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キャンパスでは「ご安全に!」  作者: リオン/片桐リシン
00-プロローグ  全2話
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00-プロローグ 1 <あの頃の父>

本編は共著者である父のアカウントで、私、リオンが書いたものです。

一部リアルな話しもありますが、あくまで創作物です。

トいうことにしておいてください。


 今から20年前、父、安野全一は備中大学大学院工学研究科の助教授でした。

 所属は大学院だけど,実際は主に学部学生を相手に研究と講義を行なっていました。2000年に、備中大学は大学院大学化したため、実際は学部の先生でも、形式的には大学院の先生でした。


 父、全一は若白髪でした。まだ44歳だけど、毛髪は半分白い。これは祖父譲りです。そのため、ふけ顔です。『残念ロマンスグレー』です。


 父,全一は髭を伸ばしていました。というか、ひげを剃らない人でした。私が2歳の時はまだときどき髭を剃っていたそうです。そのころ、ひげを剃った日の夕方に私にほおずりをしたら、私が突然泣き出したそうです。夕方の伸びかけの髭は紙ヤスリのように私の頬を傷つけ、刺さった髭で顔にぷつぷつと出血させたそうです。擦過傷です。父の髭は凶器でした。ひげを伸ばし、刺さることはなくなっても、私は、父の愛情表現、『髭スリスリ』が恐ろしく、髭スリスリされそうなときは一目散に逃げ回りました。


 聞いた話しでは、学生さんにも、「『髭すりすり』するぞ!」とペナルティとして脅していたそうです。今ならアカハラ、モラハラ案件ですね。モラハラはモラル・ハラスメントではなく、モラル・ハザードかもしれません。


 父、全一は大声でした。その大声で子どもをしばしば叱り、震え上がらせました。そのような大声で叱られると、その叱られた理由は頭から吹っ飛んでしまい、恐怖心のみが記憶に残りました。大学の官舎の同級生に、

 「オマエのトーチャンは大声だなぁ。昨日も叱られてたなぁ。」

としばしば同情されました。


 父、全一はいつも赤色系のネクタイをして、芥子色のジャンパーを着ていました。ネクタイは近所の激安の食品スーパーで、税抜き88円で売っていた安ものです。この服装ゆえに300 m先からもその存在を視認できました。ネクタイは会社員の頃から仕事のときは必ず付けていたそうです。『サラリーマンの矜持』だそうです。でも、あまりにも安い矜持だと思います。


 父、全一は甘いもの好きでした。学会出張のお土産に必ずお菓子を買って帰ります。クッキーなどの洋菓子ではなく、和菓子が多いようでした。『◯◯へ行ってきました』というようなお菓子は買ってきませんでした。洋菓子よりも和菓子を好むのは、学生時代を古都大学で過ごした名残だとおもわれます。父のお土産はおいしい。でも食べているあいだ中、延々とそのお菓子のうんちくを語るのには閉口しました。おいしいけど、はっきり言って鬱陶しい思い出です。


 父、全一は私がうまれる前、1995年までは会社員だったそうです。古都大学で理学博士号をとったあと,2年間日本学術振興会特別研究員としてポスドクをしていたそうです。その後、29歳で新入社員になったそうです。そのころ、父は大学教員を希望していたそうですけども、教授に「夕食1回」で会社へ売られたそうです。その転進に関する詳細は黙して語りませでした。もう今はかないませんが、いつか聞き出してやろうと思っていました。


 ところで、父は名詞に「古都大学 理学博士」と肩書きを記載していました。他の先生は単に「工学博士」としか記載していません。父に聞いてみたところ、

「学位規則という法律で、学位授与機関を併記することが定められている。正式にはそのように記載しなければならないと定められている。父ちゃんは正しい! 理学博士とか工学博士とかしかかかないのは、旧制大学で学位をとった戦後すぐまでの世代か、法律違反だ。」

と言っていました。

 なお、父は1988年に学位をとりましたから、「古都大学 理学博士」であり、「古都大学 博士(理学)」ではなかったそうです。その辺に妙にこだわる父でした。


 父、全一は会社員時代、スタッフの係長研究員だったそうです。3か月の新入社員研修後すぐに部下のいない係長相当の職制になったそうです。昔の年功序列は怖いですね。3年間のOJTはある化学物質を売れる形にして売るというテーマだったそうです。その後は医薬品の開発(創薬)をしていたそうです。そのころ、スタッフの係長業務として、改善提案、ヒヤリハット、職場安全教育,安全巡視も担当していたそうです。


 父、全一の専門は…バラバラで何かよくわかりません。所属している研究室は有機フッ素化合物の研究室でした。興味の赴くままに研究する、というスタイルだったようです。晩年には化学ではなく、公衆衛生の研究にも手を出していました。夏場の新型コロナの感染経路に関する研究、感染拡大の速度論的な予想に関する研究だったそうです。何やってたんだか。

 

 「中二病をこじらせて科学者になってしまった。」

と父は自分で言っていました。

 父、全一は「まっとうな化学者ではない、マッドゥな化学者だ」。そう本人が宣言していました。でも,さすがに名刺の肩書きに『マッドサイエンティスト』とは書いていませんでした。

 晩年、大学の新入生に

 「僕、この大学に入学して、実在するマッドサイエンティストをはじめて見ました。」

と言われて、嬉しそうにしていました。

 第2種永久機関を実現するためにマクスウェルの悪魔をどうやって召喚すれば良いかを研究していたそうです。なんか…怖い。その研究は、日経サイエンスのアツミアン先生の論文にインスパイアーされたことだそうです。何が何だかよく分かりません。


 父、全一は社会とか誰かのためではなく、自分の知的好奇心を満たすために、研究をしていたそうです。「自分が納得するために研究をしている」、と申していました。研究を語る父は楽しそうでした。それでお給料をもらえるのなら、大学の先生はよい商売だと思います。


 父、全一は研究室で「教祖」と呼ばれていた…らしいです。小さな頃に連れて行かれた研究室のテニス大会で大学院生のお姉ちゃんが、

「リオンちゃん? 初めまして。私が先生の長女のアー◯ャリーです」

と笑いながら挨拶してきました。私は、混乱してどう返事して良いのか分からず、固まってしまいました。父は苦笑いしていました。


 父、全一は家では典型的な『ダメオヤジ』でした。母によく叱られていました。家ではソファーの上にパンツ一丁で、トドの様にゴロゴロと寝転がっていました。ときどき大きなオナラをぶっ放ししていました。でも,母はそんな父を叱ることはあっても、父のいない時に子どもの前で悪口を言いませんでした。

 父、全一は子どもをかわいがりました。私は寝転がった父のお腹の上でうつぶせに昼寝をするのが好きでした。我が家ではこれを「トトロ寝」と呼んでいました。


明日日曜日はお休みです。本作の次回更新は3日月曜日になります。


明日は『狭間の世界より』

https://ncode.syosetu.com/n8643jw/

の更新日です。


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