12年が経ち(あとがき)
あれから12年の歳月が流れています。
私は、その後 濱本と再婚し 今でも幸せに暮らしています。
でも‥この結婚生活も紆余曲折を経て、今があり、
何度も何度も挫けましたが‥彼との約束を破ることは出来ない。
彼が勧め決意した再婚を途中で投げ出す勇気がなかった。
そんなある年、母の看病に没頭し、子どもたちの受験とが重なった年、
濱本は何かに取り憑かれたようにギャンブルに狂い莫大な借金を作った。
生活もままならぬ時期、
母が亡くなり、泣くに泣けず泣きずがる胸も失く
一度だけ、彼に愚痴った時があった。
「ゆき、逢おうか?」
私は迷うこと無く彼に逢うことにした。
実は、彼の古稀の御祝いをしたかったからです。
彼は、老年期をのんびりと過ごしているのかと思いきや、なんと、県の職員になられ任期真っ只中の忙しい身であった。
会社は、息子さんに譲られ実質上、引退をされたとのこと。
それでも、毎日、県庁へ出勤してるとのこと。
なによりも、健康で美しく古稀を迎えられたことと、慣れない県職員でのお役目を全うされることへ 心から敬意を払いたいと思ったからです。
「来週、記者会見があるんだよ。何をどう話そうかとドキドキだよ」
「いつものあなたで良いのですよ。日頃、考えておられることを私に話しているように噛み砕いて誰にでも解るようにお話されれば良いと思いますよ」
「そうだね。ゆきの言う通りだよ。ところで、子どもたちは、もう大きくなったろうね」
「はい。航一は大阪の柔道整体士の学校へ、耀子は長崎県の高校に行っています」
「おちびちゃんは、どうしてるかね、もう中学生だね」
彼は懐かしそうに目を細め微笑んでいましたが、なんと目には光るものが見えました。
「ゆき、よく頑張ったね。あと少し、あと少しすれば楽になれるさ〜」
「あなたのお陰です。ありがとうございます。あなたも無理しないでね」
私たちは、お互いを労り合い三島で別れた。
そして、三島で別れてから四年が過ぎた現在。
おちびちゃんも、なんと日本でも有数の進学校へと入学。
お姉ちゃんは、教師を目指し、お兄ちゃんは整体士として日夜、頑張っています。
時が経つのは、早いもので‥
濱本と再婚して11年、今
思うと彼との出会いがあったからこそ、
濱本との結婚生活が送られ、
子どもたちがぐれることなく成長出来たものと、
彼にも濱本にも感謝しております。
今、彼は、全てのものから解放され、ゴルフ三昧の日々を送っておられるようです。
今は時おり交わすメールで子どもたちの成長を楽しみにしてくれています。
2012年
三島駅は五年前に比べて 少し洗練されておりました。駅前ロータリーも広々とし連休初日の旅行客で ごった返していた。
待ち合わせ時間より早目に着いたのでカフェでアメリカンを注文した私は、LOFTで購入したバースディカードに目を落とした。
私たちの間柄は説明つかないが‥
プレゼント一つにしても 決して形に残してはならぬことは理解しているが 余りにも可愛らしいカードに目を奪われた。
真っ赤な金魚が桃燈飾りのように飛び出してくる。カードから取り外せば風鈴のような形態になる。
言葉は添えられない、金魚が取り付けられている台紙に
「お誕生日おめでとうございます。これからもお元気で活躍してください」
そう添えた。
待ち合わせの11時になった。
改札口で待っているであろう彼を探した。
背後から近づいていくと 直ぐに気がついたのか
「やぁ〜着いていたの?」
「はい、隣のカフェで‥」
「電話もメールもしたけど‥出なかったよ」
「あらっ!?ごめんなさい。気がつかなかった」
そうではなく、彼とのほんの僅かな時間を誰にも邪魔をされたくない私は、携帯の電源を切っていたのだ。
彼の車は御殿場に向かった。正規の道は渋滞中とナビで確認した彼はゴルフ場が蔓延る抜け道を走る。
「ここまで来たんだから、ゆきには富士山を見て帰って欲しいからね!山梨へ行こう」
「私には構わないでください。時間が無いので‥あなたに逢えただけで十分です。これから山梨に向かっても、また私を三島まで送り、また、あなたが混雑した道を山梨へ戻ることを考えると、こちらで ゆっくりしましょう」
そう言うと彼は了解してくれた。
「じゃ、蕎麦を食べに行こうか?美味しい処があるんだ」
「はい!」
御殿場の山間の細道を登った処にある一軒の民家へ。
「小羽根山手打ちそば」
そんな看板が目に入った。自宅と併設された民家風の店内は満席。
気が短い彼は待ち時間が どうも苦手なようだ。
私たちは、長閑な里山の風景をぼんやり眺めながら近況を話した。
僅かな時‥会話は尽きない。
「ゆきの家はオレンジの屋根だったね」
「そうよ。突然にどうしたの?」
「あの日、遠くからだったけど、ゆきがあれが私の家よって教えてくれたんだったね!」
「そうだったね!」
「堤防から見えたよね」
「そう!なんでそんな事を思い出したの?」
「あれは、夢だったか、いやっ、本当だったんだね、何だか最近は断片的しか覚えがなくて‥でも不思議とゆきの顔は鮮明に浮かぶんだよ」
私は笑顔を見せた。
「それから、何処からかの帰えりに、ゆきが新幹線に向かって手を振ってるのを見つけた時は、感動したよ!!」
「あれは、広島からのロータリーの旅行だと言ってたわよ」
「そう、そうだったね。本当に不思議だね。ゆきとは不思議と繋がっているんだよね」
「何だか小さな子が嬉しがって新幹線に手を振ってるみたいで恥ずかしかったんですよ」
「初めて会った時は、凜也君は、幾つだったかな?」
「凜也は早生まれだから‥あの時は3才でした」
「そっか、こんなにちっちゃかったもんなぁ~今は高校生か、12年か!?随分昔のような気がするね。12年しか経っていないんだね」
「そうです。この12年間、貴方は目まぐるしく人生が変わってしまったからではないでしょうか」
「そうかもしれない!会社は息子に譲り、県の職員になってしまっていたからね」
「本当に頑張れましたね」
「実はね、ゆきには言ってなかったけど任期を終えた昨年 体調を崩していたんだ。何処が悪いってことはなかったんだけど‥精神的に辛くてね‥何もやる気が起こらなくて」
「そうだったんですか?息苦しくなかったですか?」
「息苦しかったよ。呼吸困難になって‥」
「自律神経失調症ですか!」
「そうだったようだ」
「それほど任務中、重い責任を化せられていたのでしょうね。お疲れさまでしたね。
何か見つけなくっちゃね。これから何か新しいことに挑戦してみてくださいね」
「そうだね。ゴルフも先月は梅雨時でもあって二度ばかしだったし‥」
「そうだ!!スマホを諦めたって言ってたじゃない?頑張って克服してみたらどう?」
「あぁ~、頑張ってみるか!」
「買ったんでしょう?」
「そうさ、二ヶ月前に買ったけど使いこなせなくって‥以前のPに戻したんだ。だから、この携帯は二年も使っているよ。ゆきにスマホあげればよかったね」
「私は、いいですから~あなたが使いこなせるまで頑張って見てくださいよ」
「じゃあ、頑張ってみるかな」
「はい!」
靴を揃え通された席は相席。
隣の御夫婦らしきカップルも会話がない。
勿論、私たちも敢えて会話が進まない中、
メニューをチェックした彼は、
「天婦羅せいろを二つお願いします」
私には訊ねることもしない。
多分、聞けばこう答えるに違いない。
「此処の天婦羅せいろをゆきに食べさせたかったんだ!!」
私が好き嫌いがないのは知っておられるが‥ワンマンなのは確かである。
なるほど‥
運ばれてきたその天婦羅せいろには驚いた。
二八蕎麦に天婦羅がデカイ!!
全て自家製というから大したものだ。
「ゆき、食べなさい」
そう言った彼は休まず食べた。
私は胸を撫で下ろした。
痩せ細った彼の体つきを見ていて心配していたのだ。
これぞ!正に、老体に鞭打って私に逢いに来てくれたのかと不安だったのだ。
「ゆき、どうしたの?」
「ねぇ、孜さん、これは何の天ぷら!?」
「それは餅だよ!!旨いよ、食べてごらん」
「お餅ですか!?わぁー初めてだー」
「えっ、そうなの!?初めてなのか」
「はい!でも‥これ一つでお腹いっぱいになりそうね」
「あぁ〜、腹持ちいいからね。食べなさい」
彼は、全てを食べ終え満足そうだ。
「今夜は誕生日祝いにと息子の家族が懐石料理の席を用意しているようだ」
「そうですか、それは良かったですね」
「あぁ〜」
「息子さん家族って!?再婚されたの?」
「あぁ〜裁判に長く掛かっちゃったけど今年、女子社員と結婚したんだ」
「そうでしたか。では、もう安泰ですね」
「子供は女の子が生まれたよ」
「女の子でも男の子でもどちらでもいいですよ。可愛いでしょ」
「いやぁ、元々、子供の扱いは苦手だからね」
「あらっ!?貴方が言う言葉とは思えませんね〜もし、あなたが任期中に大津のような事件があったら‥と思うとヒヤッとしちゃった」
「そうだね!!あそこまでなる前に、全てをさらけ出すべきさ!!してしまったことは、もう取り返しが付かないんだよ。隠蔽なんて悪いことは裁かれるようになっているのさ」
「その点、あなたは会社でもどこでもガラス張りですものね」
「そう!人間、正直が一番さ」
私たちは、小羽根山を出て246を走った。
確か、このまま進むと東京に着く道だ。
昔々 彼は、この道を東へ東へと朝方仕上がった仕事を東京の得意先へと持ち運んでいたのだろう。
雪の日も風の日もなく 明けても暮れても毎日毎日
今なら考えられない険しい道のりだったに違いない。
そんなことを12年前に彼に聞いた話を思いながら運転している彼の横顔を見た。
老いは容赦なく彼を蝕んでいっている。
彼の歴史が年輪として顔に刻まれている。
お逢いして直ぐに足を少し痛めているのも分かった。
敢えて聞きはしない。何故なら そこは彼のプライドの領域であるからだ。
そういえば、濱本と一緒に六月末日から嵐の中訪れた長崎での葬儀。
亡くなった叔父は、72歳。肺がんだったようだ。その上の叔父76歳が棺にすがり付いて泣いていたのが印象的だった。
76歳の叔父は、めっきり足腰が弱っており杖を付いての歩行だった。
弟が亡くなったことに精神的に大きなダメージが歩行を妨げていた。
私は初対面ではあったが駆け寄り手を添え歩行に付き添う。
「あんた誰!?」そんな顔付きで私を伺った叔父に
「清司の嫁です。初めまして」
とニッコリ笑うと叔父は、満面の笑みで微笑み返してくれた。
3メートルほど離れた後ろから叔母が付き添ってくるのが見えた。
叔父より一回りほど 年下かしら?
そう思ったが、後で濱本に聞いたところ、なんと24歳差‥
私は複雑な思いで胸がいっぱいになった。
もし、もしも、
濱本と知り合っていなければ 私たちの年齢差‥24歳を克服出来ていだろうか!?
こんな思いを胸に‥、この時私は、彼に逢ってみようと強く思ったのだった。
御殿場の天候は晴れたり曇ったり‥
彼が、
「ゆき、あの花は何ていう名前だろうか!?」
あれは確か近所にあるホームセンター前の街路樹として植わっている、妹の家の庭木にもまみれている黄色の‥え〜っと え〜っと思い出せない!?
「ごめんなさい。喉の奥まで出掛かっているのに名前が浮かばないの」
「そっか、また思い出した時でいいよ、もう紫陽花は終わりだろうね」
「関西では、もう終わりましたね」
「こちらは、少し残っているところもありそうだな」
あちらこちらの道々に紫陽花が まだ美しく咲き誇っています。
すると一軒のお屋敷の庭先にピンクの「カシワバ紫陽花」を見掛けた私は、
「ねぇ、孜さん、カシワバ紫陽花って知ってますか?」
「いやっ、初めて聞く名前だよ」
「うそっ、関西ではポピュラーにどのお宅にもある紫陽花よ。っていうか、三角形の花片に柏の葉に似てるからそんな名前が付いたらしいの‥」
「そうなんだぁ〜見たことないよ」
「孜さんでも知らない花があるのね」
そういえば五年前も沼津の街中で見掛けた薄紫の花が気になったらしく、
「ゆき、あの花の名前は何ていうの。こちらに来ると見掛ける花なんだが地元には無いんだ」
そう言ったことがある。
私の地元では畑などにもよく成育している多年草だと思って調べてみた。
直ぐに彼にメールをした。
『あの薄紫の花の名前はアカバンパスです』
私たちの間で昔っから花の会話は比較的長く いつまでもいつまでも続くのです。
「ゆき、珈琲を飲もうか?」
「はい!」
山間にひっそりと佇む『アンの館』っていうお店に車を停めた。
入り口には もう咲き終わったカシワバ紫陽花の鉢植えが目に入った。
入り口を開けると瞬間 此処に来たことある‥
夢で見たのかな?
雑誌で見たのかな?
テレビで見たのかな?
不思議な感じがしました。
再び訪れたような懐かしい気がした。
席に着くと彼は、
「ゆき、珈琲〜アイスにする?」
「はい!アイスコーヒーで」
「じゃあ、僕はブレンドでね」
何故なのか よく分かんないけど こうして 私の注文を頼んでしまわれる。
まぁ、いいか!?
今日は梅雨明けを思わせるような暑い日になったし。
「あっ、そうだ!!」
私はバッグの中から金魚のバースディカードを取り出して彼に手渡した。
「可愛いね!!」
「でしょ。コメントは書いてないの。書かない方が飾れるかなって思って」
そう言って素早く金魚を組み立てると彼は、ニコニコして嬉しそうだった。
「ゆき、その後 どうなんだぁ〜?」
「どうって何がですか?」
「濱本さんは?」
「あの時は離婚も考えましたが、子どもたちの父親で居させて欲しいなんて土下座なんかして‥今は、凄く真面目に働いてくれています。定年後も働かないといけないなぁ〜とか言って」
「もう、安心だね」
「でも、とにかく口煩く、子どもたちには厳しく‥」
「そっかぁ〜」
「昭和初期の人間か!?なんて思うほど厳しいの」
「ゆき」
「はい」
「良かったんだよ、濱本さんを選んで!ゆき、正解だったんだよ」
彼が、何故 こんなことを言ったのか?
多分、ご自分が再婚を勧めたことに責任を感じていしたのでしょう。
「子どもたちが立派に育ったのは濱本さんが厳しく躾してくれたんだよ。昨年、山梨でね、高校卒業した春休みに男女四人が深夜の自動車事故で女子二人が亡くなったんだ」
「そうですか〜」
「その時に思ったよ。運転していたもの誘ったもの学校側とか‥責任を擦り付けてはいたが、一番は家庭の躾だよ」
「そうでしょうね!我が家なんて二十歳を過ぎていても門限に厳しく言ってますから」
「それでいいんだよ!まだ18歳の子を深夜にフラフラさせているなんて考えられんよ」
彼の任期中にも これと似た事件が何件かあったようだ。
モンスターペアレントなんて言うが 今の親は我が子は可愛いが怒って繋がりを失いたくない。子どもに気を遣いながら 何かが起こると人のせいにしたがることを ズバリ切り込んでくるのでした。
「昭和初期で結構さ。濱本さんみたいな人は少ないよ。子どもにとっても良かったんだよ、ゆき」
私は、にっこり微笑んだ。
この時、今回 彼に逢って 彼からこんな言葉が聞けたこと 嬉しく思った。
濱本を認めてもらえたというか‥
あの時、悩んで悩んであるだけの涙を流し 新たな道を選択した私だった。
彼も私たちが幸せになって欲しいと願ってくれていたに違いないと心から彼に感謝することが出来た。
もう、これで最後かもしれない。
「元気でいれば、また逢えるさ」
彼がいつも言う台詞。
でも‥
元気でいることなんて永遠じゃないじゃない。
そんな言葉、今の彼を見ると受け入れることは難しい。
お願い
神さま
もう、逢えなくてもいいの
彼の この先の人生 穏やかに過ごさせてください。
不自由に運ばれている足をどうか自由にさせてあげて、
痛みがないと言われていたけど この先も ずっと痛まないように差し上げて
もしも また機会が合って逢えた時には‥
あなたに寄り添い夜空を見上げましょう。
満月が私たちを照らしてくれるはず。
[完]




