瞳の奥
関西各地方は、この夏 最高気温へと軒並に上がり
連日、熱帯夜が続いている。
新幹線は東へ東へと私たち親子を運んでいく。
京都も過ぎ名古屋に差し掛かった頃
『ゆき、今は名古屋辺りかな?
僕もそろそろ会社を出発するよ。
何号車に乗っているか教えてね』
『もうすぐ名古屋だと思います。
12号車の進行方向よりに乗っています』
『了解。ホームで待っているよ』
『はい』
名古屋も過ぎた頃、そろそろ退屈してきたのか末息子の機嫌が悪くなってきた。
鋤かさず、兄貴が膝の上に座らせ遊ばせてくれている。
「もうすぐ、窓から日本で一番高い山が見えるからな!」
本で読んだのかパンフレットを見たのか兄貴は弟を諭すように気を反らせている。
いつも こうして 長男は父親のポジションで私を助けてくれるのでした。
残念なことに富士山が見える頃は夕暮れ時、三人の子どもの目に焼き付けることが出来るかどうかは、私も分からない域である。
末息子は、兄貴に何度も何度も訊ねています。
「アニキ、まだ?富士山は、まだ?」
その内、お姉ちゃんの大砲です。
「うるさい!!静かにしろ!!他にお客さんも居るねんから~」
お姉ちゃんに叱られた弟は、私の処にやってきた。
そして、聞き分けのいい子振って
「お母さん、静かにいい子してたら富士山が見えるん?」
「そう、そう。いい子してたら、お山の神さまが見せてくれるかもね」
そうこうしている内に、車窓から富士の山の裾野だけが見えてきた。
天辺が見えなかったことに
お姉ちゃんの一声
「誰かがうるさくしてたからね」
そんな会話をしていたら
アナウンスが流れた。
「まもなく新富士に到着します‥」
私の胸の鼓動が鳴り出した。
子どもたちに聞こえやしないかと思うほど高く響いている。
「航ちゃん、お母さんトイレに行ってくるからお願いね」
私は、洗面所で髪を整え、英に忠告されていたピンクのパール入りのルージュを引いた。
席に戻ると、兄貴は網棚の上の荷物を下ろし、直ぐに下車できる準備を整えてくれていた。
新幹線は、時刻通り彼の待つホームに滑り込んだ。
新幹線のドアが開く。プシュッー!!
ドアから見える処にモスグリーンのスーツを小粋に着こなした紳士が此方を見ている。
一番に長男が降り、次に娘が降り そして次男坊と私がホームに降り立つ。
既に、新幹線が停まった瞬時に 私の目は彼の目を捕らえていた。
手元も気になってはいたが‥
なぜか、その目を離す術が分からず彼の瞳の奥に吸い込まれるように見つめていた。
そして、彼の瞳も確かに私を見つめていた。
突然、胸の奥底から溢れんばかりの何物かが込み上げて 私の目に覆い被さった。
彼が一歩一歩近づいて来るのが ぼんやり見えた。
「よく来たね!長旅疲れたろう」
私に声を掛けた彼は、瞳の奥で何か言いたげだったが‥
彼の目にも光るものを見た私は、感極まり 声を詰まらせ泣いてしまった。
彼は私の背中をポンと叩き
「子どもたちが心配するよ」
そして、彼は長男に寄り添い
「よく来たね!新幹線は疲れたろう‥」
と、長男の肩を抱き長男と握手し、娘とも握手を交わし 一人一人に名前を確認するように呼んでいる。
ただ一人、末息子だけは、私の後ろに隠れてしまった。
人見知りの激しいおチビちゃんを彼は抱き上げ
「よく来たね。おぉ重いねぇ~凜くん」
と、満面の笑みで話しかけている。
「さぁ、航一君。荷物を持つよ」
「大丈夫です。僕が持ちます」
「じゃあ、駅前に車を停めてるから行こうか」
そう言って長男と歩き出した。
彼は、時おり 後ろを振り向いて私に目で合図します。
その瞳の奥は、
「ゆき、逢いたかったよ」
そう言っている気がした。
助手席に長男が乗り 彼は車を走らせた。
彼は、頻りに長男に話しかけている。
どうやら、関西との気温の差を説明しているようだ。
その時、携帯の着信音か鳴った。
私は、鞄のファスナーを開けようとすると‥
なんと、彼の電話の着信音だった。
長男は、私を見て不思議な顔をしている。
長男が何を言いたいのか解った私は、あとで彼に訊ねてみようと思った。
彼に掛かってきた電話の相手方は、専務さんだったらしい。
「航一君、お腹空いたろう?」
「はい!」
「ごめんよう~航一君たちが来ると聞いて、みんながホテルで待っているんだ。あと少しだから‥我慢出来るか」
「はい」
「ゆき、いいね!!」
「はい!」
「孜さん、さっきの携帯の着信音だけど、私と同じなんですが‥」
「えっ、本当なの?」
「はい!」
「確か、このオルゴール曲は、娘の婿がきれいな曲だからと送ってくれたんだよ。しかし、驚いたね。ゆきとは不思議なことばかりだね」
まさに奇跡の出来事でした。
彼が運転する車は 私たち親子を乗せ、河口湖の側の一軒のホテルに着いた。
辺りは、もう真っ暗。
ひんやりとした外気が 今朝までいた関西とは違う季節感を感じた。
子どもたちの眠気も体の芯にまで染み込むような湖畔の風にピシッと背筋が延びたようだった。
末息子も、いつもなら そろそろ眠くなる時間ですが、少々 緊張気味なのか私から離れようとしません。
私たちは彼に続いてロビーに入った。