別れの足音
『孜さんは、もう 私が嫌になったの。もう 私と別れたいと思っているの?』
『ゆき、何を言ってるの。僕の気持ちは変わらないよ。ただ、僕は、ゆきのこと子どもたちのことを考えると、このままで良いのかどうか迷っている』
『何を迷っているの?私は、このままで、充分しあわせなのよ!!』
『縦しんば、ゆきは幸せでも子どもたちには、この先 父親が必要となってくるさ。濱本さんが好い人なら子どもたちを託すべきだよ。濱本さんは、どう言ってるの』
『三人の子を育てたいと言っているわ。でも‥私の気持ちは どうなるの?』
『ゆき、濱本さんのことを嫌いじゃないなら大丈夫だよ』
『きっと、あの人との間には愛なんて生まれないわよ』
『それでいいんだよ。熱した物は、いつかは冷めるんだ!始めから熱してないものは、徐々に温めあえるさ』
『孜さんの私への愛は冷めてしまったというの?』
『ゆき、ゆきをどれほど愛しているか、なぜ、分かってもらえない?』
『孜さんの話を聞いてると別れ話にしか聞こえないよ』
『本心を言おう!!
ゆきを誰にも渡したくない。
僕の傍にいて欲しい!!
今すぐでも ゆきを抱き締めたい!!
でも‥濱本さんの話を聞いて、自分の身勝手さでゆきの幸せを奪うことは出来ない。
僕には出来ないことを濱本さんなら出来ると思うと悔しいが仕方のないことだ。
ゆきが入院したと聞いても居てもたっても居られないし‥ゆきが寂しい時も、傍にいてあげれない。
僕には、何一つ出来ないんだ!!こんな老い耄れが何を血迷っているのか、ゆきを心から愛しているからこそ、僕は、濱本さんに託したいと思っているんだよ』
『解った!!もう一度だけ、もう一度だけ逢えませんか?』
『解った。どうにか時間を作って行くよ』
その時、私の心の中に古い歌が聞こえてきた。
♪〜
別れることは辛いけど
仕方ないんだ
君のため
別れに星影のワルツを歌おう
冷たい心じゃないんだよ
冷たい心じゃないんだよ
今でも好きさ 死ぬほどに
彼に逢いたい。
逢って、もう一度二人の愛を確かめ合いたい。
私は、こうして 彼の気持ちも考えずに 自分の気持ちだけの堂々巡りに明け暮れていた。
彼の傷みをも解ろうとしなかった。
『ゆき、やはり忙しくて そちらへ行けない。子どもたちが此方へ来るときに ゆきも来てくれると助かるんだが』
『子どもたちとの約束は、もういいですよ。気を遣わないでください』
『それは駄目だ!約束は約束だよ。子どもたちを裏切ることは出来ないよ。春休みを待ち望んでいたんだから』
そういえば、子どもたちは学校の冊子の絵には富士山を描き、工作の木彫りには富士山を彫り、あの夏休み以来、頭の中から富士山が離れないらしい。
そこまで、強烈に心に刻んでくれたのだと考えると夏休みの思い出作りは、彼に感謝している‥きっと、春休みの旅行も楽しみにしているに違いないと思う。
四月に入り、私は長男と長女だけを新幹線に乗せた。
『今、新幹線に乗せました。三島には11時前に到着する予定です。どうぞ宜しくお願いします』
『ゆきが来れないのが残念だよ。子どもたちの事は心配要らないよ。僕に任せてね』
彼からのメールは、呆気ないものでしたが、よくよく考えてみると、私の子どもだから大事に思ってくれていたのです。
彼は、子どもたちとの約束を守るために招待しただけではなく、私の為に子どもたちにもなるだけの愛を注いでくれていたのです。
彼の言っていることに少し耳を傾けてみよう。 彼は、私の幸せだけを願ってくれているに違いない。彼の為に、幸せになろう‥
一人残された末息子を宥める為に、動物園に向かった。
偶然というものは、これほどまでにタイミングよく巡ってくるのかと思うほど、不思議なもので、濱本さんから電話が掛かってきた。
「今、どちらにいらっしゃいますか?」
「今、息子と動物園に向かっていますが、濱本さんは?」
「私は、今 駅に着いたところです。これから、ご自宅に伺おうかと思っていたのですが‥」
私たちは三人で動物園に行くことになった。
子どもたちの富士山の旅は、またまた感動的だったようで、帰ってくるなり 夢中で喋りだした。
彼と専務さん、それに相沢さんの大人三人が、この子たちの為に忙しい時間を裂いてお世話してくれたのかと思うと なんだか申し訳なく 彼の愛情の深さを思い知らされる私でした。
『子どもたちは、喜んで帰って参りました。
専務さん、相沢さんにも大変お世話戴いてありがとうございました。
お二人にも宜しくお伝えくださいね』
『気にすることないさ。二人とも楽しんでたよ。それに航一君も耀ちゃんも、しっかりしてるね!!』
『まだまだ甘えん坊です』
『大丈夫だよ!ゆき、子どもは宝だからね。
一生懸命育てるんだよ。必ず、ゆきの糧となるよ。
僕は、この子たちなら、ゆきを任せられると思ったよ』
『子どもに任せるの?』
『いい子たちだよ。きっと大物になるぞ!楽しみだよ』
『あなたは見守って頂けるの?』
『それは、濱本さんの役割だ。子どもたちを頼んだよ』
それっきり、彼からの連絡は途絶えました。
私は、子どもたちの新学期の始まりとあって、忙しい日々のお陰で彼との別れも薄らいでいた。
いや、二人の絆はお互い強く結ばれていたのかもしれない。
遠い空の下で、彼が元気にいることだけが私の幸せだった。
メールもなく、連絡もなくなってもお互いの幸せを思い続けていた。
新緑の頃、母の誕生日に招待され 子どもたちと一緒に実家に帰った私は、注文していたケーキを取りに外出した。
運転中、メール着信音がなった。




