの一歩外へ停止した。薄暗いダンジョン内部で風もないのに揺れる漆黒のローブの中から、しわがれた声が聞こえた。
「お前、そこの男。私の声が聞こえるか?」
「何だ!!イビルウィッチは話せるのか。そんな話初めて聞いたよ」
「……そうか。やはりそうなのか。男、お前は私のこの姿を見ても、モンスターだと思うのかい?」
ローブから顔を出したのは、図鑑で見た醜く歪んだ、乾燥しきったミイラの如き醜いモンスターではなく、相当に年を重ねただけの老婆だった。
老婆は武が攻撃しない事を確認すると、彼の間合いを越えて来る。
「なんだ婆さん、人間か。てっきりイビルウィッチかと思ったよ」
「そうかそうか。イビルウィッチと来たかえ。まあいい。兎に角、こっちこいな。お前が探している子供もこの中に匿っておるでな」
「匿うって、ダンジョンにそんな場所があるのか?」
「あ?そうじゃ。ここのこのでっぱりと、この窪みを魔力をこめて押しながら、合言葉を叫ぶ。AIRII!!」
老婆がそうつぶやくと、壁が老婆と武を取り込むようにして迫る。タケルは思わず身をかわそうとしたが、壁に触れられてもその感触はない。不思議に思っていると、老婆は感じない壁にめり込んで、指だけが悪趣味な家具のように露出して、タケルを手招きする。
「なんどよいったい!」
タケルは壁へとめり込んでゆく。その内にはまた細い通路があり、通路を過ぎるとダンジョンと同じ、古い石造りの小さな部屋へと繋がっていた。
「婆さん、子供たちは?」
「あの子たちは使いへやったよ。急ぎの用さ。さあ、お前は此処へお座り。何も出すものはないが、話はしてやろう。簡単な話さ。このダンジョンに関する話じゃよ」
「ふざけるな!!隠者かなにか知らないが、子供達を出せ!!」
「なんじゃ煩い男じゃの。これでも喰らえ。BAISUMU!!」
老婆タケルに向けて杖を振る。すると、彼女の杖の先から発せられる暗緑色強い光が、タケルの体の自由を奪った。
「これは中級魔法の、いやメイジタイプのモンスターが使う拘束呪文か!なんで婆さんがモンスターの魔法を使えるんだ!?」
「それは私らがお前たち地上人の言う、モンスターだからじゃよ。もう随分と昔、我々の先祖は国ごと呪われ、我らが祖国は血の底へと消えた。もうすぐ全てわかるじゃろう」
「そんな話を信じるか!!!」
タケルは直ぐに拘束呪文を振り切る。タケル本人は気づかなかったが、魔法の持つ魔力的拘束力は、指輪が少し輝くだけで喪失したのだ。
「あなや、その指輪の輝きこそは、我らが求めた救世主の証!!お待ちくだされ!!」
タケルは老婆を振り切って逃げた。小部屋は行きと同じ方法で帰る事が出来たので、彼は直ぐにいつものダンジョン道へと戻る。
「子供たちがダンジョンの奥へいくだなんて。これはもう俺一人では無理だ……」
この問題はタケル一人では荷が重すぎると、彼はこのまま子供を探さずに一度ダンジョンから戻る。子供達が奥深くへ進む前に、モンスターに襲われて死んでしまうだろうと考えたが、かれは老婆がつかった不思議な擬態魔法を思い出し、子供達が直ぐに消えたことからも彼らも使えるのではないかと仮定した。
そうすると彼らが本当に人間であるのか不思議になってくるが、タケルはひとまず考えるのを止める。
タケルはダンジョンの門番等とは目も合わせずに、一目散に酒場へと戻った。