本編 ~『兄の帰り』~
夕暮れの淡い茜色が屋敷を優しく包んでいる。
リオは正門の前に立ち、兄のアルベルトの帰りを待っていた。ここ数日、それは彼女の日課になっている。
(もうすぐ、お兄様がお戻りになる頃ですね……)
騎士団に入団して以来、アルベルトの帰りはいつも遅かった。屋敷の誰もがそれを当たり前のように受け止めていたが、リオだけは毎日のように正門前で兄を迎えていた。
しばらくすると、屋敷の中から馴染みのメイドが現れた。彼女はリオに気づくと近づいてくる。
「リオ様、今日もこちらでアルベルト様の帰りをお待ちなのですね」
「ええ、もうすぐお兄様が戻られる時間ですから」
「アルベルト様が羨ましいですわ。こんなに可愛らしい妹君にいつも迎えていただけるなんて」
リオは称賛を微笑みと共に受け取ると、メイドは優しく一礼して、屋敷の中へと戻っていく。
再び道の向こうをじっと見つめる。すると、遠くにアルベルトの姿が見えた。
いつもより歩く速度が遅く、どこか疲れているようにも見える。リオは胸騒ぎを感じ、思わず駆け出していた。
「お兄様!」
「リオ、ただいま。今日も待っていてくれたんだな」
アルベルドは微笑むが、額には汗が浮かび、顔色もどことなく青白い。
「お兄様、どこか怪我でもしましたか?」
「参ったな、やっぱり気づかれたか……」
「妹の目は誤魔化せませんよ」
リオの言葉を受け、アルベルトは困ったように笑いながら頬を掻く。
「いや、本当に大したことじゃないんだ。ただの打撲で、数日もすれば治るはずだ」
「でも、まだ痛むのでしょう?」
「少しだけな。ただ本当に心配はいらないんだよ」
アルベルトは無理に明るく答える。その姿を見ているうちに、リオの胸の奥に湧き上がる心配が強くなっていく。
兄を助けたい。その強い感情が、リオの決意を固めさせた。
「お兄様、私が調合した薬なら、お兄様の怪我を治せるかもしれません」
「リオが育てた薬草から調合したのかい?」
「はい。最近こっそりと育てている『星月草』という薬草があります。夜になると青白く光る珍しい薬草なのですが、実は少し前、私自身が膝を擦りむいた時にこっそり使ってみたのです。すると痛みがすぐに引いて、傷もあっという間に治ったんです」
リオは微笑んで、小さな声で打ち明ける。それを聞いたアルベルトは驚いて眉を顰めた。
「自分で試したのか?」
「効能には自信がありましたから」
リオが胸を張って答えると、アルベルトはため息交じりに笑った。
「全く、お前にはかなわないな……」
リオは兄の様子を伺いながら、懐から小瓶をそっと取り出す。それは誰かが怪我をした時にすぐに助けられるようにと、常に持ち歩いていた星月草の軟膏だった。
(本当は、誰にも知られないようにするつもりでしたけれど……)
リオは小さく息をつく。
今までは、自分の研究成果が知られれば、ますます家族の中での立場が悪くなると考え、軟膏の存在はひた隠しにしていた。
だが目の前で苦しむ兄を見捨てるくらいなら、気味が悪いと孤立する方が遥かにマシだった。
(お兄様を助けられるなら、私の立場なんてどうでもいい……)
リオは迷いを振り払い、真っ直ぐな瞳で兄を見つめる。
「お兄様、腕を出してください。薬を塗りますから」
アルベルトは素直に袖を捲り上げる。腕は赤く腫れ、ひどい痣が広がっていた。
「こんな怪我をしているなんて……すぐに治します」
リオは丁寧に軟膏を指に取り、そっと兄の腕に塗り広げていく。ひんやりとした感触が広がり、アルベルトは思わず小さく息を吐いた。
「これは驚いた。本当に痛みが引いていく。すごいな、リオ」
アルベルトは腕を軽く動かしてみるが、痛みはない。赤く腫れていた腕も綺麗に元通りになっていた。
「ありがとう。本当に助かったよ」
「いつも助けられているのは私の方ですから。これくらい、お安い御用です」
リオたちは穏やかな空気に包まれる。二人の浮かべた笑顔は夕暮れの光にふんわりと溶けていくのだった。