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結婚相談所に行く前の、38歳の私  作者: 早乙女リク


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第2話 怖かったのは、男の人じゃなくて自分だった

 翌朝、由香は目覚ましが鳴る前に目を覚ました。

 夢は見ていない。正確には、見たはずなのに内容を覚えていない。こういう朝は決まって、頭のどこかが重たい。


「……やっぱり寝不足か」


 洗面所の鏡に映る自分にそう言いながら、歯を磨く。

 昨日アプリを消したことは、まだ現実感がなかった。長年使っていない筋肉が、今日になってじわっと痛み出すような、遅効性の違和感だけが残っている。


 通勤電車はいつも通り混んでいた。

 スマホを見ている人、寝ている人、ぼんやり宙を見つめている人。誰も他人に興味がない。

 由香はその「誰にも見られていない感じ」に、少し救われる。


 会社に着くと、いつもの一日が始まった。

 メールを処理し、請求書をチェックし、電話を取る。

 仕事は嫌いじゃない。むしろ得意な方だ。決められたことを、きちんとこなす。相手の立場を考えて動く。

 それなのに、恋愛とか結婚になると、急に自分が不器用な別人になる気がする。


「由香さん、これお願いしてもいいですか?」


「あ、はい」


 後輩に資料を渡されながら、由香はふと思った。

 仕事では頼られるのに、プライベートでは「いい人がいないの?」と聞かれる側になるのは、なぜなんだろう。


 昼休み、由香は一人でコンビニのサラダとおにぎりを食べた。

 机の上にスマホを置く。

 つい、親指がホーム画面をなぞる。


 ――ない。

 当たり前だけど、ない。


 アプリがあった場所は、ぽっかり空いている。

 代わりにあるのは、天気とカレンダーと、使いもしないヘルスケアアプリ。


(私、今、婚活してないんだ)


 その事実が、少しだけ怖くて、少しだけ楽だった。


 由香はサラダを食べ終え、スマホを伏せた。

 考えないようにしても、昨日の夜のことが頭に戻ってくる。


 ――怖かったのは、男の人じゃなくて、自分。


 あの言葉は、的確すぎた。

 由香は、アプリで出会った男性そのものより、「また判断を間違えるかもしれない自分」が怖かったのだ。


 人を見る目がない。

 そう思い始めたのは、いつからだろう。


 二十代の頃は、勢いで恋愛していた。

 好きになって、付き合って、合わなければ別れる。それでいいと思っていた。

 でも三十代に入ってからは、別れるたびに「時間」が頭をよぎるようになった。


(次は、失敗できない)


 その意識が、由香をどんどん臆病にした。


 アプリで誰かと会う前、必ず頭の中でシミュレーションする。

 もし既婚者だったら?

 もし嘘をついていたら?

 もし変な人だったら?

 もし私が傷ついたら?


 その「もし」が多すぎて、心が動く前に疲れてしまう。

 それでも、「何もしない」よりはマシだと思って続けていた。


 結果は、知っての通りだ。


 仕事が終わり、駅までの道を歩きながら、由香はポケットの中のスマホを握った。

 昨日、自分に言った言葉を思い出す。


(仕事帰りに……もう一回だけ、見てみよう)


 見るだけ。

 話を聞くだけ。

 それだけなら、何かを失うわけじゃない。


 由香は立ち止まり、スマホを取り出した。

 人通りの多い歩道で、少しだけ周囲を気にしながら、検索欄を開く。


「結婚相談所」


 今度は、途中で消さなかった。

 検索ボタンを押すと、ずらりと結果が並ぶ。


 爽やかな男女の写真。

 「成婚率〇%」

 「最短三ヶ月」

 「無料カウンセリング実施中」


「……多いな」


 正直な感想だった。

 そして、どれも似ている。


 由香は一つひとつのページを開いては閉じた。

 料金表を見ると、反射的に眉が寄る。

 カウンセラー紹介を見ると、「この人に人生のこと話すのか……」と身構える。


 でも、不思議なことに、昨日より心拍数は上がっていなかった。

 怖いのは怖い。

 でも、アプリで知らない人と会う怖さとは、種類が違う。


(……少なくとも、独身かどうかは確認されてるんだよね)


 そんな当たり前のことに、由香は苦笑した。

 基準が下がっているのか、現実を見始めているのか、自分でも分からない。


 ふと、あるページで指が止まった。

 派手な実績アピールはない。

 写真も控えめ。

 「無理に入会を勧めることはありません」という一文が目に入る。


「……本当かな」


 疑いながらも、由香は読み進めた。

 そこに書いてあったのは、「悩んでいる状態のまま来ていい」という言葉だった。


 由香は、胸の奥が少しだけ緩むのを感じた。


(悩んでる状態のまま、来ていいんだ)


 これまで、何かを始めるときは「覚悟」が必要だと思っていた。

 でも、ここでは「覚悟がない人」も想定されている。


 由香は予約フォームを開いた。

 名前、年齢、連絡先。

 入力欄を見ただけで、指が止まる。


 まだだ。

 今日は、まだ。


 由香は画面を閉じた。

 逃げた、と言えば逃げたのかもしれない。

 でも昨日より、確実に一歩先にいる。


 駅のホームに立ち、電車を待ちながら、由香は思った。


 怖さが消える日なんて、きっと来ない。

 でも、怖いまま動くことは、できるのかもしれない。


 電車が来る。

 ドアが開く。

 由香は、流れに乗って乗り込んだ。


 まだ、何も始まっていない。

 でも、「何もしていない」状態では、もうなかった。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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