本編 ~『騎士団での訓練 ★アルベルト視点』~
『アルベルト視点』
「アルベルト! 足元が甘いぞ! もっとしっかり踏ん張れ!」
訓練場に響く教官の怒鳴り声が、アルベルトの鼓膜を激しく揺さぶる。
「は、はいっ!」
アルベルトは荒い息を吐きながら、汗で滑りそうな木剣の柄をぎゅっと握り直す。
額から流れる汗が頬を伝って地面に落ちていく。朝から続く訓練で体は限界に近く、全身が悲鳴をあげていた。
(こんなところで弱音を吐いてたまるか!)
アルベルトは強く歯を食いしばり、自分を奮い立たせる。
訓練場はいつものように見習い騎士たちの声や剣戟の音で満ちている。その中でアルベルトは人一倍熱心に、ひたすら鍛錬を重ねている。
だが周囲の視線は冷ややかだった。
『おい、あの伯爵家の坊ちゃん、また必死になってるぜ』
『どうせ実力がなくても親の財力で出世するんだろ』
その囁きは聞き慣れた言葉だ。騎士団に入ったその日からずっと背中を追いかけてくる嘲笑と嫉妬の声に、彼はひたすらに耐える。
(黙らせるには、僕が強くなるしかない)
アルベルトは奥歯を噛み締め、真っ直ぐに教官を見据える。
「行きます!」
鋭く踏み込み、木剣を振り下ろす。だがその一撃は容易に防がれる。
「甘い!」
教官は鋭く叫び、瞬時に反撃を放ってきた。素早く振るわれた剣が、アルベルトの左腕を強烈に打ちつける。
「うぐっ!」
激痛が走り、思わず歯を食いしばる。アルベルトは剣を握る手を緩めず、その場で踏みとどまろうと必死に耐える。
苦しげながらも、アルベルトは決して下を向かない。その瞳に静かな炎が揺らぐ。
そんな彼の不屈の精神を称えるように、背後から穏やかながらもはっきりとした声が届いた。
「そこまでだ」
振り返ると、そこには騎士団長ルシアンの姿があった。
陽光を受けた銀の鎧がまばゆく輝き、その下の黒い軍装は彼の引き締まった体躯をより際立たせている。
背は高く、姿勢は凛としていて、まるで絵画から抜け出してきたかのような佇まいだ。透き通るような青い瞳は、見る者すべてを射抜くような鋭さを持ちながらも、どこか静謐な光を宿している。
整った顔立ちは彫刻のように精緻で、思わず見とれる者も少なくない。同性でさえ言葉を失うほどの美貌に、アルベルトも息を呑んだ。
「アルベルト、少し私と手合わせをしようか」
ルシアンは穏やかな口調で告げる。その瞬間、周囲からざわめきが生じた。
『王子殿下が……あの坊ちゃんと?』
『大丈夫なのかよ……』
周囲の視線と囁き声がアルベルトを貫く。だが彼に恐れはなかった。
(騎士団長と直接手合わせができるなんて……)
アルベルトの胸は高鳴り、指先は緊張で微かに震える。
ルシアンは微笑みを浮かべながら、アルベルトと対峙する。木剣をゆっくりと手に取る所作は堂々としていて、余裕さえ感じられた。
(落ち着け。これは自分の力を示す絶好の機会だ。いつもの訓練通りにやれば……)
彼は心の中で自分に言い聞かせると、背筋を伸ばし、まっすぐにルシアンと向き合う。周囲の視線や囁きはもはや気にならない。ただ憧れの騎士団長と対峙できる喜びで胸がいっぱいだった。
「どうかよろしくお願いいたします!」
「遠慮は無用だ。私を敵だと思って本気でかかって来い」
「はいっ!」
アルベルトは深呼吸し、地面を蹴った。全力で打ち込んだつもりだったが、ルシアンは涼しい顔でその攻撃を受け流す。二撃目も三撃目も、まるで空を斬るように虚しく流されていく。
「はぁっ……はぁっ……速い……」
やがて息が乱れ、アルベルトの足がふらつき始めた。
「……もう終わりか?」
ルシアンは静かに問いかける。挑発的ではなく、ただ優しく問いかけるその声が、アルベルトを再び奮い立たせた。
「まだです……っ」
彼は最後の力を振り絞り、剣を構え直したが、その瞬間、ルシアンの剣が鮮やかに動き、アルベルトの手から木剣が弾かれた。
「くっ……」
膝をつき、荒い呼吸を繰り返すアルベルトに、ルシアンは静かに近づく。
「見事だ、アルベルト」
「でも一度も届きませんでした……」
苦笑いするアルベルトに、ルシアンは微笑を浮かべながら語りかける。
「剣で最も重要なのは技術だけでなく心だ。お前の剣には迷いがなかった。経験を積めば、いずれ私に一撃を入れられる日もくる」
「団長……」
「私は王子として生まれ、実力で騎士団長まで登りつめた。だがその道は容易ではなかった。誰もが私を妬み、認めようとしなかったからな」
「団長もですか?」
「ああ。だが諦めなければ、やがて誰もが認めてくれる。今は苦しいだろうが、いずれ周囲の評価も変わるはずだ」
ルシアンは穏やかに言いながら、地に伏すアルベルトに手を差し伸べた。
「お前には才能がある。諦めるなよ、アルベルト」
「団長……ありがとうございます!」
アルベルトは感激し、その手を握ろうとする。しかしその瞬間、左腕に鋭い痛みが奔る。
「腕を痛めているのか?」
「実は先程の訓練で少し……ですがたいしたことはありません」
「無理をするなよ。己の体調管理も騎士の務めだ。休む勇気も必要だぞ」
「はい……気をつけます」
「よし、今日はもう上がれ。よく頑張ったな」
騎士団長の優しい言葉に見送られ、アルベルトは静かに立ち上がった。
(……必ず強くなってみせる。騎士団長のように)
訓練場をあとにしながら、アルベルトは固い決意を胸に刻むのだった。