記憶と決勝
「少しは落ち着いたら?」
小峯舞子のマネージャー、篠塚隆は落ち着いてなどいられなかった。 何度も何度も会見をやめるよう舞子を説得したが、とうとう会見の時間まで三十分を切ってしまった。
「落ち着け?無理言わないでよ舞ちゃん。どうしたらいいんだよ俺・・・。」
控室をウロウロしながらため息をつく。
「座ってテレビでも点けたら?」
「こんな時にテレビだなんて、 でも音がするだけでも気が紛れるか」
しかし映る画面はワイドショーばかり、その画面にはもうすぐ舞子が映るはずなのだ。
「全部ワイドショーってことはないんじゃない? マネージャー、他のチャンネルは?」
「このチャンネルはどうかな?」
画面からは賑やかなブラスバンドの演奏が聴こえてきた。
「そっか、今日は甲子園の決勝戦だよ舞ちゃん。」
「へえ、高校野球かあ。どことどこが決勝やってるの?」
「えっとね、千葉の黒潮商業と山口の宇部学園、あ、延長戦だね3対3で十三回だって。」
「え~っ 黒商出てたんだ! しかも決勝? すご~い。」
「あれ?舞ちゃん高校野球好きなの?」
「そういえば昔はよく見てた気がするな、あ、黒商ってね私が通ってた高校と同じ市内なの」
「へえ、じゃあ応援しなくちゃね! おっ今チャンスじゃん!」
テレビの実況に耳を凝らした。
{「さあ、延長13回裏黒潮商業がサヨナラのチャンスを迎えています。ツーアウトながらランナーは一塁と三塁。バッターはここまで2安打の3番片平、マウンド上はひとりで投げ抜いてきた宇部学園の田上。ひとつ塁を埋めることもできますが、次は四番の沢井です、三塁ランナーが還った瞬間にサヨナラですので、ここは勝負でしょうか。解説の坂中さんいかがでしょう。」
「そうですね、守りやすさをとるかそれとも、しかし次が四番ですからね。コースの際どいところを攻めながらカウントによっては歩かせることも考えられますね。」
「ここで宇部学園、守備のタイムをとります。14番をつけた藤井が伝令を伝えにマウンドに向かいます。 そして黒潮学園も土屋監督が片平を呼びます。」}
「ああ!」
映し出された画面を指差して舞子が声を上げた。
「監督って、まさか、え~っ!」
「どうしたの舞ちゃん?」
「え・・あっ、なんでもないの・・。」
その時、マネージャーの篠塚の携帯が鳴った。
「ああ、海外にいる飯田社長からだ。舞ちゃん、ちょっと表で社長と話してくるね。ハア。」
まさか昨夜のあの人が、黒商の監督だったなんて。
舞子は動揺しながらも再開した試合に見入った。
{「ツーボールの後一球見逃してストライク、次の球ファールでカウントはツーエンドツー、勝負してきましたね坂中さん。」
「そうですね、今日2安打の片平くんですが次も大会屈指のバッター沢井くんですからね。ここは思い切って片平くんと勝負してきましたね。」
「さあピッチャー田上、セットポジションから片平に対して5球目を・・投げた。」}
直後、カキーンという金属音が響いた。
「・・そうか・・・思い出した。 ケイ・・。千葉のドクターK、土屋啓。 マスター、思い出せたわ。」
舞子は一気に押し寄せた記憶の洪水を掻き分け中学3年の頃の記憶にまでたどり着いた。
あの日、やはり同じ十五歳の土屋啓と出会った日。
舞子は塾の帰り道、駅前の大通りから一本奥に入った広い公園の敷地を横切っていた。 いつも通る近道だ。夜ともなると大通りと違って女の子の一人歩きには危険なほど暗い。 通いなれた道ではあるが浮浪者もいたり、時には不良がタムロしていたり 一刻も早くここから立ち去り家に帰ろうと歩を早めた。 公園の中頃に差しかかったとき、右奥の東屋の裏の方から何やら怒鳴り声が聞こえてきた。
「おい土屋ぁ! てめえの出した答えはそれでいいんだな?」
舞子は忍び足で声のする方へ近づいた。
一人の男を四人の男が取り囲んでいた。
「はい。高野先輩、俺、やっぱり高校でも野球をやりたいんです。」
取り囲まれている男の顔を舞子は知っていた。
「あれは、三中の土屋君・・・。」
土屋啓。関東のシニアリーグの中では名の知れたピッチャーだ。すでに全国の野球で有名な強豪私立が何校も獲得の為の挨拶に来ていた。 この時点で啓は横浜の強豪校に進学する意思を固めていた。 しかし彼には有望な野球選手とは別のもうひとつの顔があった。 素行が悪く喧嘩好き、おまけにこの地方最大の暴走族のメンバーだった。 野球好きの舞子は同じ市内の中学である土屋啓のどちらの噂をも耳にしていた。
「そうか、中坊のお前を可愛がって目ぇかけてやったのによ、お前の喧嘩の強さはどうしてもうちに欲しかったんだが・・・仕方ねえ。 掟に従ってヤキ入れさせてもらうわ」
「覚悟の上です、高野先輩。」
それは壮絶なリンチだった。啓は抵抗もせず殴られ続け、蹴られ続け、それでも耐え続けていた。 舞子は足がすくんで一歩も動けず物陰に息をひそめていた。
誰か助けを呼ばなきゃ、でも見つかったらどうしよう。そうだ、携帯、110番しなきゃ。
舞子はカバンをあさり携帯を取り出した。 現場に背を向け、震える手でなんとか数字を押した。
「はい110番です。」
「あの・・大変なんです、すぐ来てください」
舞子は声を押し殺しながら助けを求めた。
「もしもし、どうされました?よく聞き取れないんですが」
「あの、殴られてるんです、助けに来てください」
「もしもし?もっと大きく話せませんか?今どちらから掛けてます?」
舞子は後ろから近づく足音にも気付かず意を決して声のボリュームをあげ現在地を伝えようとした。
「ここの場所は・・きゃ!」
男は奪い取った携帯電話を切り、尻餅をついた舞子に顔を近づけた。
「お嬢ちゃ~ん。こんな所でどこにお電話かな~?今誰かにここの場所を教えようとしてたよね?」
「あ、お・・お家です。遅くなっちゃったんで、迎えに来てもらおうかと思って・・・」
「へ~、じゃあ送ってってあげるからもうちょっと待っててよ」
「い・・いいです。だいじょぶです。自分で帰れますから」
「おやおや~?今、迎えの電話してたんでしょ?それに夜道の一人歩きは危険だぜ?変質者が出るかもしれないしさ、不良にからまれて犯されちゃうかもよ?俺達みたいな強くて真面目な好青年に送ってもらったほうがいいって」
「本当に結構です・・携帯、返して下さい、帰りますんで」
「携帯?ああ、これね」
男は舞子の携帯電話をふたつにへし折った。
「あっ!」
「おとなしく帰らせてもらえると思った?まさかそんな事思ってないよねえ」
舞子は腕を引っ張られリンチの続く場所へ連れて行かれた。
「通報しようとしてたよ、このお嬢さん、どうする?」
啓を蹴ろうとした足を止め、
「お嬢さんいくつ?高校生?」
高野が尋ねた。
「15歳です・・中三です。」
「中坊か、カワイイ顔してんじゃん。たまんねえな、おい、こっちが済むまで押さえとけ」
それから何発殴られ、何発蹴られただろう、啓はぐったり倒れこんだ。
「さあ、今度はお嬢ちゃんの番だ、ゆっくりひん剥いてやるか」
舞子は背中を押され、横たわる啓の横に倒れこんだ。 舞子の顔はもう涙でぐしゃぐしゃ、怖さで声も出せなかった。
四人の男のうち一人が舞子を起こして羽交い絞めにし、二人が見張り役、そして舞子のTシャツに手をかけようとしたその時、高野の手が寸前で止まった。
「それはやめましょうよ高野先輩・・」
気を失っていると思っていた啓の手が高野の足首を掴んでいた。
「なんだ土屋、まだ足りなかったか?いいからお前は寝てろや!」
「高野先輩・・クスリと婦女暴行は絶対にやらないって決まりじゃないっすか・・」
「うるせえな、抜ける奴が偉そうに説教たれてんじゃねえよ、土屋よ、かわいそうなんで手加減してやったのに俺を批判だと? 俺の怒りは頂点に達しましたよ(笑) 土屋、野球できなくしてやるよ。 おい、土屋を押さえろ!」
高野は辺りを見回し転がっていたビール瓶を見つけ叩き割った。二人がかりで担ぎ起こされた啓に歩み寄り、啓の顔面に向けビール瓶を振り下ろした。
「いやっ!」
羽交い絞めにされたまま舞子は悲鳴をあげ、その瞬間目を背けた。 恐る恐る目を開けると、間一髪避けて致命傷にはならなかったのか、右耳の下から血が滴り落ちてはいるが啓は高野を鋭い眼光で睨みつけていた。
「なんだよ、その目は? おい、今度は逃げられないようにしっかり押さえとけ、右腕だ、ボールなんて握れないようにグチャグチャにしてやる。」
二人に押さえつけられた啓の右腕に割れたビール瓶を突き刺そうとしたその時、
「今だ!」
啓が叫んだ。 同時に舞子は一瞬油断した男の腕を振りほどき、振り向きざまに自分を羽交い絞めにしていた男の急所をひざで蹴り上げた。 男は苦しそうに呻いてその場に崩れ落ちた。
「走れ!」
啓の声を聞き舞子はカバンを拾うと全力で走った。 広い公園の林の中をジグザグに息の続く限り走った。 しばらく走って後ろを振り返る、誰も追って来ないのを確認するとその場にへたれ込んだ。
「ハァ、ハァ、 助かった・・・ 土屋くんのおかげだ」
あの時、啓が舞子に耳打ちをしてくれていなかったら・・舞子はゾッとして思い返した。
リンチを受け気を失ったはずの啓、背中を押された舞子は啓の隣に倒れこんだ。 その時、啓が耳打ちをした。
「俺が合図をしたら、一番近くにいる奴の股間にひざ蹴りを入れろ・・・」
土屋くんだいじょぶかな・・
舞子は啓のことが気になって仕方が無かったが、せっかく逃げてきたこの道を引き返す勇気など無かった。 しばらく休んで乱れた呼吸を整えると、舞子は諦めて公園の出口へと歩き出した。 公園の出口が見え、街灯の灯りや先にあるコンビニの灯りが舞子の心を落ち着かせた。
「おーい」
その時後ろから誰かが呼ぶ声がした。 舞子は恐る恐る振り返る。 暗がりの公園の中からゆっくりと誰かがこちらに歩いて来る。
「土屋くん!」
舞子は啓に駆け寄った。
「だいじょうぶ?」
「俺は大丈夫だよ、 しかし見事なひざ蹴りだったな、あんなにキレイに決まるとは驚いたよ。」
「ううん、土屋くんのおかげよ」
「俺のこと知ってんの?」
「うん、千葉のドクターK、土屋啓。私野球が大好きなの」
「へえ、有名人になった気分だな(笑)」
「それより、あの後大丈夫だったの?」
「ああ、話の分かる先輩たちでね、話し合いで解決したよ。」
そう話す啓の両手の拳は血だらけになっていた。
「すごいオーバーアクションの話し合いだったのね、それ以上聞かないでおくわ・・・。」
「あ、それと、これ、ゴメンな。」
啓はふたつに折れた携帯電話を差し出した。
「土屋くんが謝ること無いわ。」
「夜はこんな場所一人で通ったら駄目だよ。 今日は俺が送ってくよ」
「土屋くんに送ってもらえるなら安心だわ(笑)」
自己紹介をしたり、他愛もない話をしながら歩いていると帰り道の時間は早く過ぎた。
「ありがとう、ここ私の家なの。」
「そっか、今日は怖い目に巻き込んじまってゴメンな」
「ううん、助けてくれてありがとう。」
「あのさ、携帯、弁償するよ」
「いいわよ」
「ほら、これ、先輩が弁償するって金渡してったんだ。」
啓はポケットからクシャクシャになった一万円札を数枚取り出して見せた。
「先輩が可哀想だから真相は聞かないわ・・・。」
「金だけ貰うのが気が引けるんだったら俺が明日一緒に買いに行ってやるよ。」
「うん・・・それならいいかな。」
ふたりは駅前の携帯ショップでの待ち合わせを約束して別れた。
次の日、新しい舞子の携帯電話に初めて登録された電話番号とアドレスは啓のものだった。
私たちはそれから毎日メールや電話のやりとりをした。 なんでもない事や悩みの相談までお互い何でも話せた。 啓の神奈川への野球留学の話が消えたのもその頃だった。 あの時の暴力事件を先輩達が学校に密告したらしい。 それでも啓は落ち込むどころか、
「野球ならどこででもできる」
と、近年は甲子園から遠ざかっているものの、その昔、千葉で一時代を築いた地元の名門、黒潮商業の名伯楽、斉藤監督に声を掛けてもらい、地元で進学することを決めた。
「それに、黒商なら舞子と離れなくてすむ」
啓が黒商への進学を決めたこの日、私たちは付き合うことになった。 野球好きの私にとって、その世界ですでに有名な啓と付き合うのは夢のような事だった。 啓は必ず私を甲子園に連れて行くと約束してくれた。
やがて春が訪れ、啓は黒商へ、私は同じ市内の女子高へ入学した。 啓は入学後すぐに頭角を現し一年の夏から主戦として活躍した。 最初の夏の県予選は決勝まで勝ち進むも味方の援護なく0対1で敗れ、惜しくも甲子園へは届かなかった。 しかし、名門黒潮商業を久しぶりに決勝戦まで押し上げた一年生右腕に周囲やマスコミ、高校野球関係者は色めきたった。中学野球の有名人は早くも県内の高校野球の有名人となってしまった。 続く秋の予選は優勝して関東大会に進むものの緒戦で1対2で敗れ選抜出場はならず。 二年生の夏の大会は昨年に続き決勝戦まで駒を進めたがまたしても1対2で敗れ甲子園には届かなかった。 この頃からマスコミは啓の事を「悲運のエース」と呼ぶようになった。 その事が啓を更に有名にし、人気に拍車をかけた。 期待された秋の大会は右ひじにできたネズミと呼ばれる軟骨を取り除く手術を受けリハビリに専念。啓が登板することなくチームは三回戦で姿を消した。 その事を啓はすごく悔しがっていた。
「やっぱり投げないで負けるのはつらい?」
「ああ、打たれて負けるよりも責任を感じるよ」
「でも啓はすごいよ、こんなに有名人になっちゃって」
「周りが騒いでくれるのはありがたいけど、俺は何も変わってないよ」
「もう二年も付き合ってるのに、私ね、友達にも誰にも啓の事言ってないの。」
「どうして?」
「最初はね、なんか教えるのがもったいなくて(笑)。ひとりで噛みしめてたの。そのうち啓がどんどん有名になっちゃって、あっという間に私の周りでも啓のファンが急増しちゃって、今さら言っても信じてもらえなさそうだし、信じてもらえてもファンから反感買うだろうし、そうなったら女子高の中では生活しづらいのよ(笑)。」
「なるほどね、有名人の彼女ってツライもんなんだな(笑) だったら、舞子も有名人になっちゃえよ。」
「えっ? どうゆうこと?」
「知ってんだぜ、舞子が歌手に憧れてること。 なんでその夢追いかけないんだ?」
「いつから気付いてたの?絶対に実現不可能な夢だし、笑われると分かってるから誰にも言わなかったのに・・・。」
「俺だから分かったのかな(笑)。 難しそうな夢のほうが叶ったときカッコいいじゃん、簡単なレベルじゃ有名人にはなれないぜ(笑) やってみろよ舞子、レッスンでもオーディションでもなんでも受けてさ、俺は舞子を甲子園に連れてく、それだけじゃない、甲子園で優勝して日本一のピッチャーになる。そしたら舞子は日本一のピッチャーの彼女だ。 舞子は歌手になって夢を叶えてくれよ、そしたら俺は有名アーティストの彼氏だ(笑)。」
私は啓の言葉にすっかりその気になってすぐにバイトを始め、稼いだお金をボーカルレッスンの月謝とライブハウス巡りにつぎ込んだ。
チャンスは以外に早く訪れた。 ライブハウス「B・POINT」の階段を地下に下りると、メンバー募集の貼紙、
“女性ボーカル急募!大晦日のインディーズフェス参戦のため至急求む!”
「大晦日って、来月じゃん。」
その場で貼紙に書かれた連絡先に電話をして翌日面接。
大晦日、私はステージに立っていた。
8組のバンドによる対バンの年越しライブ、三番目に登場した私は一ヶ月間必死で覚えた五曲を歌い終えステージを降りた。
「舞、おつかれ!良かったよ!サイコー。 次のライブまだ決まってないんだけど、また頼むね。このあと俺達みんなで打ち上げ行くんだけどどうする?」
「あ、私用事があるんで、また。」
「大晦日だもんな、彼氏と初詣デートかあ?(笑) じゃあ次の日程決まったら連絡するよ。 良いお年を。」
「はい(笑)良いお年を。」
私は次のバンドの演奏が聴こえ始めたライブハウスの階段を駆け上がり地上へ出た。啓が花束を持って出迎えてくれた。
「初ライブお疲れ様。スッゲー良かったよ!超感動!」
「ホント?緊張しすぎてちゃんと歌えたのか実感ない(笑)」
「すごく上手く歌えてたよ。こりゃ有名人になる日もすぐそこだな」
「まさか(笑)」
「すみません」
ライブハウスの階段を上がってきた二人組みの男女のうち女性のほうが声を掛けてきた。
「私達こういう者なんですが、ちょっとお話させていただけませんか?」
差し出された名刺には㈱アップルロードと書かれてある。
「アップルロードってあのアップルロード?」
それは歴史の浅い会社ではあったが、今や有名アーティストを多数抱え、歌手を目指す若者にとって憧れの、日本音楽シーンをリードする音楽事務所だった。
「今のあなたの歌、とても良かったわ、今後もずっと歌をやっていく気はあるのかしら?」
「は、はい。歌手になるのが私の夢です。」
「そう、でも今のままでは無理よ、どうかしら、うちの事務所の預かりとして一流の先生に付いてボーカルとダンスのレッスンを受けてみない?あなたならデビューまでそれほど時間はかからないと思うわ、ルックスもいいし。」
「本当ですか?」
「ええ、ご両親と、そちらのカッコイイ彼氏とも良く相談して、いつでも連絡してちょうだい。」
女性が話し終えると男性は手を上げタクシーを捕まえ、二人は去って行った。
「すげーじゃん舞子!俺よく分からないけど、すげー事務所なんだろそこ?」
「うん。何だか夢見てるみたい・・・」
「よーし!舞子が歌手になったのを記念して飯行こ!」
「まだデビューできるって決まったわけじゃないよ。それに初詣は?」
「決まったのと同じだよ!それに初詣でお願いする前に願い事叶っちまったんだから神社は後回し、飯行こう!」
年が明け両親を説得した私は週に一度、学校の休みを利用して上京し、歌と踊りのレッスンを開始した。歌のレッスンは楽しく、上達も早いと褒められた。ダンスのレッスンは初めてで慣れるまで大変だったけど夏を迎える頃にはなんとかこなせるようになっていた。
「だいぶ上手くなったわね。」
あの時ライブハウスで舞子に声を掛けた飯田千代が優しく声を掛けた。
「ありがとうございます。」
「舞子、来月、八月二十日。オーディションを受けてもらうわ。応募から選考を勝ち抜いた一般の子達、それと舞子のようなアップル預かりのレッスン生の成績優秀者を大阪支社に集めて毎年一回オーディションをするの。そこで認められればデビュー決定よ。」
「分かりました、頑張ります。」
そして啓は千葉大会の優勝候補の筆頭として最後の夏を迎えていた。春も大事を取り登板を控えた啓だが夏は完全復活、以前にも増して球威は上がり、もはや県内で啓の球を攻略できるチームはいなかった。六試合中五試合を完封、与えた失点はわずかに一点という成績でチームを3年連続の決勝戦へと導いた。
そしてついに・・・。
3対0で勝利!
9年ぶり十二度目の甲子園を決めた。
「おめでとう啓!」
試合後、閉会式やインタビューを終え、ようやく掛かってきた啓からの電話に舞子は祝福を贈った。
「ありがとう。まずは舞子を甲子園に連れて行く約束は果たせたよ。」
「うん。ありがとう。すごいよ。」
「次は日本一だ。八月二十日の決勝、舞子のオーディションと同じ日だけど、絶対にそこまで勝ち進んで優勝してみせる。 だから舞子も頑張れよ。絶対に歌手になって夢を叶えるんだ。」
「うん。もし啓が決勝まで行ったらその日は応援には行けないけど、啓は甲子園のマウンドで、私はオーディションのステージで、お互い頑張ろうね。」
やがて組み合わせも決まり、甲子園の開幕を迎えた。啓は大会ナンバーワン投手として注目を集め、チームも優勝候補に数えられていた。
初戦から甲子園常連の強豪校が相手だったが雨の中の試合にも関わらず啓は前評判通りのピッチングを見せ、大勢のスカウトが見守る中チームを勝利に導いた。その後も啓のピッチングは冴えわたり、チームは快進撃を続けた。
舞子はオーディションに向けたレッスンの合間を見つけ、一回戦、二回戦と応援に駆けつけた。今日はそれ以来の応援、舞台は早くも準決勝である。
相手は甲子園二連覇を狙う昨年の優勝校、横浜実業。 啓が進学するはずだった高校だ。
今年も強力打線をひっさげ圧倒的な破壊力で勝ち上がってきた。
試合は中盤までこう着状態、さすがの横浜実業も六回まで啓の前に散発三安打、九つの三振を奪われていた。 しかしついに七回、連投で疲れの見え始めた啓に襲いかかる。ツーアウトから四球でランナーを出すとすかさず盗塁。その後は三連打で好投を続けていた千葉のドクターKから貴重な二点を奪った。 その裏、黒潮商業はなんとか一点を返すが八回は無得点、啓も七回以外は完璧なピッチングを見せ、一点ビハインドのままついに黒潮商業最後の攻撃。
ワンアウトから一番大川がヒットで出塁、二番伊坂は送りバントの構えからバスターヒッティング、高くはずんだボールは前進していた一塁手の頭を越えライト前へ、ヒットエンドランでスタートを切っていた大川は三塁へ、ワンアウト一塁、三塁となり打席には三番の啓が入った。初球は変化球を見逃しワンストライク、二球目、三球目はバッテリーがランナーの動きとスクイズを警戒して外した。四球目、啓が打ちに行ったが打球はバックネットへ当たりファール、黒潮商業の斉藤監督は勝負を選んだ。
舞子はもう見ていられず合わせた両手に額を当て必死に祈るしかできなかった。
直後、鋭い打球音と共に球場全体が一瞬静まり返った気がした。
舞子がグラウンドに目を向けると横浜実業のセンターとライトが右中間フェンスに向かって転がる打球を追いかけていた。 三塁ランナーの大川がホームイン、一塁ランナーの伊坂も三塁を蹴った。 ようやくセンターが打球に追いつく。 必死の返球もむなしくサヨナラのランナーがホームを駆け抜けた。 劇的なサヨナラゲーム。 これで明日の決勝戦は、すでに第一試合で決勝進出を決めている大阪代表の関西中央学院と黒潮商業の対戦となった。
激戦の準決勝を制した選手たちは宿舎に戻り、入浴、食事、ミーティングを済ませると、各々が束の間の自由時間を楽しみ、明日の決勝戦へ英気を養っていた。
ニット帽を目深に被った啓は宿舎の前で張っている追っかけやマスコミ記者たちに気づかれないように裏口からこっそり外へ抜け出すと、舞子と約束した待ち合わせ場所へと急いだ。
近くの繁華街は人の波でごった返していた。その波をしばらく掻き分けていると、右手に地元でも通いなれたファーストフードの店がある。中に入ると、二人掛けの席のテーブルにジュースを二つ並べて舞子が座っていた。
「お待たせ」
「ううん、騒がれずに抜け出せた?」
「ああ、裏口からこっそり抜け出してきた(笑)」
「有名人は窮屈ね(笑)」
「舞子はすぐに俺より有名になるさ。」
「そんなこと無いよ、それより今日の試合すごかったね!私泣いちゃった」
「ああ、あれね、最後はヤマ張って目をつむって振ったよ、イチニのサンで、もうボールなんて見てない(笑)」
「実は、私も・・・」
「えっ?」
「ドキドキして怖くて見てられなくて・・啓が打った瞬間見てないの。目つむってた。ごめんなさい。」
「あの瞬間見てなかったの?マジかよ~(笑)」
楽しそうに談笑する二人を外の植え込みの陰から見つめる男達がいた。
「舞子もそんなに時間無いんだろ、そろそろ出て戻りながら話そうか。」
「そうね、啓も遅くなって騒ぎになったら大変だもんね。」
「舞子のホテル、反対方面だろ?先にそっち送ってくよ」
店を出た二人はアップルロードが用意した舞子の泊まるホテルへ向かい歩き出した。
「こっちの道の方が近いし人ごみも無くて歩きやすいよ。」
舞子は繁華街から右に曲がる近道へと啓の手を引いた。 その後を少し距離を開けて二人組の男がつけている事には気付いていなかった。
「本当に決勝戦まで来ちゃったね、すごいよ啓は。絶対優勝してね。」
「ああ、勝つよ、舞子の為にも、俺を拾ってくれた斉藤監督の為にも。」
「そうだね、監督には感謝しなくちゃね」
「黒商に入学した時に監督と約束したんだ、もう昔の悪かった頃の仲間とは付き合わない、もう二度と暴力沙汰は起こさない、それを破った瞬間に野球を辞めるって。あの人はこんな俺に
野球だけじゃなく人間とはどうあるべきかを根気強く叩き込んでくれた。 だから俺は変われたんだ。」
「そっか・・・」
「でも、ひとつだけ監督との約束を破ってた。」
「え、何?」
「甲子園に行くまで女にうつつを抜かすな、甲子園に行くまで彼女なんて作るなって、だから俺も舞子のこと誰にも話してないんだ(笑)」
「そうだったの?知らなかった(笑)」
「舞子、お前も明日頑張れよ。お互いの夢を叶えよう。そして、いつかさ・・」
「ん?」
「いつか結婚しよう。」
「うん。」
幸せそうに頷いた舞子の横を二人組の男が追い越し、啓と舞子の前に立ちふさがった。
「ようよう、見せつけてくれるじゃねえか、つ・ち・や・くん」
「・・・高野先輩・・・。何でこんな所に・・」
舞子も高野の顔を見てすぐに思い出し、震えた。
「あの時の・・」
「俺か?俺は去年暴走族を引退してな、今は大阪の暴力団、稲敷組に世話になってんだよ。で、可愛い後輩がこっちに来てるっていうもんで懐かしくなってな、ちょっと会いたくなってよ。こいつは俺と一緒に組に入った奴でよ、有名な千葉のドクターKを一目見たいって言うんでな。 まあ、有名人がこんな所で立ち話してちゃ騒ぎになるだろ。ちょっとその先の公園で話でもしようや、おとなしくついてくれば悪いようにはしねえよ。お譲ちゃんもな」
二人は高野たちに挟まれ薄暗い公園へ連れて来られた。
「話って何ですか?」
「まあそう焦んなよ。同じく頬に古傷を持つ仲間じゃねえか。覚えてるだろ土屋、俺のこの傷をよ」
「何のことでしょう?」
「ほう、忘れちまったか、これはよ、昔飼ってやってた犬に噛まれたんだよ」
「へえ、犬にですか。」
「しかも犬のくせに俺が持ってた割れたビール瓶を奪い取りやがった。今でも疼くんだよ、三年前のこの傷がよ。」
「飼ってた犬がビール瓶を。それはアンラッキーでしたね」
「ああ、その犬はその後ラッキーな人生を歩んで今や有名になっちまった。」
「今日はわざわざその時の復讐って訳ですか?」
「勘違いするなよ土屋、俺はそんな昔の事を根に持つ男じゃねえ、復讐するならもっと前にやってるさ。」
舞子はその言葉を聞いて少しホッとしたが、足の震えは止まらなかった。
「じゃあ何なんですか」
「実はよ、うちの組で世話になってる人がいてよ、その人の息子さんが関西中央のレギュラーなんだよ。 いや~子煩悩な人で、まあ言ってみりゃ親バカってやつでな、なんとしてでも息子に優勝させてやりたいって言うんだよ。それによ地元だしよ、賭博で結構な額を関西中央の優勝に賭けちゃってんだようちの組。 で、俺が土屋と知り合いだって言ったらお前に小遣いを持たせてくれてな。 まあドラフト一位指名確実なお前にしてみりゃ大した金じゃねえけどよ、高校生の小遣いにしちゃ結構な額だぜ。」
「わざと負けろって言うんですか?」
「人聞きの悪いこと言うなよ、ちょっと加減して投げてくれって言ってんだよ。準優勝だからってドラフトでのお前の価値は変わらねえよ」
「断わります。」
「あ?相変わらず物分かりの悪い奴だな、痛い目に合わせて明日の試合、投げたくても投げられないようにしてやろうか?抵抗した所で暴力振るえばチームは出場辞退だぜ。それにこっちの男はボクシング経験者だ、女連れのお前じゃ勝ち目はねえ。 今日は辺りにビール瓶も転がって無さそうだしな(笑) もし抵抗したら三年前にまんまと逃げられたそのお譲ちゃんも今日はただじゃ帰さねえ。もうひざ蹴りも通用しないぜ。よく考えて答えろよ土屋。」
「考える必要はありません。 断わります。」
「そうか、野球界は惜しいピッチャーを失っちまったな。 最後の試合を始めるか土屋、試合開始だ。」
男が土屋に殴りかかった。最初の二発はうまく避けたが、次のパンチが啓の顎を捉えた。
啓は膝をつき崩れ落ちた。馬乗りになった男は容赦なく啓を殴り続けた。 しばらくして気を失ったのか、啓は殴られても完全に反応しなくなった。
「やめて!啓が死んじゃう!」
「でかい声出すなよお譲ちゃん。お譲ちゃんはこっちで俺と楽しもうぜ。おい、終わったんだろ、お前もこっち来いよ。」
舞子は二人に引っ張られ離れた茂みに連れて行かれた。
その時意識を失って倒れている啓の頭に何かが転がって当たった。
舞子はもう観念していた。一人に両手を押さえられ、高野に馬乗りになられ、身動きが取れなかった。舞子は固く目を閉じた。高野が服の上から片手で舞子の胸を鷲掴みにし、片手をスカートの中に入れた瞬間、ガラスが割れる音がして舞子の上に何かが降ってきた。 高野は舞子の上で動かなくなった。 舞子が目を開けると割れた酒の瓶を持って啓が立っていた。
啓は怒りに我を忘れもう一人の男を殴りつける。 倒れこんだ二人の男を今度は啓が容赦なく殴り続けた。
「啓!もうやめて!」
舞子の声にようやく我に返り啓の手が止まった。
「やっちまった・・・」
「啓は悪くないよ!」
舞子は泣きながら啓にしがみついた。
「まだ生きてるよね、この人たち、救急車呼ばなきゃ。」
「待ってくれ舞子。そんな事したら暴力事件がばれて・・・」
「じゃあどうするの?」
その時、公園の歩道からこちらに向かって誰かが近づいてきた。
「君たち、こんな所でなにしてるんだ?」
大きな紙袋を抱えた男が声を掛けてきた。
「こ、これは・・ おい!大丈夫かこの二人?」
男は紙袋を放り出し、倒れている二人の心臓に耳を当てた。
「こりゃいかん。すぐに人工呼吸しないと、」
男は一人ずつ人工呼吸を施した。
「まずはこれで大丈夫だろ。あとは救急車を呼べば問題ない。」
啓と舞子はただ立ち尽くしその様子を見ていた。
「いやあ、店の仕入れの帰りに酒の瓶を一本どこかに落としてしまってね、来た道を探していたらたまたまこっちで物音が聞こえたもんでね。早く気付いてよかったよ。おや、そっちの彼も怪我してるじゃないか! ん?君は黒潮商業の土屋くんだね。 何があったか知らないが、君は病院に行かない方がいい。この先に私のバーがある、そこで手当てをしてあげよう。
心配ない、ここの場所を教えておけばこの二人はすぐに救急車が迎えに来る。さあ急いで。」
啓と舞子は促されるまま男の店について行った。
「どうだい、痛むかい?」
「いえ、平気です。ご迷惑かけてすみません。 それと落としたって言ってた酒の瓶、たぶん俺が割っちゃいました。」
「そんなこと気にすることはない。それより僕は君の大ファンでね、あの剛速球を見ると実にスカッとするんだよ。ここだけの話、大阪にいるくせに黒潮商業を応援してるんだ(笑)」
「ありがとうございます」
「痛みが無いなら明日は投げられそうかい?」
「明日は・・投げないと思います、こんな事件を起こしてしまって。監督も舞子も裏切ってしまった。 俺、今から警察に行きます。」
「まあ待ちなさい、あの様子を見たところ、余程の事情があったんじゃないのかい?おそらく君たちに非は無いんだろ?」
「どんな事情があれ、高校野球に於いては暴力は不祥事です。」
「じゃあチームや応援してくれている人たちはどうなるんだい?」
「俺には謝り続けていくことしか出来ません。 例え、もしこんな気持ちのまま試合に投げてもまともなピッチングなんてできませんし、一生後悔を背負ったまま生きていく事になると思います。」
「そうか、確かに君の言うとおりかも知れないね。だけど僕はどうしても君が決勝で投げる姿を見てみたい。どうかな、ここはひとつ僕に預けてみないか?」
「何をですか?」
「今夜の出来事を忘れることが出来たら罪悪感を持たずに戦えるはずだね。これから説明する事はとても信じられないと思うんだが、聞いてくれるかい?」
啓と舞子は顔を見合わせてから頷いた。
「僕は長年カクテルなどを作り続け、いろいろ自分で研究しているうちに、不思議な作用のある酒を作れるようになった。 例えば人の記憶を消すカクテル。」
「記憶を消す? まさか・・」
「嘘でもホントでも、今の君たちには試してみる価値はあるんじゃないかい?」
「でも、例え僕たちの記憶を消したって、さっきの二人が、」
「心配ない、さっき僕が二人に人工呼吸をしたろ、あの時口に含ませておいた記憶を消すカクテルを飲ませておいた。今頃はなんで自分たちが病院にいるのか不思議に思っているはずだよ。君たちのことは彼らの人生から消え去っている。」
「まさか、最初からそのつもりで・・」
「ああ、君の頭に酒瓶を転がしたのも僕だ、なにしろ腕っぷしが弱いもんで、他に助ける方法が思いつかなくてね。」
あっけにとられる啓の横から舞子が尋ねた。
「記憶を消すってどのくらいまで消えるんですか?」
「たった一時間の間の記憶だけだ、つまりそれを飲む一時間前からそれまでに起きた出来事が消える。ただし、その一時間に関わった全ての人達の存在が自分の生きてきた人生の記憶から完全に消える。」
「完全に?」
「つまり、今それを飲んだら君たちはお互いの事を忘れる」
「そんなの困ります!私と啓は将来、必ず結婚したいんです」
「ひとつ方法がある、魔法を解くカギを決めるんだ。」
「カギ?」
「つまりはお互いのキーワードや約束だ。せめて、明日の試合が終わるまで今夜の記憶を消したいのなら簡単なものでいい。二つの約束が叶ったときに記憶は戻る。 どうだい?二人の運命、賭けてみないか?」
「俺、やります。」
「私もお願いします。」
「ではまず、これを飲んでもらうよ。」
男は二つのグラスに少量の酒を注いだ。
「これはドライベルモットと言って、ワインに僕がいくつかのハーブを調合したものだ。調合の割合を変えれば、ただの普通の美味しいお酒だ。これは君たちのためのスペシャルな調合だ。大丈夫、今さら飲酒で不祥事なんて気にするな(笑)」
二人は一気に飲み干した。
「次は約束を決めよう。何がいいかな土屋くん」
「俺は甲子園で優勝して必ず黒潮商業を日本一にします!」
「彼女は何がいいかな?」
「私は明日のオーディションに合格して絶対に歌手になります。」
「そうか、では記憶のカギは明日には簡単に開くかもしれないね。そして将来は結婚か。二人とも明日は頑張るんだよ。今夜眠って目覚めたら、明日の朝は今夜の事も、僕の事も、お互いの事もすっかり忘れている。夢の中で二人の脳はそれぞれが居なかった人生の架空の記憶を作り上げる。本当の記憶を取り戻し、いつか二人が結婚したら、またこの店に二人で僕に会いに来ておくれ。その時は有名人カップルの誕生だ、サインを貰わなきゃね(笑)。 では、明日の二人の幸運を祈るよ。」