箱根路
岡山での密会から、私は新月を数えた。
日捲りカレンダーに印を付けて一日一日数えた。
何度、新月が巡り 何度、満月が訪れたのか?
彼に逢いたいという気持ちが落ち着いてきたのは、子どもたちのいろんな行事が重なっていたからでもある。
彼はというと、師走に入り年末の行事や、お歳暮の挨拶回りとか激務に疲れきっていたのだろうか。
胃の具合が悪化していたようだ。
『時間を見て今日こそ病院で診てもらうよ』
『時間を作って、体のことを優先してください』
『分かった!!』
『それから、煙草は止めてくれませんか?お願いです』
『ありがとう、ゆき。煙草を止めろなんて、これまで誰にも言われたことがないよ』
『なんで。煙草は百害有って一利無しじゃない!!』
『止められないかもしれないけど‥ゆきと出逢ってから少なくなっているんだよ!!これは、本当だよ』
『とにかく無理しないで』
こうしたメールのやり取りは頻繁に続いた。
忙殺な毎日に、食欲もなく過酷な業務の中で倒れてしまわないかと心配でならなかった。
そんな状態の中、彼に逢いたいという気持ちは、自然にセーブされるのでした。
新しい年を迎えて、彼は会社指針を掲げ 一先ず落ち着いたようで、
『ゆき、ゆきの誕生日は一緒に祝いたいね』
『本当!?嬉しい!!』
出来れば、彼は私の誕生日の日に会おうと言ってくれたのだが、そうなると 残念なことに明くる日が、行事が重なってしまった。
『折角なのに ごめんなさい。日帰りでしか行けないよ』
『いまのところ、ゆきの誕生日前後に予定を空けていたんだ。それを逃すと年度末まで、時間が取れそうにないよ』
『年度末とは、3月末ですよね!ちょっと厳しいかもしれません』
『そっかぁ〜残念だな』
『解りました。では、日帰りで参ります』
誕生日の早朝、 私は新幹線のホームに立った。
私が生まれた日は、前夜からしんしんと降り続いた雪で辺りは、真っ白だったらしい。
母は、そんな真白な雪を見て名付けてくれたに違いない。
今日の空も、鈍よりと厚い雲に覆われていた。
このまま気温が下がれば雪になるかもしれない。
三島に到着したのは、10時過ぎ。
今日も彼は、私が降りる出口に佇んでいた。
しかし、以前とは どこか違う とても疲れきった顔だ。
そんな彼に申し訳ない気持ちで一杯になった。
「こんにちは、孜さん、少し痩せられましたね!」
「うん!でも、今が丁度いいよ。健康体だよ」
「それなら良かった」
「ゆき、お誕生日おめでとう!!幾つになった?」
「今日でまた、あなたと二回り違いになっちゃった!!」
「そっか〜30代最後の年だね。いっぱい想い出を作ろうねぇ、ゆき」
「はい、あなたと一緒にね」
「ゆきには申し訳ないが、忙しくってプレゼントを用意してないんだ。だから一緒に買いに行こうよ」
「いいって!美味しいもの食べましょうよ。それで十分だから」
「ダメ!!バッグでいい?」
「何も要らない!!」
「ネックレッス?指輪?何か言って‥」
「じゃ、バッグを」
私たちは、御殿場のブランドショップに入った。
「ねっ孜さん、私ね、ブランド物が苦手だし持ったことないから、やっぱり止めましょう」
「ダメ!!じゃあ、僕が選ぶよ」
彼は、高価なバッグを次々見せてくれる。
どれも、全く魅力なく値段だけが目につく。
「孜さん、普段に持てるショルダーにするわ」
私は、金額を見ながら一つのニナ・リッチのショルダーに決めた。
「ゆき、これでいいの?」
「はい、ありがとうございます」
実は、私は お買い物が苦手なんです。
はっきりいって お買い物が嫌いなんです。
そんな女性がいてもいいじゃありませんか?
洋服は、未だに母が買って来たものを着ています。
私は、ウィンドウショッピングなんて時間の無駄だと思う人で、
小さい頃、買い物が好きな母に連れられて神戸三ノ宮、大阪へと行くのが苦痛でならなかった。
「バッグに興味なかったの?そういえば、ゆきはブランド物を持たないんだね」
「バッグは好きですよ。ほとんど母のデザインで、このバッグも山羊の革で作ったものです。
ねぇ、買って頂いたバッグ、今 持ってもいいかしら?」
「どうぞ!」
私は、運転する彼の隣で今しが頂いたばかりのバッグを箱から取り出し、中身を入れ換えた。
「ブーツの色と同じだ」
私の嬉しそうにはしゃぐ様をみて彼も微笑み返してくれた。
「ゆき、もう一つ、ゆきが行きたかった箱根美術館に行こうか。誕生日だからって気のきいたことが出来なくてごめんね!!」
彼は、こうして謙虚な物の言い方をするが、彼は彼なりに忙しさの中で考えてくれていることが嬉しかった。
ススキの高原を通り抜け、箱根美術館へ行く道すがら彼が歌を歌い出した。
聞いたことのない歌だったが往年の歌謡曲であろうと思った。
「誰の歌?」
って訊ねることは止した。
箱根美術館の庭園は、噂に勝る素晴らしい景色だった。
真っ赤に染まる紅葉で時季を逃したことが残念に思えた。
風が強くなり、今にも雪が降りそうな午後。
「ゆきを抱きたいんだけど‥いいかな?」
「はい、今日は愛してくれないのかと思っていました」
「そんな訳ないだろう。どんなに俺が、この日を待ち焦がれていたか、分かってるだろ!!」
このか細い体で日々の激務をこなしているのかと、彼への情愛が込み上げ、
二人になると私は大胆にも
自分から彼の首に腕を廻した。
そして、唇を重ねていく。
彼は優しく受け止めてくれた。
「どうしたの?ゆき?」
「逢いたくて‥逢いたくて。寂しくて‥心細くて‥あなたに抱いて欲しくて‥三ヶ月も逢えずに新月を‥そして満月を待っていたの」
彼は、私を引き寄せるように強く抱いた。
私たちは、幾度となく唇を合わせ重なり合う。
逢えなかった日々が消え去るように熱い炎が身体中に走る。
この逢えなかった三ヶ月を取り戻すかのように深く深く愛し合った。
そして、力失して彼の傍に横たわる私の髪を優しく撫でた。
私の誕生日‥幕を閉じた。




