聖女の列はここで止める
夜。巡礼聖堂の前には、人の列。
白報の幕。ハウリ商会の旗。歌と拍手。
列の先で、聖女ミリアが笑っている。腕には献血用の細い管。
横で配信の水晶が回っている。
俺――黒江シンは、相棒のリナと並んで立った。
「リナ、状況は」
「未成年が混ざってる。食べてない子もいる。基準がないまま集めてる」
「飾りを脱がす。落ち着いて話せる場にする」
「――黒帯」
俺が指をひと振りすると、黒い帯が舞台をなでた。
灯りの過剰な光と煽りの音楽がすっと消える。拍手が止まる。
禁則処理。演出だけを落とした。
ミリアがこちらを見る。驚いているが、怯えてはいない。
「あなたが黒版課の記者さん? 妨害なら困ります」
「妨害じゃない。線引きに来た。——俺は人を倒しに来たんじゃない。倒れる人を出さないために来た」
俺は彼女に黒封を軽く当てた。
「三問だけだ。夜明けまでに答えてくれ。
一、献血する人の検査は誰が、どんな方法で。
二、一人あたりの上限は。いつからいつまでの回数制限。
三、採った血はどこへ行き、どう公表する」
ミリアは息をのみ、素直にうなずいた。
「今は、神官が脈と顔色を見るだけ……。上限は“体調次第”。記録は帳面。公表は……していません」
列の中で、若い子がふらりとよろめく。リナが支え、水を渡す。
「ミリアさん。倒れるのは善意のせいじゃない。基準がないせいだよ」
その時、白報の係が前へ出た。
「聖女様は救済の象徴だ。細かいことは善意がカバーする!」
俺は空へ手を上げ、字幕を三つ並べる。
〈去年:白報『安全が最優先』〉
〈先月:白報『善意があれば十分』〉
〈今日:白報『数が正義』〉
「鎖を下ろす」
字幕が鎖になって落ち、係の足首でカンと鳴る。
逆引用鎖。自分の言葉で、今の自分を縛る。
「安全最優先と言ったな。なら、基準を出せ」
俺は空を仰ぎ、指で活字を並べた。
「——上へ」
夜空に一行が走る。
『血は検査と同意と上限なしに集めない』
ざわめきが引いていく。列の最後尾が自然と止まった。
ハウリ商会の旗が墨色に裏返る。スポンサーは“上限なし”を立て札にしていたのだ。
俺は短く続けた。
「処し方。
① 今日はここで打ち切り。倒れた人は休ませる。
② 一週間以内に、医師と作る基準表を公表。未成年禁止/体重・間隔・量を明記。
③ 献血の行き先と集計を毎月掲示。
——ミリア、やれるか」
ミリアは迷い、列を見た。彼女の手は震えていたが、目は真っ直ぐだった。
「やる。今は止める。倒れる顔は、もう見たくない」
彼女は振り返り、列の人たちに頭を下げた。
「ごめんなさい。今日はここまで。体を大事にして。また――基準ができてから」
白報の係が食い下がる。
「番組が崩れる! 感動の——」
「感動より先に、回復だ」リナが遮る。「食事と水。ここ、食堂ある?」
ミリアがうなずく。「あります。炊き出し、今から開けます」
俺は黒封の蝋を指で割った。受理だ。
ミリアは安堵の息をつく。
「あなたは私を倒しに来たんじゃないのね」
「倒す時は倒す。でも今日は違う。やり直す筋があるなら、そっちを出す」
白報の係がまだ言う。「規制は善意を冷やす!」
「善意を守るために規制がある」俺は返す。「倒れないために。数字より、人だ」
列がほどけ、聖堂の灯が柔らかくなる。
ミリアは袖をまくり、手伝いに回った。
俺は観衆へ向き直る。
「紙面に白紙の枠を残す。『基準表・反論・訂正』を全文載せる。——見張るのも仕事だ」
リナが小声で言う。
「シン、指熱い?」
「熱い。焼けてはいない」
真を打った。誤字はない。
白報の幕は下ろされた。旗は黒いまま。
ハウリ商会の男が口を開きかけて、閉じた。
俺は彼にも封筒を一通。
「三問。人員の安全基準、返金窓口、掲示予定日。夜明けまで」
聖堂の奥から、湯気とパンの匂いが流れてきた。
ミリアがこちらへ来る。「医師を呼びます。基準を、一緒に作ってください」
「呼べ。俺たちは載せる。載せた後も見る」
空の一行は薄れ、夜風が戻る。
俺の喉の奥に、小さな空白が残った。禁則処理の代償だ。
思い出せない古い原稿の一行。でも、必要なほうは残っている。
——止めるべき夜は、止められた。




