1.ハルノヒ
王都ノルグラードでは厳しい冬を乗り越え緑が再び色付き始める頃である。極寒の都とも呼ばれるノルグラードでは、人々は冬に入ると各々の家から一歩たりとも出ることはなく、都は廃都のようになる。頬に突き刺す様な寒さは、人々を拒絶しているかのようである。古来からこれは神の試練とも呼ばれ、一年の中で人間を律するために神が課した季節であるという伝承が残る。しかし、冬を乗り切れば桜が咲き誇り、祭りが1ヶ月もの間都全体で開かれ、大人は一日中飲んでは踊り、子供は久方の友と遊び尽くす。都はありとあらゆるところが装飾され、人々は冬の間その祭りのために服を作る。そのため、祭りの間は鮮やかな色彩が街を彩る。
今日はそんな長く短い祭りの最終日前夜。約1ヶ月もはしゃぎ続けてもこの都の人々は遊びたりないと言わんばかりの盛り上がりようである。なぜなら祭りの最終日に齢18を迎えた少年少女が一年かけて行う旅の出発するからである。この旅はカムリと呼ばれ、古くから行われている。都の人々は出発する若者たちに激励をし、一年という長い歳月、両者共々寂しくならないように祝い尽くすのだ。青年、レオン・スノーフィールドもまた、明日出発を果たす都の人である。レオンは酒場の裏で勢いに任せて飲みすぎたジンによってかれこれ1時間樽に顔を突っ込んでいた。綺麗なブロンドの長髪も、澄んだ水色の瞳も酒の前では無力である。無様な様子である。
「ちょっと、大丈夫なの?」
酒場の扉からひょっこり顔を出すのはレオンの姉であるエリーヌ・スノウフィールドである。エリーヌもまたレオンと同じく燦々と輝くブロンドの髪に、自然の泉を彷彿とさせる瞳をもち、容姿端麗を体現させたような美しさの女性である。両親を早くに亡くし、レオンをその手一つで育て上げた強い女性だ。
「うっわ。あんなホメロスさんの煽りに乗るからよー。あの人お酒強いのわかってるでしょ全く…」
エリーヌは情けない弟の姿に呆れたかのように肩をすくめてレオンを咎めた。
「うるさいなあ姉さんは。男には負けられない戦いってものがあるんだよ。本当に母さん似だな。」
「何言ってんのよ負けてるくせに。あんたは父さん似ってわけ?父さんみたいに負け知らずじゃないけどね。」
エリーヌはパンチラインが尖りすぎてることで巷では有名で、口喧嘩に誰にも勝てない。勿論、弟であるレオンなどもはや例外ではないどころか一番身をもって知っている。ぐうの音もでず今にも樽に吐き出しそうなレオンの横に、エリーヌは腰を下ろす。
「ついにあんたも明日出発なわけねえ。あんな小さかった弟がねえ…。お姉ちゃんのご飯食べられなくなって寂しいかしら?」
そんなことを言って微笑むエリーヌの目は、どこか寂しさを帯びていた。レオンも鈍感ではない。エリーヌの様子がおかしい事に気づいていた。
「…寂しくないって言っちゃいけねえのかよ。」
今まで一蓮托生で歩んできた兄弟にとって、2度目であったとさえも一年もの空白は心をも白く塗りつぶしてしまう。
「そんなことないじゃない。寂しくなって途中で帰ってこられても困るって意味よ。」
「ふん。よくいうぜ。」
2人は声に出して笑う。
「次は一年後ね。どんな男前に育ってるのかしら。ねえ、もう旅路は決めてるんでしょ?姉にくらい教えなさいよ、ね。」
ノルグラードでは一年の旅の旅路を口外してはいけないこととなっている。家族がついていってしまわないためだ。この度は大人になるための旅であり、家族がいてしまったら元も子もない。少しでも前向きに聞いてくれているのだろうとレオンは悟った。
「言わねえよ。言っちゃいけない決まりだろ。」
「なーんだ、いってあげようと思ったのに。」
「ただ…」
何かを言おうとするレオンに、エリーヌは真剣な眼差しを向けた。レオンは一息置いて口を開く。
「ただ、俺はエンドポイントを目指す。」
「あんた…!!」
その一言にエリーヌは瞬時に顔を歪め、レオンを睨みつける。
「レオン、エンドポイントがどこだとわかってて言ってるの!?私はそんなとこ認めない!!」
酒場の中はエリーヌの怒号で鎮まり、2人がいる裏口の方に目をやった。
「ああ、わかってるさ。父さんと母さんが目指し、そして生き絶えた俺らの因縁の地だろ。そんなの百の承知で言ってんだよ。」
レオンとエリーヌの両親はその昔偉大な学者であり、世界各地の未開拓地を切り拓いた偉人であった。エンドポイントとは人類到達不可能領域と呼ばれ、ノルグラードより遥か北に存在する。伝承では人類の未来が秘められているとあり、人類は何度も調査を試みた。2人はある日国から直々にエンドポイントの調査を依頼され、向かったが消息を経ってしまったのである。最後無線が確認された座標さまさしくエンドポイント。そして内容は「2人をよろしく」とただ一言のみであった。
エリーヌはレオンを理解できず、戸惑った。
「ならどうして行くのよ…」
「父さんと母さんが見た最後の景色を見て、俺は2人の分まとめて世界一の考古学者になるんだ。」
レオンの真っ直ぐな眼差しにエリーヌは何も言えなかった。店内はもう喧騒を取り戻している。エリーヌはしばらく黙ったまま、いつも通りの明るさを保とうとしながらも涙目でレオンに言った。
「必ず、到達して帰ってくるのよ。」
「わかってる。」
エリーヌは涙を拭き、死ぬんじゃないわよと笑いながら店の中に戻った。レオンは道端に座り、1人物思いに耽っていた。誰も到達したことはない地点、エンドポイント。そこに何があるのか?なぜ両親は向かったのか?自分は到達できるのか?生きて帰ってこれるのか?様々なことが頭をめぐり目が回ったのかレオンは思い出した様に樽に頭を突っ込んだ。すると、道の奥から足音が聞こえてきた。その足を不思議とレオンの耳に強く響き、そしてレオンの近くに来た途端ぴたりと止んだ。レオンは樽から顔をあげる。そこには1人、コートに身を包み、つばの広い帽子を深々と被った者が立っていた。
「おいこっちは裏口だぞ。酒場の入り口ならこの裏だ。そっから入んな。」
レオンは声をかけたが、その者は何一ついわず、ただエレンを見つめてこう言った。
「見つけたぞ。スノーフィールド。」
男の声だ。男はレオンの頭を異様にでかい手で掴んだ。レオンは異様な様子に抵抗したが、声も出せず、男の手は強固で剥がせなかった。男は腕から異様な黒い気を放ち、その気はあっという間にレオンの頭を覆った。周囲は凍てつく様な寒さになり、霧が立ち込め、春の暖かなノルグラードとは程遠い冷徹な空気へと変貌した。レオンは右目に痛烈な痛みを感じた。その痛みはまるでペンを目に突き刺せられ、ぐちゃぐちゃに混ぜられているかのようだった。レオンは痛みのあまり叫んだが、男の手中から声が漏れることはない。10秒ほど経った後、男はあっさりとレオンを解放した。レオンは地面に倒れ、悶絶した。しかし、目ははっきりと見えている。
「お前、俺の目に何しやがった…!!!」
男はただ一言、
「旅路の安寧を願うぞ。レオン。」
と言い放ち、レオンの顔をそっと手で撫で下ろすと、レオンは気を失った。レオンの耳には男の最後の言葉が響き、静かに、ゆっくり気を失っていった。
レオンが目をハッと覚ました時、そこは酒場の裏口ではなく、都の正門前の広場で華やかの門出の場であった。レオンはひどく混乱した。目の前でエリーヌが涙を流しながら酒場にいた人たちと自分の門出を祝い、自分は旅人の中にいる。さっきまで来ていたボロい洋服とズボンは、エリーヌが用意してくれていた新品の旅人の服であり、腰には短剣が刺してある。肩からマントが垂れ下がり、髪は綺麗に整えられている。そしてなにより不思議なのが太陽が真上にあること。レオンは理解できず、姉に聞こうと必死に大声を上げたが、エリーヌはなんて?という顔をしてまるで伝わってない。そうこうしてるとレオンは都の人に馬車まで案内され、乗せられた。明らかにおかしい。先ほどまで謎の男に襲われ、時刻も夜であったのに。わけがわからず、馬車の準備を進める者に声をかけた。
「どうなったんだこれ。俺はどうやって広場まで行ったんだ?」
都の人は、はて?という顔をして
「どういうことも何も、レオン。自分でちゃんと来たじゃないか。昨日の夜はどっかの女でもひっかけてたのかあ?」
とニヤニヤした。
レオンは依然動揺している。
「どういうことだ。俺は家に帰ってないんだぞ。」
「まあお前飲んでたしな。無理もない。俺らも探して、エリーヌもお前の行き先を心配してたぞ。喧嘩したらしいじゃないか、ええ?でも朝になってひょっこり帰ってきていつも通りの調子で準備したから安心したってエリーヌが。おっともう出発だな!また一年後、男前になった姿見せてくれよ!」
といいどっかに行ってしまった。
レオンは不思議に思いつつも、もしかしたらその通りなのか?と思い始め、王都ノルグラードの盛大な都歌と共に馬を走らせた。広場では大歓声が巻起り、レオンは都の人々、特別エリーヌに大きく手を振って都の正門をくぐったのだった。