エピローグ ~『幸せな二人』~
リオが聖女として正式に認定されてから時が過ぎ、季節が巡った頃。屋敷の敷地内に建てられた温室で、彼女は変わらぬ穏やかな日々を過ごしていた。
透明なガラス越しに日差しが差し込み、揺れる葉が光を受けてきらめく。
リオは温室の中心で額にうっすらと汗を浮かべながら、手元の作業に集中していた。乾燥させた草と根を丁寧に秤にかけ、わずかな誤差も見逃さぬよう慎重に混ぜ合わせていく。その指先からは、ほんのりと淡い魔力が滲み出ていた。
魔力と薬草、二つの性質が調和したとき、治癒の効能をもたらす薬が完成する。リオの調合は繊細な均衡の上に成り立っており、聖女である彼女にしか生み出せない特別だった。
(今回の薬も大勢の人が喜んでくれそうですね)
『聖女の新薬』と呼ばれる薬は、治療不能とされていた病を癒やし、戦場での救命にも活用されていた。
医療の現場では革命的と称され、軍でも貴族社会でも、彼女の作り出す薬はなくてはならない存在となっている。
(こうやって好きなことに専念できるのも、お兄様のおかげですね)
アルベルトが領主となって以降、リオの生活は大きく変わった。
かつては冷遇されていた彼女も、今ではアイスワーズ伯爵家を挙げての支援を受け、誰の干渉もなく、思う存分、やりたいことに専念できていた。
リオはふと思い出す。かつての屋敷で、冷たい視線に晒されながら過ごした日々を。そしてイザベラとクラリッサが、彼女の才能を「気味が悪い」と蔑み、道具として扱ったことを。今では懐かしさを覚えるまでになっていた。
これはイザベラとクラリッサが、別邸で慎ましい生活を強いられており、顔を合わせる機会がないことも一因だ。
使用人も最小限、出入りする者も限られた小さな屋敷で、不満をぶつけ合う日々を過ごしているという。
(お兄様が領主になってくれて、本当によかったです……)
心の中で兄に感謝しながら、リオは再び調合中の薬草に手を伸ばす。魔力のこもった指先が葉をすくいあげ、香りを確かめながら手際よく混ぜ合わせていく。
そんな時、温室の扉が開かれた音が鳴る。反射的に顔を上げると、視線の先にはルシアンの姿があった。
「今日もこの温室は良い香りがするな」
そう言ってルシアンは軽く笑う。息を吸い込むと、温室の中央へと歩を進めた。
「もしかして、お邪魔だったな?」
「いえ、そんなことは……朝摘みの薬草を調合していただけですので」
リオが手元を見せると、ルシアンは興味深げに頷く。
「綺麗だな……」
「この薬草は朝露を含んだうちに摘み取ると魔力の通りが良くなり、淡い光を放つんですよ」
リオがそう説明すると、ルシアンの視線が彼女の指先に向かう。ほんの少しだが、赤くなった跡があることに気づいたのだ。
「その指……火傷か?」
ルシアンの声に、リオは慌てて手を隠しかけたが、すぐに首を振った。
「少しだけです。でも痛みもないので、大丈夫です」
「君は無理して頑張るタイプだからな。その少しは信用できそうにない」
「殿下……」
「君の作った薬には敵わないかもしれないが、手当なら騎士団仕込みで慣れている……見せてくれ」
「で、ですが……」
「リオ。黙って見せなさい」
その一言にリオは思わず目を見開いた。いつも穏やかな彼の、ほんの少しだけ強い口調。その真剣さに気圧されて、彼女は観念したように手を差し出す。
そっと受け取ったルシアンは、回復魔法を唱える。淡い光がリオの指先を包み、赤くなっていた火傷の痕がゆっくりと引いていく。
じんわりとした温もりが、傷だけでなく、心の奥にも染みこんでいくようだった。
リオは、そっと視線を上げる。間近で見るルシアンの容姿は芸術のように美しく、胸の内で鼓動が跳ねた。
「ありがとうございます、殿下」
「そんなに肩肘張らなくていい。私たちは、もうずいぶん長い付き合いだろう?」
「ですが私と殿下では身分が違いすぎて……」
「君は聖女だ。私と対等に話す権利は十分にある。事実、君との仲を応援する声が城内で広がっている」
「えええっ!」
「王子と聖女の二人が結ばれれば国は安泰だからな。皆がそう望むのは理解できる」
「ですが……殿下にとって、ご迷惑ですよね?」
「まさか。迷惑だと思ったことはないよ。むしろ喜ばしいとさえ感じている」
お世辞だとしても悪い気はしない。リオは頬を赤く染めながら、小さく息を吸い込む。
「私はこれからも殿下と一緒にいたいです」
「奇遇だな。私もリオと共に人生を歩んでいきたい」
互いの感情が愛情だとは明確に口にしない。だがリオは、彼との良好な関係がずっと続くようと、心のなかで聖女のように祈るのだった。
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