夏休みの自由研究「テーマ:男女の友情は成立するか」
7月中旬
「夏休みの課題って面倒。どうしても出さないといけないんだったら、興味あることを調べようかなって思うんだけど、皆はどうする?」
多くの貴族の子女たちが通う王立学院の大講義室では、その日夏休みの課題発表会が行われていた。
「私の研究は、『男女の友情は成立するか否か』です」
本日の3番目の発表者、伯爵令嬢であるリゼット・リスタートは自身の研究発表を壇上の黒板に貼り出した。
「結論から言えば、答えは『成立します』」
ざわ ざわ ざわ……
夏休みの課題など、非常に面倒くさい。もちろん、生徒だけでなく評価をつける教員もそう思っているだろう。
だが、一月以上ある夏の休暇に頭を使うことを何もさせないでいたら、思考力が錆びついてしまう。
この課題制度は、休み前と同じくらいのパフォーマンスが休み明けにできるよう、筋トレのように生徒たちの頭をほどほどに働かせておくために存在した。
もちろん評価は、生徒たちが自身の持つ知力、体力、権力を駆使し、まとめあげられた研究の出来によって決まる。
だが、他人の発表など余程のものでなければつまらないものだ。一部の真面目な生徒以外は、他事をしたり居眠りをしたりして、まともに聞いていなかった。
それはリゼットの婚約者も同じだった。昨晩は夜更かしをしたのか、寝息をたてて机に突っ伏している。侯爵令息としては非常に見苦しい姿である。
それが、今は大講義室にいる殆どの生徒と教員が興味津々でリゼットに注目している。侯爵令息は寝ているが、なぜか周囲の者は誰も起こそうとしなかった。
「さて、皆さんは、男女間で友情は成立すると思いますか?あなたは、どう思います?」
リゼットに質問された生徒は、首を横に振った。講義でいつも最前列にいる真面目な子爵令嬢は、ためらいながら口を開く。
「……成立、しないと思います」
「それは、何故ですか?」
「……それは、『好き』という感情は個人差があると思うからです」
「確かにそうですね。では、こちらの方はどうでしょう?」
「は?他人に興味ない。友情など知らん」
真面目な子爵令嬢の隣にいつも座っている伯爵令息に話を振れば、淡々とした感情の感じられない答えが返ってくる。
「え、照れ隠しじゃなく?」
「アレン様って、エリーさんの隣にいつも座られるからてっきり……」
「いや、『友情』は知らんって、ことはさぁ」
「あれって気付いてないだけで……」
「っ……あの、」
「早く続きを発表してもらえないか」
周囲がざわざわし始めたことに眉をひそめ、伯爵令息が促す。居心地が悪そうだった子爵令嬢も、前を向いてリゼットの発表を聞く姿勢を作った。
「まず、この研究のきっかけは婚約者の発言からでした。
N7年7月14日、午後4時16分 2年1組の教室でドルミール侯爵次男であるシリアル様がこう言われました。
『僕の友人関係に口出ししないでくれるかな?君のような!友人が少ない人間には!わからないと思うが、彼女はただの友人だよ!!はぁ?異性同士でも友人関係は成立するに決まっているだろう!これだから交遊関係が狭い伯爵家は困るな、フン!!』
この発言は、教室の窓を施錠されていた実習助手のスミス先生もご存知です。
他にも、何人か聞いていた人もいますよね」
リゼットが室内を見渡すと、同じクラスの数人の生徒は頷いたり視線を逸らしたりする。ちなみに視線を逸らしていたのは男子生徒ばかりである。
もちろん、彼らが侯爵令息の意見に同意していて気まずかったからではない。リゼットがした侯爵令息の口真似が、非常に似ていたためである。……本人はまだ寝ているが。
「そこで、アンケートをとってみることにしました。
①友人がお金に困っていたら幾らなら貸せますか。
➁婚約者がお金困っていたら、幾らなら貸せますか。
③異性のクラスメイトまたは異性の同僚が困っていたら、幾らなら貸せますか。
……これは、家庭の経済状況によって左右されますので、月収20万の手取りとして何割くらいなら貸せるか聞いてみることにしました。
しかし、どんな友人にも一律に同じ額を貸すかはわかりません。
そこで、クラスメイトの侯爵令息(次男)と王族(第二王子)と子爵令息(嫡男)に協力をお願いいたしました。
その結果、あれだけいつも一緒にいるのに、侯爵令息と子爵令息には貸しませんでした。いつも立て替えさせられている分も返って来ていないようです。
ちなみに、第二王子のサフィル殿下には5万くらい貸したそうです」
チラッチラッと教室の一角に生徒の視線が集まる。なんとなく、というかはっきりと誰をアンケートの対象にしたかがわかり、生徒たちはそわそわしながらリゼットの次の言葉を待っている。
「次に婚約者ですね。『おい、10万貸せ』でした。貸しませんでした。次に……」
もはや隠す気なしのリゼットに、教室内の同情が集まる。
「……酷いわ」
「婚約者から借りたお金を、友人に貸すのって何だか嫌ね」
「普通、婚約者から借りるか?」
「借金してまで、殿下にいい顔したかったのか、あいつ」
「さらにクラスメイトの女生徒に協力して頂き、お金を借りてもらいました。
大体1万くらいは貸してくれたそうです。ちなみに、実験とは関係なく、うちのクラスの妖精姫である公爵令嬢のフェリア様には10万のネックレスを貢いだそうです」
「その後から、しつこく付きまとってくるんですの。カフェに行った帰りに、宝石店で『これ可愛らしいわ』と言ったら、『今日の記念に』と無理矢理渡されて……あんなに可愛らしいサイズの石、使い辛くて困ってしまいますわ」
外見が妖精のように可憐で、性格も妖精な公爵令嬢はそう言って、ぷくっと可愛らしく頬を膨らませる。
ちなみに妖精は悪戯好きで自由奔放である。そんな意味も含め、彼女は周囲に妖精姫と呼ばれている。
「フェリア、またクラスメイトに貢がせたのかい?」
「サフィル様ったら、嫉妬しなくても大丈夫ですわ。ただの献上品ですのよ」
「……君も『異性間でも友情は成立する派』なのかな」
第二王子のサフィルと公爵令嬢のフェリアは婚約者同士である。クラスメイトはリゼットの発表そっちのけで、二人のやりとりを固唾を飲んで見守っている。
「嫌ですわ、殿下。わたくしに『お友達』なんていませんわよ?皆、等しく下僕ですわ」
「そうか、それならよかった」
安心したようにサフィル殿下は微笑んだが、クラスメイトたちは「嘘だろ、おい。よくねぇよ、婚約者止めろよ」と心の中で叫んでいた。
第二王子のサフィルは公爵家に婿入りすることが決まっている上、フェリアにベタ惚れなので、基本彼女に甘い。
フェリアもサフィルに対してだけは、他の有象無象と違う扱いをしているのが端から見ていてよくわかる。
「でも、もう彼と一緒に出掛けてはいけないよ。危険だからね?」
「そうですわね。思ったよりも楽しくありませんでしたし」
「……楽しそうかも、って思ったんだね」
「だってぇ、わたくしの恋人になりたいって言われたんですのよ?どれだけ自信があるのかしらって、とっても気になりましたの♡」
「そうか、それはそれは気になるねぇ」
バキバキバキッ
(↑サフィルが持っていた万年筆を握り潰した音)
「殿下の顔、ヤバくないか!?」
「王家と公爵家の国家二大勢力を敵に回したぞ」
「侯爵家大丈夫?」
「あいつ、まだ寝てるけど、そろそろ起こしたほうがよくないか」
そんな生徒たちの様子を尻目に、リゼットは発表を続ける。
「……結論として、金銭や物品の遣り取りをする場合、金額が高くなればなるほど、そこに友情ではなく下心があると想定できました。
次に、両親や先生方に協力して頂きまして、同僚間での男女の友情を調べました。なぜ両親かというと、政略結婚の夫婦の関係は友情に近いと思ったからです」
基本的に貴族は、爵位の釣り合いが取れている家同士で結婚することが多い。上位貴族と下位貴族とでは国の中での役割も変わるため、互いの常識のずれが生じることもある。
王立学院は、そのような立場の違いを肌で感じる場であり、上位貴族と下位貴族がそれぞれ交流をし、互いの存在に慣れる場でもあった。
「政略結婚の夫婦には、初めから愛がある訳ではありません。恋という、相手に対する強い気持ちはありません。
あるのは、結婚相手に対する信頼です。これは先生方が同僚などに抱く好意と同じではないか、と仮説を立てました」
リゼットは大講義室内を見渡し、この授業の担当教員の姿を確認する。このアンケートに協力してくれた、50代既婚の女性教諭と20代未婚の男性実習助手の姿を。
「……どれだけ好意を感じていても、口にしてはいけないことがあります。
例えば、既婚者の場合、自分のパートナー以外に恋情を持つことがあるかもしれません。逆に、……未婚の者が既婚者に対して恋心を抱くことがあるかもしれません。
相手の信頼を裏切らないよう、恋心を表面に出さず、心の中だけで大切にすること。……それが『友情』なのではないか、と私は結論付けました。
相手のことを尊重し、信頼を裏切らない……それができるならば、『友情』は成立するのではないでしょうか……同性でも、異性でも」
室内はしんとして、誰も口を開かない。ただ、誰かの寝息だけが場違いに響いた。
語られた内容は、当たり前のことである。だが、敢えて考えたことはなかった。皆は、それぞれ自分が抱く思いを振り返り、その相手に思いを馳せる。
両親、友人、婚約者、そしてクラスメイト……彼らの抱く思いは、どのようなものだろうか、と。
そして、自分の抱く思いは……これは、「友情」なのだろうか、と。
「はい、リスタート伯爵令嬢お疲れ様でした。素晴らしい研究発表でしたね。
皆、拍手!!」
パチパチパチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチ
皆が反応も忘れて思考にふける中で、実習助手のスミスが発表終了の合図として拍手を促す。その途端、我に返った生徒たちによって、室内は割れんばかりの拍手に包まれた。
「うわ、何だ!うるさいぞ!!」
拍手の音で目を覚ましたシリアルは、周囲の熱狂的な様子に思わず叫んだ。
だが、その声を聞く者は誰もいない。
信頼できない人物は、友人ではないのだ。
「……なんなんだ、これは」
リゼットの次の発表者はシリアルであるのに、拍手は鳴り止む気配がなかった。
ちなみに、シリアルの発表は「王都の有名デートスポット一覧表」であり、徹夜して突貫で仕上げた自信作だった。
「ありがとうございます、皆さん。私がリスタート伯爵を継いだ後も、是非仲良くしてくださいね」
リゼットは激しい拍手に送られながら、中央辺りの席に戻っていく。
発表を何も聞いておらず、訝しげに彼女を見ていたシリアルは、壇上に上がると気を取りなおして発表を始めた。
「僕の研究発表は!」
彼が話し出した途端、どこからかくぐもった声が聞こえた。ふっと噴き出すような声を抑える者や、肩を震わせて顔を隠す者もいる。周囲の反応や先ほどの流れで気づいた者たちには、想像してしたよりリゼットの物真似が似ていたことが衝撃であった。
だが、シリアルは気付かずに自信満々に発表を続けるのだった。
――季節は過ぎて、秋も深まった頃
たまには婚約者のご機嫌でも取ってやらないとな、とシリアルはリゼットと出かけることにした。
最近、自分の友人たちが忙しいようで、誘っても遊びについてこない。以前は仲良くしていた女生徒にも「フェリア様に悪いので」と断られることが増えた。
フェリアを誘おうにも、サフィル殿下が常に傍にいるので難しかった。そんなこんなで時間が余り、普段は放置状態のリゼットを思い出したのである。
リゼットの横には何人かの生徒がいたが、シリアルとは交流がない生徒のようで、見覚えがなかった。おそらくは下位貴族だろうと思い、いつものように声をかけた。
「おい、今日は街に行くぞ」
「私、この後『友人』とカフェに行くので、ご一緒できません」
「はあ?婚約者の方を優先するのが普通だろう」
「『友人』たちとの約束の方が先でしたので」
「友人だと!!女生徒よりも男子生徒の数が多いだろう!!浮気じゃないのか!」
「以前、ご自分が言われていたではありませんか。
私の友人関係に口出ししないで頂けますか?
異性同士でも友人関係は成立するに決まっているでしょう」
「そうですよ、私たちの『友情』は揺るぎません」
「ええ、ドルミール侯爵令息が、リゼットさんと婚約を解消しない限りは」
「……では、私の婚約者に、私の『友人』を紹介致しますね」
その後、リゼットから何人かの異性の「友人」を紹介されたシリアルは、彼女の友人の多さにへそを曲げて帰ってしまう。
もう彼の婚約について心配してくれるような友人は、シリアルの傍にはいなかった。
8月下旬
「もう、これでいいか。さすがにこの発表を聞けば、気付くわよね」
10月中旬
「私たちは、まだ『お友達』です」
「そうです。……ところで、ドルミール侯爵令息は、そろそろ婚約破棄にご興味はありませんか?」




