001-金曜日の塩化メチレン 5 <解決されていないMSDSの問題点 名称の不統一 商品名>
●ラン●ル●の主成分は塩化メチレンと1,2-ジクロロプロパンであった。
つまり、『金曜日の塩化メチレン』排水汚染の原因はそのウエスについた油拭き取り洗浄剤の洗濯水であった。
橋本君と機械工学科の研究室の助手先生の間で
『すてろ』
『いやだ、もったいない』
の激しい攻防があったらしい。でも、安野は巻き込まれずに済んだ。
そして、その週の金曜日から塩化メチレンは検出されなくなった。橋本君はがんばったようだ。
めでたし、めでたし。
ではない。
まだいくつかの問題が残されている!
まず一つは、認識の問題だ。機械工学科の学生さんも先生も自分が化学物質を使っているという認識がなかった。彼らが使っているのは『油拭き取り剤』という便利な道具で、いろいろな法規制で縛られた化学物質であるとは認識していなかった。だから、あれだけ安全衛生管理部がアラートを出しても、自分には関係ないと思っていた。
二つ目は『名称』の問題だ。アラートは『塩化メチレン』トいう名称で出されていた。一方、彼らは『●ラン●ル●』という商品を使用していた。その商品名から塩化メチレンを想像することは不可能だ。安全衛生部や私も塩化メチレンから●ラン●ル●を想像することはできない。しかし、MSDSの『名称』欄には●ラン●ル●としか書かれておらず、塩化メチレンはそのずっと下の『成分』の欄に小さく書かれていた。
そして、三つ目はそのMSDSの不備だ。MSDSの中に書かれていた手の皮膚の『手の保護具』はゴム製保護手袋であった。ゴム手袋、一般にはラテックス(天然ゴム)を素材としている。天然ゴムの成分は主にポリイソプレンである。これは親油的である、水をはじく。油は水をはじく。だから、医療現場などで血液などの水分が皮膚に付着するのを防ぐには有効である。しかし、有機物の侵入はゴム手袋では防げない。防げないどころかゴム手袋に染み込んだ有機溶媒は揮発できずに手袋内に長く留まり、手の皮膚に触れ続ける。実際、今回『手袋の内側がぬるぬるする』トいう現象は、ラテックスの手袋内の張り付き防止の粉が有機溶媒と混ざり、クリーム状になったことを意味する。そして、そのように内側に保持された溶媒は経皮吸収で皮膚から人体に侵入して行く。塩化メチレンのように揮発性の高い溶媒なら、むしろゴム手袋をはめない方が人体への侵入は少なくなるであろう。このようなMSDSの誤りは審査されず、放置されている。MSDSの外部審査制度、査読精度(peer review)が必要である。
これらのMSDSの抱える問題、名称の記載とその記述の誤り、は一地方大学の一教員になんとかできるものではない。職能を越えている。
安野には歯ぎしりするしか無かった。
注:なお、この作品中に出てくる「●ラン●ル●」の成分は、2005年当時のものです。2013年に顕在化した塩素系拭き取り剤による印刷工場の作業者の胆管ガン発生以来、その安全性が注視され、現在は改良されています。同じ商品名でもその有害性は抑えられていると思われます。
明日も更新の予定です。