切り抜きの無音
その夜、広場に小さな舞台が組まれていた。
白報の幕。ハウリ商会の旗。眩しい照明。
真ん中には小さな檻。角の短い魔族の少年が座っている。鍵は外から見えないが、内側からは押せば開く作りだ。――つまり、演出。
「魔都のみんな、今夜は“悪党から子どもを救う”ぞ!」
水晶レンズに向かって笑うのは配信勇者ザック。手元の聖剣はやたらと光り、舞台の音楽はやたらと大きい。
俺――黒江シンは、袖の影から舞台を見た。隣でリナが小声で言う。
「檻、押せば開く。少年は怯えてない。やらせの匂い」
「了解。まず飾りを脱がす」
「――黒帯」
俺が指をひと振りすると、黒い帯がレンズと剣をすっと撫でた。
次の瞬間、聖剣の光だけが消え、音楽がふっと止まる。観客がざわつき、配信の向こうではもっとざわつく。禁則処理――演出だけを落とす技だ。
「機材トラブルですって!」
ザックは笑顔を保ったまま、檻へ近づく。
「待て」俺は前へ出た。「その子に、帰る家はある」
少年はこくりとうなずく。檻の扉に手を当てる。――押せば、開く。
俺はザックの胸に黒封を軽く当てた。封蝋が冷たく光る。
「三問だけだ。夜明けまでに答えろ。
一、今の“泣き顔”は誰が作った。
二、“魔族=危険”という字幕の根拠は何だ。
三、救出後、その子をどこへ帰す」
「視聴者さん、聞いてください。これは善意の――」
ごまかしの言葉が始まる前に、俺は空へ字幕を三つ並べた。
〈去年の夏:「弱者救済が俺の全部」〉
〈先月:「泣き顔は伸びる。現場で作れ」〉
〈昨夜:「撮れたら現地解散でいいだろ」〉
「鎖を下ろす」
字幕が鎖になって落ち、ザックの足首でカンと鳴った。逆引用鎖。自分の言葉で縛る。逃げ道は、自分の口で解くしかない。
「誹謗だ!」ザックは剣を抜いた。だが刃は無音だ。
舞台袖でリナが少年に声をかける。「出ておいで。扉、押すだけ」
少年は立ち、扉を押す。開く。観客が小さくどよめく。
ザックが叫ぶ。「俺は善意で――」
「善意なら、三問に答えろ」俺は黒封を指さす。「今だ」
ザックは口ごもる。三が特に言えない。企画書に“帰す場所”は書いてないのだ。
俺は空を見上げ、一行を走らせた。
「――上へ」
夜空に黒い見出しが出る。
『泣き顔を作る者に、救済の名を持たせない』
観客の息が止まる。ハウリ商会の旗が墨色に裏返る。
剣は抜かれているのに、音が戻らない。配信のコメントも無音の泡に変わって流れ続ける。黒天見出しは、その場のルールになる。
ザックが最後の逃げを試みる。「スポンサーの指示で――」
「ならなおさら、三に答えろ。どこへ帰す?」
彼は言葉を飲み込み、レンズを見た。レンズは、彼を映したがらない。
俺は少年に向き直る。「家は?」
「市場の裏。パン屋の隣」
リナが頷く。「送る。今夜ここは終わり」
少年は檻を離れ、リナと並んで歩き出した。
舞台の端で、白報の係が旗を持ち直し、強がる声を出す。
「黒版課、やりすぎだ。公共のための演出だ!」
「公共なら、公開してくれ」俺は返す。「演出の基準。謝罪の基準。異議の窓口。――紙で、見せろ」
係は黙った。旗は黒いままだ。
ザックの胸で、黒封が静かに震える。夜はまだ深いが、時間は一方へ流れていく。
俺は短く結んだ。
「処し方。
① 過去配信の見出しを訂正。
② 被写体の同意書と出演料を公開。
③ 今日の収益の半分を当事者基金へ。
――やれるか」
ザックはうつむき、かすれ声で言う。「……やる。やるから、それを紙に……載せてくれ」
広場の空気が、少しだけ戻る。観客の何人かは足早に去り、何人かは檻を見つめる。
俺は舞台から降り、リナと少年の背中を見送った。
やがて――
東の空が灰に滲み、舞台の影が短くなる。
ザックの胸の黒封が、ひとりでにパキンと割れた。未回答の自動発動だ。
その瞬間、彼の胸の札が砂になってこぼれ落ちた。加護が錆びる音はしない。ただ、重さが減る。
俺は指先を見た。熱い。だが、焼けてはいない。
真を打つときは熱くなる。誤字を打たない限り、焼けることはない。
ザックは顔を上げて言った。
「三……今からでも答える。帰す場所は、本人の家だ。もう、やらせはしない」
「なら、今夜号に反論として載せる。白紙の枠は空けてある」
俺がそう言うと、彼は小さくうなずいた。
背後でハウリ商会の男が、黒い旗を静かに巻いた。誰も拍手しない。
沈黙が、今夜の判決だ。
舞台から少し離れた路地で、リナが待っていた。
「少年、家まで送った。母親が泣いてた。泣き顔は“伸びない”のにね」
「わかってる。……リナ、俺のどこかの一行、また思い出せなくなった」
「禁則処理の代償。一行だけ消える。でも、必要なほうは残るでしょ」
「残る。残す」
夜はまだ続く。だけど、一行あれば、今夜も足りた。




