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富士の再来

彼との想い出の場所となった河口湖畔は、すっかり闇に包まれていた。




「ゆき、さっきの話だけど‥

僕も同じなんだよ。

あの日以来、ゆきに逢いたくて、ゆきを抱きたくて‥

でもね、人間は、本能のままで生きてるとダメになるだけさ。

人間は我慢とか忍耐とか乗り越えなくてはならないようになってるのさ!


不条理なことを言っているかもしれないけど‥

出来る限り、ゆきを護りたいと思っているよ!


今は、これしか言えないんだ」




「うん、分かってる」



「この年になって、恋をするなんて思ってもみなかったよ!

勝手な言い分だけど、ゆきとは遠距離だから救われているよ。

もし、ゆきが手の届く所に居たら~

俺、自分を無くしていたような気がするよ」




「私も、母が居る限りは親不孝は出来ないって思っているの!

母が居なければ、あなたの傍で暮らしたい」




「ゆき‥」


彼は、私の目を凝視してた。


そして、トーンが変わり明るい声で、



「これからは、ゆきが言っていた満月の日は、なるべく二人で観よう」




「ホント!?」



「そりゃ、出来ない時もあるだろうけど。出来るだけ、それを目標にするよ」




「満月の日は一ヶ月に一度よね~」




「確か、30日近くで満月から段々と三日月になり

15日で新月が訪れるだろ。


それから段々三日月から満月になるんだ!!

だからその月によっては満月が二度やって来る月もあるんだよ」




「一ヶ月に二度も満月が見えるの?」




「そうさ、その月をブルームーンって言うんだよ」




彼は、詳しく説明してくれた。

今の私には一ヶ月も彼に逢えないなんて耐えられないかもしれない。




「30日かぁ~長いなぁ~。

毎日、指を折って数えなくっちゃね」




「ゆき、あれから今日で何日目か憶えてる?」




「え~っと?丁度、15日目ね」




「だから、今日は新月だよ。

30日が長けりゃ、新月を待つといいさ。

新月になれば、あと15日を数えると、あっという間だよ」



「新月を待って‥」




彼が言った通り今夜は月の明かりもなく、

新月の闇を、彼の車は先日宿泊したホテルへと向かった。




山小屋の灯りは、闇の中に一際目立ち富士山の位置を私に教えてくれた。




彼は、私を部屋まで送り届けてくれはしなかった。


「ゆき、ごめんね!明日の朝迎えに来るから。今夜は、ゆっくり休むといいよ」


そう言って帰っていった。


聞き分けのいい振りをした私は、寂しさを隠して



「はい、ありがとうございます。おやすみなさい」



彼の立場も考慮しなくてはならない。



彼の基盤のど真中に飛び込んで来ているのだから当然のことだ。



私は、一人になって 子どもたちの様子を伺うため、英に電話をした。



子どもたちは疲れて寝てしまっているらしい。



海遊館は、楽しかったようで、明日も行きたいなどと言っていたそうだ。



しかし、英は 明日はプールに連れていく予定だと言う。


楽しんでいるなら それでいい。



余計な話しはせず、英に、お礼を言って電話を切った。





ホテルの一室‥


誰も知らない異国の地に

独り ポツンと取り残されたような気がした。



とにかく、汗を流してベッドに入った。



彼は、どうしているだろう~

そんな事を思いながら‥日頃の子どもたちからも解放されているせいか、独り寝に慕っていた。




いつの間にか ぐっすり深い眠りに堕ちていた。



なぜなら、早朝 久しぶりに爽快な気分で目が覚めたのだ。



私は、最上階にあるレストランへと向かい朝食を摂ることにした。



年若いウェイトレスさんが案内してくれた席は、オーシャンビューになっている窓際だった。



オーシャンビューと言っても 県内には海の無い。



そう!!



窓際から見える景色はパノラマ写真~いやっ、



窓枠という額縁で縁取られた富士山が見えたのだ。



まるで絵を見ているように。


私は席に着き 朝食にした。


壮大な富士は全容を惜しみなく披露してくれた。



私は その艶やかな富士に圧巻され、急に涙が溢れ出た。





彼がこよなく愛した富士


彼を護り続けた富士


彼が命を懸けた富士


まるで私の再来を歓迎してくれているようであった。



朝食も、ほどほどに珈琲を流し込み 部屋に戻り身支度をしていると、



ドアをノックする音がした。



招き入れた彼に 私は飛び込んだ。



「寂しかったろう、ゆき」


私たちは口づけを交わした。


そして、


「ゆき、ゆっくりも出来ないんだ。下で隆正君が待ってるんだ」



この日、彼は会社に出社せずに、私を迎えに来てくれたのだと思った。




専務とは、ホテルのロビーで仕事のあれこれを段取り打ち合わせをされたのでしょう。




そして、彼と私が二人きりになることを裂け、わざわざロビーに専務を寄越したのだと思った。



エレベーターが開くと、彼は会計を済ますために受付に、その様子を見ていた専務が近づいて来られた。



「菅野さん、いらっしゃってたんですね」



「はい」



「社長、何も仰らなかったので‥」




「そうでしたか、昨日の夕刻に。すみません、お忙しいのに」




「いえ、今朝は社長は出勤なさらなく、こちらで打ち合わせを済ませたところです」




「そうでしたか。私が来てるからですね。ごめんなさい」




「いえ、私は仕事ですから。このバッグは‥えっと、横浜の~」



「はい、キタムラのバッグです。よくご存じですね」



「以前、家内にねだられたものでしたから。それにしても綺麗な色合いですね」




「母の見立てです。私も気に入っていつも同じ物ばかりを持っているんですよ」




「良い物は長く持てますもんね。このボストンバックもですねぇ」




「はい、あまりブランドものが好きではないので‥家業の関係で上質の革製品が好きなんです」




「そうですか。革製品を扱っていらっしゃるんですか」




「はい、父は早くに亡くなりましたが、今は母と弟が営んでおります」




「ほほぅ。バックとか靴とか?」




「はい、中には、自動車のシートとかバレーボールなども作っております」




「それは素晴らしい~」




詳しい話までには至らぬまま、彼が戻ってきた。




私たちは三人は駐車場へと向かった。




専務さんは、鞄をお持ちしますと仰って下さったのですが、そのようなことまではと遠慮した。




私は、彼の車の助手席に乗り込んだ。




彼は、専務さんと何やら真剣な顔で話込んでいた。



きっと、あの鋭い洞察した目付きが、普段の社長としての顔なんだと思った。




暫くして、彼は運転席に腰掛け、




「ゆき、お待たせ」



と言った顔は、私に向けた少年の顔だった。




専務さんは、私に深々とお辞儀をされ、私たちの車は駐車場を出た。




富士の山は、青空にくっきり聳えていた。



私は、微睡みの中、目が覚めた。

そこは夢にまでみた彼の懐だった。



彼は、私の髪を撫でながら


「ゆき、目が覚めたんだね。お腹空いたろう!お昼食べ損ねちゃったな」


私は頷いた。



時が止まることを祈らずに居られなかった。



ずっと


このままで居たい。


彼も同じ思いなのか‥一向に動こうとしない。



「ゆき、ゆき‥」



私は彼の顔を見上げた。



「ずうっと、傍に居てくれないか。

ゆきを こうして毎日抱いていたいよ。

僕は後、何度、ゆきを抱くことが出来るんだろうか?

僕は、後 何年 生きられるのか‥

そう考えていると、ゆきに傍に居て欲しいよ」





「何、言ってるの~あなたは、ずうっと元気!!

長生きして、いっぱい抱いてね」




「分かった!!ゆきを、もっともっと素敵な女にしてやるさ!」





別れの時間が迫っていると思うと、


切なさが湧いてくるのである。



しかし、戻らねばならない。



「来月の予定がまだ立たなくて、ゆきには悪いが もう少し待ってね」




「大丈夫よ!新月を待つことにしましたから」


私は、それだけ彼に伝えて新幹線に乗った。



大阪までは二時間と少し。


私の乗っている新幹線に子どもたちを巧く乗せなくてはならない。



英には、本当に感謝してる。




私は、また、ここで母としての切り替えに戸惑いながら転換する術を身に付けるのだった。

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