激痛の影
箱根から戻った私は、忙しい日々を送っていた。
二月に入ったある日、洗濯物をベランダへ階段を一歩二歩昇ったその時‥
下腹部に鈍痛が差した。
突然のことに、もう一歩も歩むことすら出来ず、這って階下に下りた。
その場に踞っていても仕方ない。
痛みは段々と増していく。
時計をみると まだ、7時半。
助けて〜!!
こんな時間に‥
彼との間には言葉にしない約束事があるような気がして 電話を掛けることをしなかった。
しかし、このまま 死んでしまったら、彼は、どうするだろうか?
そんなことばかりが頭をグルグル回りだした。
暫く、横になっていた。痛みで気が遠退きそうになった頃、電話が鳴った。
私は、ふらふらの体を引き摺り、やっとの思いで電話に出た。
母だった。
「お はょぅ‥ちょっと‥来てくれるかな〜今すぐに」
母は、何か察したのか、私が呼び出すことなんてなかったから、義妹と駆けつけてくれた。
救急車で市内の病院に運ばれたが‥
あれこれ検査の結果、原因不明で帰された。
痛みも嘘のように無くなった。
そして三日後の日曜。
私は、バレーの審判の講習会があるため、小一時間ほど掛かって車で会場まで出掛けたのだ。
その講習が終わる頃、間が悪く またしても 先日、私の体を襲った痛みが再びやって来たのだ。
どうすることも出来ず、講師の先生に告げると救急車をと言われた。
先日、掛かった病院へは小一時間の距離。車を放置する訳にも行かず‥
すると、講師の先生が
「私が貴女の車を運転して病院へ行きましょう」
本当言うと、私自身、この時 思考する能力なんて全く残っておらず とにかく 早くこの痛みから解放して欲しいだけでした。
回りに気遣うことなど無くなっていた。
私は、車の後部座席に横になった。
講師の先生は、時折 後ろを向き様子を伺ってくれていたが、私は返事すら出来なかった。
横たわる体を どう向きを変えても痛みは治まることはなかった。
「菅野さん、市内に入りましたが‥」
「すみません。駅から南方面にお願いします」
「はい。海に向かって行けばよろしいですね」
「そうです。こちらはご存じでしたか?」
「はい、二年ほど前に仕事で来ていましたので」
「そうでしたか!」
先生の声は、男性にしては高音でソフトな感じだった。その声が、痛みを和らげてくれたのか、少し痛みが治まり横たわる体を起こすことが出来た。
それにしても、この痛みは、いったい どこから来ているのだろうか!
不安が付きまとってきた。
病院に着くと母が待ってくれていた。
子どもたちも一緒だった。
先日と同じような検査が始まり、病名は「尿管結石」だと告げられ、二日後に手術。
取り敢えず、痛み止の点滴が始まった。
母は、講師の先生を無理矢理引き止め、子どもたちと一緒に食事に出掛けたらしい。
点滴後、私は入院の準備のため 一旦帰宅した。
その夜、子どもたちの学校の準備やら仕事の段取り、明日から、母が一週間子どもたちと過ごす和室で母の寝具の用意をしようと‥
ふとっ、母から貰っていた講師の先生の電話番号に気付いた。
「濱本さんの電話でしょうか、菅野と申します」
「あぁ、菅野さん、お加減どうですか?」
「はい、今日はお世話になりありがとうございました。今は痛みがなく明日からの入院の準備で自宅に帰って来ています」
「そうですか。やはり入院に」
「はい、尿管結石らしく」
「そりゃ、痛いはずですよ。僕も経験ありますよ。胆石でしたが」
「そうでしたか、今日は本当にありがとうございました」
「いえっ、こちらこそお母様にご馳走になりまして。遠慮もせずに厚かましい限りです。可愛いお子さまたちも一緒で楽しかったです。手術の方は?」
「明後日に」
「そうですか、お大事になさってください」
「ありがとうございます」
「それでは、わざわざお電話ありがとう。おやすみなさい」
講師の先生のご好意は感謝しつつも‥
もう、会うこともない人だけど、顔も思い出せない。それほど痛みと葛藤していたのだと 電話を切ってから一人笑ってしまった。
それから、私は一息つき、心配しているだろう彼にメールを送った。
明日の朝、気づいてくれればそれでいいと思った。
『報告まで』という題名で
『メール頂いていたのに返せなくてごめんなさい。尿管結石でした。明後日に手術となりました。連絡まで。ご心配なく!』
時間が時間だったので返信はないだろうと思っていた。
すると、ものの五分もしない内に電話がなった。
「ゆき、ゆきなの?」
「はい。連絡遅くなってごめんなさい」
「お母さんも付いているだろうから心配はしていなかったさ。でも‥夜になると、ゆきの声が聞きたくてね」
「ごめんね」
「謝ることじゃないさ。ところで、今は痛みはないの」
「えぇ、厄介な石で最初の時には隠れてレントゲンにも写ってくれなかったんですって。だから人の倍痛みが来たのよ。日頃から悪いことをしてるのね」
「ホントにゆきは悪い子だ!寿命が縮んだかもしれないよ」
そう言って彼は笑った。
「ゆきの症状を聞いてから、なんらかの結石だと思っていたんだ。手術をするなら出来るだけ切開は止めてレーザーにするんだよ」
「レーザー?」
「ゆきの術後を考えると、その方が体の負担が小さいからね」
「ありがとう、孜さん」
私の返事が心細く思ったのか
「大丈夫だよ。心配ないから」
「だって、メールも自由に出来ないかも‥」
「そんなことはいいから。ゆきも普段の疲れを労りなさい。今生の別れみたいな声を出さないでさ!!いいね、ゆっくり休むんだよ」
「はい!ありがとう、孜さん」
長い長い一日が終わった。




