二人の月光
駐車場で待っているという彼を気にしながら、私は子ども達を寝かす準備をした。
兄貴たちは、少々 興奮状態です。
明日からの楽しい予定がビッシリと詰まっていて…
妹と二人が軽快な会話をしています。
ふとっ、気がつくと おちびちゃんは どうやら疲れて眠ってしまっています。
「お母さん、社長がお話したいって言うてたやん。早く行きなよ」
「じゃあ、大丈夫ね」
「大丈夫だよ。凜も寝ちゃったし~」
私は長男に背中を押され あたふたと着替えをし飛び出した。
そして…
再び、私の治まり掛けていた鼓動が鳴り出したのです。
エレベーターを降りて駐車場に向かう中、鎮まってくれない鼓動。
その緊張感から解き放たれたのは、彼の底知れないまでの笑顔を見た時でした。
私が走ってくる気配を感じた彼が運転席から降りて、私を助手席にと招き入れてくれた。、
「やっと二人っきりだね」
そう言った彼の柔和な顔の優しい瞳に包まれ、ホッと一息を着くのでした。
「ゆきが新幹線から降りてきた時‥
俺さぁ~ゆきを抱き締めたかったよ」
「実は私もです。子どもたちが居なかったら…きっとパパに抱きついていたかもしれません」
パパなんて呼びたくなかった。
彼がそう呼んで欲しいとメールが入って来ていたのだ。
そのメールのお陰で、彼の気持ちが解らなくなった。
そして、彼が何を守ろうとしているのか…。
それは守らなければならないことなのか~?
新幹線の中から送った彼へのメール【本音と建前】
彼が、読んでくれたことは明らかである。
なぜなら、こちらへ来て
彼は、私のことを「雪乃さん」ではなく「ゆき」と呼んでくれているからだ。
その点、私は彼の希望通り「パパ」と呼ぶことに抵抗がある。
夕べのメール‥
「僕のことをパパと呼んで欲しい」
そう呼ぶことで貴方が満足なら私は素直にそう呼んで差し上げます。
ですが、呼び方などで私の気持ちは揺らぐことはありません。
貴方は貴方のお立場を守らなければいけないのかもしれませんが、
私たちが出会ってからの一月。
私にとって、貴方は父親以上の存在です。
「僕のことを父親だと思って何でも相談してくれればいい」
そう仰った貴方は、私に娘のように愛しく優しく接してくださいました。
そうした貴方の優しさが私の中で愛に変わっていったのです。
私は、素直な気持ちを彼に伝えることができないのでしょうか。
多分、彼の心も揺れ動いていたに違いありません。
私は、そんな事を考えながら悶々としていた。
「ゆき、こんな時間だけど‥ゆきに見せたい処がたくさんあるんだ。
ドライブしないか?」
「いいですよ」
彼の車は、幹線道路から駅前通りを横切りアーケードに入った。
昼間なら二人で歩けりゃしないことは百も承知。
全く人気のないアーケード。
等間隔で灯籠の灯りが、ぼんやりと影を照らす。
「ゆき、ここが僕の会社だよ」
アーケードから一歩抜け出すと
月の明かりが外観だけを辛うじて映し出す。
彼は、路地の向こうを指差し
「あの角にある店が、ポッポだよ」
彼の行き着けの茶店だ。
そして、車は幹線道路へと戻った。
どうやら、彼は普段の行動範囲を私に伝えたかったようだ。
彼は、会社から自宅までの道のりを走り、
昼休みに行く寿司屋や会合で利用する料亭まで教えてくれた。
そして最後に辿り着いたのは湖畔。
彼が一人になりたい時に行く処。
「あれが、畔にある茶店だよ‥」
「この前、ストライキ起こして逃げ込んだ店ね」
「逃げないさ!考え事をしたかっただけさ!!」
車は湖畔の駐車場に停まった。
「ゆき、少し散歩しょう」
私は上着を着て外へ出た。
この時季 関西では熱帯夜が続いているというのに 此処は冬のように冷え込んでいる。
シーンと鎮まりかえった湖畔では海とは違い波打つ音も聞こえてこない。
空を見ると 満月が私たちを照らしていた。
湖畔の小路の先には、手に届くような耀く星たちが。
彼は、こんなロマンチックな小路を
今日のこの時を
私のために演出したかのように思えた。
「きれぇ~い!!こんなに綺麗なお月さまは観たことない!」
「ゆき、手を繋ごうか?」
私は、彼の長い指に絡ませ彼の手をギュッと握りしめた。
「今夜の月は格別だな!!俺もこんな綺麗な月は初めてさ。きっと二人で観ているからだろうね」
私も頷いた。
「ゆき、さっきも言ったけど‥新幹線からゆきが降りてきた時さ、
抱き締めたかったって言ったろ!!
今、ここで抱き締めてもいいだろうか?」
私は、黙って繋いでいた手を外し彼と向かい合った。
彼は、そっと私を抱き寄せた。
美しい月だけが私たちを見ていた。
「ゆき、逢いたかったよ。俺が、どんなにゆきに逢いたかったか分かる?」
「分かっていたよ!私もパパに‥」
泪が出てきた。
「この満月を、また、こうして二人で観ることが出来るかしら?」
「出来るといいね!月はどれほど離れていても二人が見ている月は同じ月だよ」
「そうだけど‥また二人で観たいな~」
叶わないことだと分かっていたけど、いつまでもいつまでも こうしてあなたに寄り添っていたかった。
子どもたちのことを頻りに気にする彼の言う通り、日が変わらない内にホテルへ戻った。
子どもたちもそれぞれ深い眠りに着いていた。
私は、この日、彼と逢ってから初めて鞄から携帯を取り出した。
着信が五件。
母から四回と則から一回。
メールも倫子と英が心配して交互に入っていた。
窓を空け、ひんやりとした風に頬を冷やした。
暫く、ぼんやりと外の闇を眺めていた時、メールの着信音が鳴った。
『ゆき、今日はありがとう。明日は九時に迎えが行くよ。ゆっくり休んでね。おやすみ』
彼からだった。
さっきの彼の包容が甦って私の頭を混乱させた。
私は、ぼんやり微睡みの中で、ほんの半時間前の出来事を繰返し考えていた。
「ごめん!ゆき、さぁ~子どもたちも待ってるから帰ろう」
そう言って彼は抱き寄せていた体を離した。
あの状況でも彼は、パパを演じていた。
彼の行動が、心の中とは裏腹であることが分かった。
私には、そんな彼が可哀想に思えた。
ならば、このまま 彼の意に任せよう。
お互いの気持ちに白黒着けたところで どうにもならない二人なんだからと‥
そんなことを彼是と考えていると倫子からメールが来た。
『無事かどうかぐらい連絡しろ!!』
私は電話をした。
倫子に正直な気持ちを伝えたが‥
自分の気持ちを抑えると戻ってきて必ず後悔するよ。
遥々、訪ねてきた私を受け止めてくれないのは卑怯者だとさえ言われてしまった。
倫子の感覚も極端過ぎるのだが私を心配してのこと。
でも‥
私には勇気が‥
早朝、子どもたちのはしゃぐ声で目が覚めた。




