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本編 ~『訪問してきた王族』~


 屋敷の前に一台の豪華な馬車がゆったりと停車する。鮮やかな深紅の旗が掲げられており、その中央には王族の象徴である金色の獅子が刺繍されている。


 馬車の左右を騎士たちが整然とした隊列を組み、護衛として付き従っている。物々しい雰囲気は周囲を騒然とさせ、ちょうど二階の窓辺で花瓶の手入れをしていたメイドが、その異変に気付いて目を見開いた。


「まさか王室の馬車?」


 メイドは手を止めて、急いで窓の外に身を乗り出す。馬車の扉が開き、中から銀色の鎧をまとったルシアンが優雅な所作で降りてきたのが目に入る。その横にはアルベルトも控えていた。


 メイドは瞬時に血の気が引くのを感じた。


「た、大変です! 王族の方が……ルシアン殿下がいらっしゃいました!」


 その一言で伯爵家の屋敷は一気に騒然となった。


 いつも穏やかで落ち着いた雰囲気に包まれているはずの屋敷が、まるで嵐が通り過ぎたような慌ただしさに支配される。


「なぜ予告もなく王族が?」

「急いで掃除を確認しなきゃ!」

「埃ひとつ残せないわ!」


 メイドたちが険しい表情で我先にと動き回る。そんな騒ぎをリオの母でもあるイザベラも耳にする。


「ルシアン殿下がいらっしゃったそうね」

「はい、夫人。アルベルト様がご一緒でした」

「なぜあの子が王族と?」


 イザベラは眉をひそめたが、すぐに嬉しそうな表情へと変わる。


「まぁいいわ。伯爵家に王族が訪問されるなんてまたとない名誉だもの。急ぎなさい、私のドレスを用意して!」


 イザベラが興奮気味に伝えると、メイドは急ぎ足でドレスを探しに行こうとする。だがその背中を呼び止めるために、イザベラは続けて声を続ける。


「クラリッサにも準備するように伝えて頂戴」

「承知しました。リオ様はいかが致しましょうか?」

「あの子には伝えなくてもいいわ。引き立て役になってもらうから」


 メイドはそれだけでイザベラの意図を察する。つまり溺愛しているクラリッサと王子を結びつけたいのだ。


「ルシアン殿下は次期国王で、社交界の注目の的よ。これ以上ないくらいお似合いの夫婦になるわ」

「あの、クラリッサ様はレオン公爵と婚約を結ばれましたよね?」

「そんなもの、破棄すればいいのよ」

「ええっ!」

「公爵と王子、どちらとの婚姻が得か。火を見るより明らか。悩む余地さえないわ」

「それでは何のためにリオ様が犠牲に……」

「犠牲? あんな子のことなんて、どうでもいいわ!」


 イザベラはまるで虫を払うような仕草で切り捨てると、さらに言葉を重ねる。


「元々、気味の悪いあの子では、公爵家と結ばれるには荷が重すぎたのよ」

「奥様……」

「でもクラリッサは違う。ルシアン殿下の隣に並んでも違和感がないわ」


 イザベラは娘の未来を想像し、うっとりと陶酔したような表情を浮かべる。


「ですが、奥様。王族ともなれば、もっと高貴な身分のお相手を望まれるのでは……」

「何を言っているの? クラリッサほどの美貌と教養を兼ね備えた娘は、この王国内のどこを探してもいないわ。王子の目に留まらないはずがないでしょう」


 メイドはこの人に何を言っても無駄だと、心の中で小さくため息を吐く。そして静かに頭を下げて部屋を立ち去った。


 その後、イザベラに頼まれていた用事を手早く済ませ、彼女は応接室の様子を確認しに向かう。


(そろそろ準備を整えないと、王子がお見えになるのに間に合わない……)


 そう思いながら応接室の扉を開けると、そこには既に準備を進めるリオの姿があった。


 淡い水色の落ち着いたドレスを身にまとい、テーブルクロスやティーセットの配置をメイドたちに指示している。


 まだ七歳の少女とは到底思えないほど堂々としていて、その佇まいは自然と人の目を引きつけた。


「リオ様、お手伝いいたします」

「では、ティーカップを人数分確認してください。それから、お茶菓子も念のために多めに用意しておきましょう」

「承知いたしました」


 リオの指示は簡潔で的確だ。メイドたちは迷うことなく動き、応接室はみるみるうちに整っていく。


(さすがリオ様……まだ幼いのに、誰よりも落ち着いていらっしゃる)


 メイドが感心したようにリオを見つめていると、隣で作業していた年長のメイドが小声で囁いた。


「リオ様が領主になられれば、この家も安泰でしょうにね」

「ええ、私もそう思います……」


 思わず本音が漏れる。その言葉をリオも聞いていたのか、ふっと笑い、困ったように肩をすくめる。


「私はまだ七歳ですから。領主にはまだ早いですよ」


 リオはメイドたちに微笑みかけると、再び真剣な表情で応接室全体を見回した。


「準備は完璧ですね。これで殿下をお迎えしても失礼はないでしょう」


 ちょうどその時、廊下から華やかな話し声と足音が近づいてきた。メイドたちが一斉に振り返ると、イザベラとクラリッサが煌びやかな衣装をまとい、堂々と応接室に足を踏み入れる。


 二人の派手な化粧は品に欠けていた。一方、リオの静かな佇まいと清楚な身なりは上品で凛としていた。


 どちらが子供か分からない。メイドは内心、そのような感想を抱く。


「リオ、あなたは隅に引っ込んでなさい」

「なぜですか?」

「そりゃねぇ、殿下のお目を汚すわけにはいかないでしょ」


 リオは静かに目を伏せ、黙って一歩下がる。メイドたちは心の中で不満を感じながらも、沈黙を守るしかなかった。


 そんな時である。廊下から執事の声が響いた。


「ルシアン殿下とアルベルト様がお見えになりました」


 緊張が応接室を包み込む。


 扉が開き、ルシアンは毅然とした足取りで応接室に入室し、アルベルトがその隣に付き従う。


「ルシアン殿下、お越しいただき光栄ですわ。どうぞお寛ぎくださいませ」


 イザベラはこれ以上ないほどに媚びるような笑顔を浮かべて一礼する。


「私たち、殿下にお目にかかれることをずっと心待ちにしておりましたの」


 クラリッサもまた、うっとりとした眼差しをルシアンに向ける。だが彼は一礼を返すものの、その目はどこか冷めていた。


「出迎えに感謝する。だが本日は貴殿らに会うために足を運んだのではない。アルベルトの妹のリオに会うために足を運んだのだ」

「あ、あの子は殿下がわざわざお話になるような娘ではございませんわ。その、正直申しまして、少々不気味なところもありまして……」


 イザベラは言葉を濁したが、その声ははっきりと部屋に響く。クラリッサも慌てて話を続ける。


「殿下、それよりも私たちとの会話を楽しんでいただければ……」


 しかしその言葉は途中で遮られる。ルシアンの眼差しは鋭く、冷たく二人を貫いていた。


「イザベラ伯爵夫人。私がリオと話をしたいのは、命を救ってもらったからだ。恩人に感謝の言葉を伝えたいのだ」


 イザベラとクラリッサの顔が一瞬で強張る。メイドたちがざわめき、困惑を隠せずに視線を交わし合う。


「あの……私がリオです」


 リオが控え目に顔をあげる。七歳とは思えぬほど落ち着き払ったその様子に、ルシアンは感心したようにわずかに目を細めると、一歩前に進み出て彼女の前で膝をついた。


「リオ、君の作った薬のおかげで命を救われた。本当にありがとう」

「私はただ薬草を調合しただけです。それを殿下に使うと決めたのはお兄様ですから……」

「もちろんアルベルトにも感謝している。だが君にも感謝を伝えたいのだ」


 真っ直ぐなその言葉に、リオは困惑する。そんな彼女の様子を見て、アルベルトが申し訳なさそうに頭を下げた。


「リオ、すまない。貰った薬を無断で殿下に使ってしまった」

「構いませんよ。むしろ、そこで怪我人を見殺しにするような兄なら軽蔑していました」

「リオ……」

「だから、お兄様の判断は間違っていません。私が保証します」


 兄妹の優しいやり取りに、ルシアンは温かな目を向ける。そして改めてリオに問いかけた。


「リオ、私に薬草を調合する様子を見せてくれないだろうか」


 リオは一瞬だけ戸惑ったように視線を伏せる。しかし、すぐに穏やかな笑顔を浮かべ、しっかりと頷いた。


「分かりました、殿下」


 その時だ。我慢の限界だったのか、イザベラが声を荒らげる。


「待ってくださいませ、殿下! リオが殿下を救ったなどと、何かの間違いです!」


 その声に振り向いたルシアンの眼差しは、凍りつくような冷ややかさを放っていた。


「伯爵夫人。私がこの目で薬の効果を体験したのだ。その私の目を疑うというのか?」

「それは……」


 イザベラは言葉を失い、顔を蒼白に染める。クラリッサもその隣で動揺を隠せないまま立ち尽くしていた。


「さあ、リオ。調合を頼む」

「はい、殿下。すぐに準備して参ります」


 小さな足音を響かせ、リオはそっと部屋を後にする。残された部屋には重苦しい沈黙が漂い、ルシアンとアルベルトは何も言わずに彼女の帰りを待った。


 ほどなくしてリオが再び部屋へ戻ってくる。その小さな手には盆があり、そこにはすり鉢や薬瓶が整然と並んでいた。


「お待たせしました、殿下」


 リオは落ち着いた足取りでテーブルに近づき、道具を丁寧に並べる。息を呑むような緊張の中、リオは静かに作業を始めた。


「まずは星月草を細かく砕いていきます。砕くときは優しく魔力を込めるのがポイントですね」


 繊細な手つきでリオが星月草をすり潰していく。彼女の指先には青白い魔力が淡く輝き、星月草が反応するように光を放ち始めた。


 ルシアンはその神秘的な光景に息を呑み、目を奪われていた。


 やがてリオは、薬草に他の材料を混ぜ込みながら、追加の魔力を流し込んでいく。その姿はまるで聖堂で祈りを捧げる聖女のようだった。


「これで、完成です」


 やがてリオは完成品の軟膏を小瓶に移し、そっと持ち上げる。その瞬間、小瓶からは澄んだ輝きが部屋中に広がり、見る者の心を優しく包みこんだ。


「本物だ……伝説の聖女の力そのものだ……」


 ルシアンの呟きは小さかったが、明確にその場に響いた。イザベラやクラリッサは信じられないと肩を震わせる。


「ありえません……こんな娘が聖女だなんて……なにかの間違いです!」


 イザベラは感情を抑えられず、怒りとも悲鳴ともつかない声を上げる。しかしルシアンの視線が再び彼女に向くと、その叫び声は途端にかき消された。


「伯爵夫人、聖女への侮辱は罪に問われることもある。自重した方が良い」

「うぐっ……」


 ルシアンの声には冷ややかな怒気が込められており、イザベラは押し黙るしかなかった。


「リオが……聖女?」


 姉のクラリッサは動揺しきった様子で妹を見つめる。その目には戸惑いと嫉妬が渦巻き、唇は小刻みに震えていた。一方でアルベルトは誇らしげな微笑みを浮かべ、リオを見つめていた。


「さすがはリオだ。君こそ僕の誇りだよ」

「お兄様……」


 リオが小さく微笑み返した瞬間、ルシアンは一歩前に出る。騎士の礼儀正しさで跪き、真っ直ぐな目を向ける。


「君は間違いなく伝説に残る『聖女』の再来だ。その称号を、ぜひ受け取ってほしい」


 リオの瞳が一瞬揺れる。彼女の胸の内には静かな葛藤が広がっていたからだ。


(私は聖女になりたいわけではありません……ですが……)


 このまま母や姉の道具として生きるより、聖女として人のために生きる方が良いかもしれない。


 リオは覚悟を決めると、揺るぎない声でルシアンに向かって宣言する。


「殿下、私でよろしければ、聖女の称号を頂戴いたします」


 部屋に静かな感動が満ちていく。その中でただイザベラとクラリッサだけが、その輝かしい光に取り残され、苦々しい表情で俯くのだった。



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