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瀬田西の夜

三月に入り、仕事も年度末の煽りなのか毎日の残業にうんざりしていたある日、



昼休みだった舶来茶館で珈琲を飲んでいた時だった。



『ゆきは今、舶来茶館にいるのかな?』



彼からメールが来た。



『よくご存じで』



『今、僕はゴルフ中だ!!ハーフを終え食事中なんだが、今日の泊まりは滋賀県だ。


ゆきには言わずにおこうと思っていたが、こうしてメールをしてしまっている駄目な僕だな!!』




『明日の予定は、どうなんですか?』



『前にも言ったように、今回は無理なんだ。明日は信楽でのゴルフだよ』



『解りました。今夜、伺います!あなたに逢いたい!』



『ゆき、無理はしないでおこう。またの機会にしょう』



『なぜ!?メールをしてきたの?私が可能なら逢いたいと思われたのではないですか?』



『お見通しなんだね。でも無理しちゃ駄目だよ』



『解っています。仕事が終わってからになるので遅くなりますが』



『それは、構わないが、子どもたちの事は、ちゃんとしてきてね!!

瀬田西駅前だよ。分かるかい?出来たら、そちらからタクシーを飛ばしておいで。料金は心配しなくていいから』



『何を馬鹿なことを言われるのですか?


うん十万もするわよ!!大丈夫、なんとか乗り継いて参ります』



『何かあったら大変だ!お願いだからタクシーで来て欲しい』



『了解』




勿論、タクシーでなんて行くつもりはなかった。


それより、残業を断ることに勇気もいった。




即座に家に帰り 夕飯の支度、明日の朝の準備 完璧に済ませた。



最寄りの駅を発ったのが20時前、これまで琵琶湖へは墓参りに何度か訪れてはいたが‥

瀬田西‥

初めて聞く駅名だ。


二つの県を跨いで、この時間に どのルートが的確かも未知の世界であった。


新幹線で京都入りしても、その先の在来線となれば迷ってしまえば到着しないかもしれない。


私は、咄嗟の判断で新大阪まで新幹線だ!!


そう思って、新幹線に飛び乗った。



新大阪に着いたのは21時半に差し掛かろうとしていた。


新大阪から東海道本線に乗り換えてはみたものの新快速は無い。


この時間ともなると快速電車しか 私を運んでくれるものはない。


途中、巧い具合に各駅電車に乗り継ぐことが出来た。


『あと、15分で到着します。遅くなってごめんなさい』



『遠いところ、悪かったね。駅前のビジネスホテルに部屋607号室を用意している』



瀬田西に着くと、23時が過ぎようとしていた。

見知らぬ駅に降り立ったが‥

この駅の向こうには彼がいるのだと思うと、深夜の静寂が温かな光に包まれているように思えた。



ホームから駅前通りに下りる階段の先には、マクドナルドのサインだけが煌々と夜空を照らしていた。



見上げたその夜空には、なんと満月が微笑んでいた。


なんという偶然なのか‥

数えて数えて待ちきれなかった満月が私を迎えてくれていたのだ。



初めて降り立った瀬田西の夜空に。




私は足早に駅向かいにあるビジネスホテルに入った。


ロビーで待つ彼は、ホッとした面持ちで私を迎えてくれた。


私たちは、人目を忍び607号室のドアを開けた。



三月の満月が、天空に差し掛かった頃‥私たちは、やっと逢えた。




狂おしいほど、彼に飛び込み抱き合った。


言葉なんて要らない。


お互いががむしゃらに求め合った。


もう、帰る場所すら要らない。


あなたの傍に居たい。


ゆきが、こちらへ向かっていると思えば思うほど‥もう離すもんかと思ったよ。


ゆきと、このまま 知らない処へ行ってしまおうとまで考えたさ。


ごめんね。ゆき、此処まで来ててゆきに逢わずに帰るわけにはいかないと思ったんだ。



私たちは、夢中で愛し合い愛の言葉を交わし合い近況を報告した。


そして‥


報告の一部として濱本さんのことを打ち明けた私は、後悔した。




「ゆき、ゆき」


彼の喚ぶ声で目が覚めた私は、朝の陽も昇らない時間に飛び起きた。


彼は、きっと眠らなかったんだ。



昨晩の逢瀬の痕も消え去り部屋は、綺麗に整頓されていた。


「ゆき、身支度をしなさい。ロビーまで送るから‥それから‥」


そう言って彼は口を瞑った。


とにかく始発に乗るために私は急いで支度をした。


漸く、準備が整ったことを確認した彼は、


「ゆき、ゆきが 夕べ 話してくれたことだけど‥僕も、もう少し考えたいんだ」



「私が夕べ、話したこと?」



「あぁ、濱本さんのことだよ」



「濱本さんのことを、なぜ あなたが考えるの?その話は、ちゃんとお断りしたって言ったでしょう」



「それは、失礼だよ!!彼も真剣に考えてのことだと思うよ。だから、ゆきも考えなくてはいけないよ。子どもたちの事もだ。ゆきは、まだ若いんだから」



「ねぇ、私は、何のために此処まで来たの?誰に会いに来たの?」



「それは、僕だって同じだよ。ゆきが眠ってから悩んだよ。自分の思いだけを ゆきに押し付けているんじゃないか!?僕の子どもをゆきに産んで欲しいほど、ゆきを愛しているんだ。でも、これは身勝手で不条理なことだよ。だって、ゆきを死ぬほど愛していると言っても、ゆきをどうしてあげることも出来ない。自分を捨てることも出来やしないのさ。僕は、何一つ ゆきを幸せに出来ないんだよ」



「なんで?今更そんなことを言うの?今、あなたが言ったこと‥全て初めから解っている事。そんなあなたが好きなんだから仕方がないことでしょう。私は、あなたを愛することも許されないの。こんなに愛しているのに‥私が余計な事を言ってしまったからね!!ごめんなさい!!夕べ、言ったことは忘れてください。あなたには関係ないことですもの」



「ゆき、この話は、お互い もう少し、冷静になって考えよう。さぁ、時間だよ」



私は、冷たい風に吹かれて駅のホームに腰掛けた。


きっと、彼は朝まで眠れず考え込んでいたに違いない。

何も知らずにバカな私だ。


始発電車は、白々しく定刻通り ホームに滑り込んだ。



なぜ、彼に濱本さんのことを言ってしまったのだろう?


彼が人一倍 思慮深い方だと解っていながら 私は、なんというバカな真似をしてしまったのだろう。


彼は、私に何をどう考えと言っているのだろう。









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