歴史街道
岡本太郎作のオブジェを後にした私たちは、秋晴れの絶好のドライブを満喫するかのように、シーサイドロードをひたすら西へと走り続けた。
その間、彼は前方ではなく車窓に釘付けである。
絵に描いたような真っ青な海に真っ青な空。
小船が行き交う様。
緑鮮やかに浮かぶ小島たち。
カモメが遊ぶ。
ヨットが行き交う。
少々興奮気味に彼が言った言葉が‥
「ゆき、来て良かったよ。こんなに美しく穏やかな海は見たことがないよ。それに、ゆきに運転までさせちゃって俺は、幸せ者だね」
私は、そんな彼の笑顔が嬉しくって、私は、もう一つの感動スポットに彼を案内した。
その名は、『万葉の岬』
シーサイドロードからは海側の斜面を真っ赤なオプティはエンジンを唸らせながら頂上まで登り詰めた。
「素敵な場所があるの。孜さんに是非に見せたくて‥でも、いつでも見れる訳ではなく運がよければなんだけど〜高の景色が見えるのよ」
彼は、スーツの上着を脱ぎ、楽しげに展望台へと歩き出した。
昨日の土砂降りが嘘のように真夏を思わせるほどのお天気となった。
この天候だと幸運が待っていることは確実だと思い、私も足早に駆け上がった。
椿の小路は、展望台のその先により爽やかな海風を運んできた。
「わーぁ!!見えた!見えた!」
私は嬉しさの余り、歓喜の声を挙げた。
「ゆき、何が見えるの?」
「孜さん、先ずは左の手前に見えている橋は、明石大橋です。淡路島が見えてるでしょう」
「あぁ、あれだね」
彼も指を指した。
「そのずうっと先は、鳴門海峡。その向こうに見えるのが四国は徳島県です」
「うっすらと見えるよ」
「淡路から鳴門へ架かっている橋が鳴門大橋です」
「あれだね」
「そう〜!!そして、右側のあの島の向こうに見えているのが瀬戸大橋です。三本の瀬戸内海の夢の橋が見えましたか?」
「本当だ。此処に来ると瀬戸内海に架かる全ての橋が見えるということだね」
「そうなの。素敵でしょ〜」
実は、先日の倫子との視察の日は曇っていて全く見えなかったのだ。
私も感動して、胸が一杯になった。
そして、赤のオプティは私たちを乗せ 造船の町に入り湾岸を迂回し歴史街道相坂峠を下る。
中腹には、江戸から赤穂へと日中夜走り続けた早駕籠の銅像が立ち、当時の緊急事態を再現しているかのようだ。
担ぎ手の顔に悲壮感が伺える。
およそ300年前、お江戸で仇討ち事件と謂えば、播州赤穂浅野家の浪士四十七名が吉良上野介の屋敷に討ち入り、その首級を挙げたというおなじみのお話である。
そんな300年間も 伝え継がれている美談とも謂えよう。
そうです。
此処は、初秋の播州赤穂。
私たちは駅前から白壁の道をお城へ、城跡の城内を散策した。
12月14日の吉良邸討ち入りの日には、毎年 赤穂の街挙げての祭事がある。
何百人もの市民が、挙って武者行列、参勤交代の復元、赤穂浪士討ち入りの模様が繰り広げられる。
私も毎年 見学に来るが、決まって空は雪雲で覆われるのである。
彼は感慨深そうに歴史の町を歩いていた。
気がついた時には、お昼近くになっていた。
「そろそろ戻りましょうか?」
「そうだなぁ〜」
そして、高速道路を東へと走った。
私たちを乗せた車は、地元市内へと東へ向かった。
「あっという間だね」
「そうね!また逢えるよね」
「勿論だよ!!」
「お昼、遅くなっちゃったけど孜さん、何か食べたいものある?」
「そうだなぁ〜鰻は、どうだい」
「じゃ、鰻にしましょう」
「孜さんは、鰻が好物なの?」
「好きだよ。たまに食べたくなるんだ」
「そういえば、母も好きではないけど体が要求するって言ってます!」
「そういうことさ!!」
私は、よく母と行った料亭へと車を走らせた。
到着したその料亭は、以前とは違いモダンな感じにリニューアルしていた。
入り口のシンボル、信楽焼の狸の姿も見当たらない。
店内の雰囲気もかなり様変わりで、全てが個室になっていた。
女将は、私たちを奥の個室へと案内した。
四畳半ぐらいの座敷には、掘り炬燵の座卓に小さな床の間があるだけ。
床の間の一輪挿しには、ワレモコウが一輪挿してあった。




