002-赤い花きれい 3 <藪漕ぎ>
現場でしばし立ち話をした後に安野は橋本君に言いにくそうに切り出した。
「橋本さん、手間だけど、キャンパス内の環境整備をしないか? あ〜薮の草刈りをしないか? まだ他にも生えているかもしれないょ。」
「え〜っ!? 脅かさないでくださいよ。 堪忍して下さいよ。うちのキャンパスがどんだけ広いかご存知でしょう?」
「じゃあ、せめて一度、薮という薮をかき分けて、あの花が咲いていないか調べてくれないか?」
真面目な顔の安野を見て、橋本の顔から感情が消えた。
「他にも生えている…、ですか?」
「わからない。でも、その可能性を否めない…ということだ。花が花だけに用心しよう。」
「…了解です。了解したくないけど、了解です。」
「もし、万が一、あの花を見つけたら、触らずに、すぐに私の部屋へ電話してね。保健所の処置前にいろいろ確認したいことがある。」
「わかりました。」
安野は自分の研究室へ、橋本は本部棟へキャンパスの地図をとりに戻っていった。
♫ ♫ ♫ ♫ ♫
午後4時過ぎ、それから3時間ほどして、安野のデスクの電話が鳴った。
「はい、お待たせしました、安野です。」
「あ、橋本です。赤い花、…ありました。…見つけちゃいました。農学部の駐輪場の裏です。駐輪場のコンクリートから5 cmはなれたところに30 cmはなれて2株生えていました。」
「了解。すぐ行きます。」
現場は農学部の南側の通路に面した屋根のある片面の自転車置き場の裏だった。通路側とは逆のトタン板で仕切られた裏側の薮のなかにその赤い花は咲いていた。
「…咲いているねえ。」
「咲いていますねえ。」
「…困ったねえ。」
「困りますねえ。」
二人は現場で、腰まである雑草の中でため息をついた。
赤い花の株はコンクリートのうらの堅く乾いた砂の多い地面の上に植わっていた。株の周りの土だけすこし黒っぽく柔らかい。
「これは、誰かが株を植えているねえ。どうする?」
「どうする?って言いますと?」
「このまま、また保健所に通報すると、今度こそ警察案件だ。誰かが栽培を目的として芥子を植えた、とされる。新聞報道もされてしまうょ。」
「え〜っ。それは困ります。」
「困るよねえ。でも、このまま放置するわけにもいかないし。公務員の無謬性ゆえに、黙っているわけにはいかないんだろう?」
安野は国立大学法人の職員だが、公務員ではない。この4月に国家公務員を外れ、大学法人の職員になっている。安全衛生については『人事院規則』の枠をはずれて『労働安全衛生法』の枠に移っている。一方、橋本君はまだ公務員だ。公務員は法をおかさない、法令遵守を強く義務づけられている。公務員は法を守るのがデフォルトだ。これは公務員の無謬性と呼ばれる。それ故に、違法行為や脱法行為は一般市民よりも厳しく罰せられる。
橋本君は泣きそうな顔で訴えた。
「先生、勘弁してください。あまりいじめないでください。」
「先生、大ごとにはしたくないです。」
「そうか…おっと、足が滑った。」
私は花の株を踏んづけて、根元に砂っぽい白い周りの土を寄せた。これで、ちょっと見には赤い花は自生していたかのように見えるだろう。
「花の処分は保健所と事務部に任せます。でも、やっぱりキャンパスの大々的な環境整備をしなくちゃならないですねえ。」
「はあ。明日から部のメンバー総動員で行なうように、部長に掛け合います。みんな思いっきり嫌がるでしょうねえ。」
「お気の毒様、でも、キャンパスの環境整備はもともとそちらの守備範囲でしょう? 嫌がらない、嫌がらない。」
なだめるように喋り、続けて、
「とにかく、僕を巻き込まないようにしてね。もう本部の安全と私は縁が切れているんだから。あくまで橋本君の友人としてのアドバイスをしている一般人…ただの助教授だからね。ところで、明日の朝9:00に、私の部屋に来てもらえますか。今後の対応を相談しましょう。」
「わかりました、お伺いします。」
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