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1.離縁の儀

 唐紅の着流しを気怠げに着崩している男は、その色香を隠す事なくそこにいた。

 緩く一つに結われている銀糸の髪はまるで絹糸のよう。

 軽く伏せられた目は赤く、血の色の様にも見える。

 線が細く女性と見紛うばかりの美しさだが、その体躯はしっかり筋肉がついた男のもの。

 今日、自分は初めて会ったこの男と離縁するのだ。


「お初にお目にかかります。櫻井(さくらい)琴子(ことこ)と申します。本日は【離縁の儀】を取り行うために参りました」


 声を掛け、座して礼をした琴子に目の前の男は伏せていた瞼を上げる。

 優美な人ならざる男は、その紅玉の目に琴子の姿を映すとそのまま目を見開いた――。


***


 薄紅色の花弁が降り注ぐ。

 柔らかな風に乗って落ちてくる小さな花の欠片が、琴子(ことこ)の黒い下げ髪にひらりと止まる。

 紅玉の数珠を手首に付けた右手で髪を払うと、髪飾りのように黒を彩った薄紅色ははらりと落ちていった。


「琴子さん、ご卒業おめでとうございます」

千歳(ちとせ)さん。あなたも、ご卒業おめでとうございます」


 矢絣柄(やがすりがら)に海老茶式部という女学校卒業定番の服装をした千歳に、琴子は大きな黒い目を細めニッコリと微笑み祝いの言葉を返した。

 髪型も流行りのラジオ巻きをしている友の千歳は、身につけている小物も最先端の流行を取り入れており、パッと見ただけでも華やかだ。

 琴子は無意識に自身の地味さと比べ、うらやましさから小さくため息をつく。

 琴子の父、櫻井(さくらい)勝正(かつまさ)はとても厳しい家長のため、琴子は生まれてこの方流行とは無縁の生活を送っている。


(せめて、華やかな柄のリボンだけでも付けられれば良かったのだけど……)


 琴子の下げ髪を彩っているのは祖母の形見でもある珊瑚の根掛(ねが)けくらいだ。

 質はいいのだが、玉が並んでいるだけなのでリボンに比べると華やかさが少ない。

 それならばせめて着物をとも思うが、人気の夢二や華宵の柄物は父が許してはくれなかった。

 しかも皆が着ている矢絣柄も琴子はある理由から着られない。

 なんとも寂しい卒業だと言わざるを得なかった。


「千歳さんはご卒業後どちらに? まだご結婚はなさらないのでしょう?」


 まったく華やかさのない我が身を嘆きたくなり、琴子は意識を別に移そうと話題を振った。


「ええ、婚約者の家は女性の社会進出にも好意的なので……少々封邪師(ふうじゃし)の補助をしてみようかと」


 封邪師とは、世にはびこる邪気を封じたり払ったりする異能持ちの者達のことだ。

 千歳も異能持ちの家系のため、封じ札を作るなどの補助が出来る。


「まあ! 素敵、お仕事をなさるのね。出来るものならば、私も数年くらい外で働くということをしてみたかったわ」


 女性の社会進出が増えてきている昨今。

 華族の令嬢でも婚姻前の社会勉強と称して数年外で働く者が増えてきた。

 琴子の父のように古い考えをする者もまだ多いが、千歳のように卒業後働きに出る女性は女学校卒業者の半数を占めている。


(まあ、私の場合は必ずしもお父様が原因というわけではないのだけれど)


 右手の数珠をチラリと見ながら、琴子は自身の運命に苦笑いを浮かべた。


「琴子さんも? ですがその……琴子さんは櫻井の鬼花(きか)ですよね?」


 細い指を口元に添え、千歳が戸惑い気味に確認の言葉を口にする。

 櫻井の鬼花。

 鬼花とは、この帝都を守護する最強の鬼の花嫁のことだ。

 古来より帝のおわす都の守護をする代わりに、花嫁を所望し続ける鬼。

 その所望される花嫁を輩出する家として、櫻井家がある。

 そう聞くと生け贄にでもなるのかと思うものもいるが、むしろ真逆であった。

 櫻井の鬼花は幼い頃に守護鬼の妖力が込められた紅玉の数珠を身につけることで、かの鬼の花嫁となる。

 そして十六の歳に【離縁の儀】を行い花嫁を辞し、人の家へと嫁ぐのだ。

 守護鬼の妖力を長年受けてきた櫻井の鬼花は、強い異能持ちを産むとして重宝されている。

 故に、琴子はこの後【離縁の儀】に臨み守護鬼との離縁が成立すると、異能持ちの家系である婚約者の家へと早々に嫁ぐことになっていた。

 決められている運命でもあるため自由はないが、重宝されているので酷い扱いを受けることもない。

 ある意味では幸せ、ある意味では不幸な存在なのだ。

 そのような存在である櫻井の鬼花が外で仕事をしてみたいなどと、口にしただけでも周囲を困らせてしまう。今のように。


「ごめんなさい、千歳さん。言ってみただけよ、気になさらないで?」


 困り笑顔を浮かべると、千歳はホッと安堵の笑みを浮かべた。


「では、琴子さんはそのうち【離縁の儀】を?」

「ええ、明日にでも行う予定よ」


 これ以上困らせてしまわないように笑顔で答えた琴子は、千歳の矢絣柄の着物を見てわずかに眉を下げる。

 弓矢は一度放つと真っ直ぐに飛んでいき戻ってこないということから、卒業に向いている柄だ。

 だが、明日守護鬼と離縁する琴子の場合は戻ってこなければ困るのだ。次の嫁ぎ先もとうに決まっているのだから。

 だから、縁起が悪いということで今日は着させてはもらえなかった。

 厳しい父。それにしずしずと付き従うだけの母。

 兄もいるが、鬼花は父親以外の男と触れ合うことが出来ないため会うことすら年に数回だ。

 そのような家族に縛られてきた十六年間。

 好きなことは許されず、父の望むままに育てられた。

 だが、それも明日【離縁の儀】を終えて嫁ぎ先へと向かえば変わるだろう。

 嫁ぎ先の桐矢(きりや)家の若君は千歳の婚約者のように女性の社会進出に寛容だと聞く。

 鬼花である自分を外に出すことは許してくれるかわからないが、父のように着物や身につける小物にまで文句は言わないだろう。

 少なくとも今よりは良い環境になるはずだと、琴子は希望を持って女学校を卒業した。

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