本音と建前
お昼休みでした。
今日は比較的 来客も少なく社長も席から離れることも無さそうでしたので思いきってお願いをすることにした。
「社長、来週、四日間ほどお休みを頂けないでしょうか?」
わが社の社長は、私より二つ年上で、機嫌の良い日と悪い日が目に見えて分かる人なのでラッキーでした。
私の席は、社長と社長の奥さまに挟まれ いつも夫婦喧嘩の仲裁に入らなくてはならないような状態で、この日は、どちらも機嫌が良かったのです。
「何かあったのか?」
「いえっ、何もありませんが、もしかすると私の人生を左右する重要な四日間になりますので、申し訳ないのですが‥お願いします」
社長は苦笑いをして
「仕方ないなぁ~許可しよう」
と、案外すんなりとお休みが頂けた。
私は、社長との話を早々に切り上げ、いつもの場所に急いだ。
そこは、お昼休みの珈琲一杯の私の癒し空間です。
いつもの店のいつもの場所から彼にメールをした。
『お昼休みですね。今ごろ、あなた様は食事を済ませプレミューラに火を点けられたところでしょうか?煙草は控えめにお願いしますよ』
すると‥
『その通りだよ。雪乃さんは、見えているようなことを言うんだなぁ~驚いたよ。僕の煙草の銘柄なんて!?なぜ、分かったの?』
『なぜかしら!?目を瞑るとあなたが見えるの』
『えっ、本当なの。
雪乃さんには、そんな力があったの?』
『嘘だよ!!この前送って下さった貴方の写真を挟んでたのは、煙草のカートンだったでしょ』
『そうだったかな!?びっくりしたよ』
『会社のお休みが取れました。いよいよ逢えますね!!』
子どもたちは、勿論、私も気持ちが高まり ウキウキして仕事も上の空。
そんな折り、彼からの冷酷極まりないメールが届いたのだ。
昼間、愉しいメールを交わしていた筈なのに、同じ人物と思えない思いたくないメールが送られて来た。
『雪乃さんは良識ある女性だと信じている。
今回の旅行は、あくまでも子どもたちに夏休みの思い出を作って欲しいと思っている。僕は、雪乃さんの父親代わりだと思っているよ。だから、この先、僕のことは、パパと呼んで欲しいんだ』
なぬ!?
このメールが意図していることに理解に苦しんだ。
要するに彼は、私には特別会いたくはないと言うことなのでしょうか?
私は、そのメールに返信をせずに冷静に考えてみようと思った。
私と彼のことは、親友の倫子には話している。
私は倫子に相談した。
倫子は、このメールの分析を納得出来るように説明してくれた。
つまり、彼は私と現実に会う日が押し詰まってきて慌てて予防線を張って来たのではないか?
倫子は、いきなり
「雪乃こそ、どう思ってんの?」
「どう思ってるって?」
「彼のこと、好きなんでしょう!彼とどうなっても構わないと思ってんでしょ」
私は頷いた。
「もう、彼は雪乃の気持ちがお見通しなのよ!だから、予防線を張って来たの」
「じゃあ、彼は私のことを好きではないの?」
「そんなこと知らないわよ。彼に聞きなさい!!
ただ、私が思うには、僕は父親代わりだよ~、改めて言うってことは、雪乃にそんな恋愛感情は持たないで欲しいと言ってるように聞こえるな~自分にも言い聞かせているんじゃない?」
これは、私と倫子が想像してることで本当の所は分からない。
「どうこう言っても後三日、行くんでしょう」「子どもたちも楽しみにしているし‥」
「子どもたちじゃないわよ。あんた、好きなら好きでちゃんと伝えておいで!!」
「でも‥彼の気持ちを思うと何も言えないよ」
「バカ!!何しに行くのよ。焦れったいオバサンだね。会って戻ってきて後悔して、悶々とした日を送るのかい!!行くなら、ちゃんと伝えてきな~雪乃のためだよ」
倫子は吐き捨てるように強い口調で私を宥めてくれた。
後、三日で彼に逢えると心此処に有らずの状態から一気に奈落の底に堕ちてしまった。
その夜、思わぬ人から電話があった。
「雪乃ちゃん、あたし!分かるぅ~?」男の声なのに、あたしって言うのは一人しかいない。
「お~おぉ、久しぶりぃ~どうしたの?英?」
「あの人がね。雪乃ちゃんが子どもを連れてUSJに来るって聞いたから、あたしも行こうかと思って電話したの」
「そぅ、来るといいよ。子どもたちも喜ぶからさ!ところでいつ?」
「えっ、今週末じゃないの?」
「今週末は、ダメよ!!私、居ないから‥」
英の話では、うちの子どもたちの為に母がUSJの計画をしていた。
どうせ大阪まで行くのなら少し足を伸ばして 母の姉を誘って京都の大谷廟にお詣りに行くとのこと。
英は、母の姉の息子で私とは従兄同士。
英が呼ぶあの人とは、英の母親のことだ。
私の叔母のことである。
「今週末、どこへ行くのよ」
私は、なぜか英に全てを打ち明けてしまった。
幼い頃から、英は、私より三つも年上のくせに
「お姉ちゃん」と呼んでいた。
それには、深い訳があって、私たち二人の間には誰にも言えない小さな秘密がいっぱいあった。
英は、私の前でよく泣いていた。
英とは、この時 十数年振りだったが、何も隠すことなく本音で話せた。
また、英も本音で私を叱りつけた。
「そんな危ない綱渡りはするな!!」と。
英は、私をたしなめるように言った。
「お願いだから危険な真似はしないで。まだ会ったこともない。誰とも分からない人と間違いが合っては行けないし、まして子どもたちを連れて行くなど言語道断!!姉さんが考えることにしては、少し用心が足りないでしょ~」
「まだ見ぬ人を好きになっちゃったんだから‥仕方ないでしょ。まだ会ってもいないのに何も始まらないわよ。もう行くと決めたの」
「これだけ言っても行くのなら止めないけど、必ず連絡は頂戴ね!絶対だよ」
「うん、ありがとう」
「それから、姉さん、魅力的にして行きなさいよ」
「魅力的にって?」
「姉さん、昔っから男っぽいだから‥ちゃんとお化粧して口紅はピンクのパールよ」
「分かった!分かった!」英は、母親が娘に教えるように私に言った。
英は小学校五年生の時、私に秘密を打ち明けた。
「雪乃ちゃん、僕は男だけど気持ちは女なんだ。だから、雪乃ちゃんのスカートを貸して欲しいの」
私は、英の言葉を素直に信じた。
「スカートでも何でも貸してあげる」
英は、うちに遊びに来るとそうやって私の洋服を来て鏡の前に立っては、アイドルの物真似をして見せてくれた。
その時は何も分からない私でしたが‥後に英は同一性障害に苦しんでいたことが分かった。
今の時代に生きていれば また違った人生があったかもしれないのに。親にも認められず 回りからは白い目で見られ変態扱いされ、想像絶する苦しみに打ちひしがれていたことでしょう。
私が遠い昔、英のことを信じたように
きっと、この時 英も私を信じてくれたのだと思った。
このこともあり、私は一つの決心をした。
最寄りの駅は、観光客で混雑していた。子どもたちのウキウキした足取りは、私に手間を掛けずに
その中をすり抜けホームにやって来た。
末息子もコロコロと後ろを着いてくる様は、嬉しくてしかたないのだろう。
三泊四日の長旅は子どもたちも初めてのこと。
夏休みに入って早々に私は子どもたちを連れ新幹線に乗り込んだ。
新幹線に乗り込み落ち着いたところで昨夜認めていたメールを彼に送った。
題名は【本音と建前】
『今回の旅行を招待くださりありがとうございます。
思えば、貴方と知り合ってお友だちになって一月。
貴方は深い愛情で私たち親子を包んでくれています。
父親の代わりに甘えてくれればいいと仰ってくださいましたが、私は段々と貴方の全てが知りたく、貴方に逢いたく‥今では父親以上の気持ちで接している自分に気づきました。
でも、貴方に迷惑が掛かるのなら、私は、この気持ちを抑えなくてはならないのでしょう。それでも、父親代わりだと仰るなら父が呼んでいたように“ゆき”と呼んでください』
そして、このメールを読んでくれるだけでいい、後は自然に任せようと思った。
告白をしょうと決意して向かいましたが‥やっぱり私には そんな勇気を持ち合わせていなく このメールを送るのが精いっぱいだったのでした。