第5話「心に届く言葉」
広場に静寂が降りる。
かつて戦場で号令を上げた声は、今、違う響きを持っていた。
「私は...この街の月光の湯を、再建したいと思います」
一瞬の戸惑い。そして、ざわめきが広がる。
(これが、私の戦場)
アイリスは、広場に集まった様々な種族の顔を見つめる。
人族の商人たち。
エルフの薬売り。
ドワーフの職人たち。
獣人の旅商人。
そして──魔族の行商人さえも。
「なぜ、ですって?」
アイリスは、誰かが投げかけた声に応える。
「それは...」
その時、広場の隅から、小さな物音が聞こえた。
振り返ると、人族の子供とエルフの子供が転んで、泣きそうな顔をしている。
アイリスは自然と足を向けた。
かつての戦場なら、周囲の警戒のために動けなかっただろう。
でも今は──。
「大丈夫?」
両手を差し出し、二人を優しく抱き起こす。
「ほら、怪我はないみたいですよ」
その仕草に、周囲の緊張が少しずつ溶けていく。
氷華姫の異名を持つ王女が、子供たちに見せる自然な優しさ。
それは意図したものではなく、今の彼女の本質そのものだった。
「私は戦場で、多くのものを失いました」
立ち上がりながら、アイリスは静かに語り始める。
「仲間を。敵を。そして、時には自分自身さえも」
広場は、再び静寂に包まれる。
「でも、この街に来て、気付いたのです。
私たちは、奪い合うだけの存在ではないと」
アイリスは、市場に並ぶ品々を見渡す。
エルフの薬草が人族の織物と並び、
ドワーフの鍛冶道具が獣人の革細工の隣に置かれている。
「この街では、種族も立場も超えて、
自然と人々が交わっている。
それは、この土地が持つ不思議な力...
いえ、皆さんの心が作り出した奇跡」
市場の上を、温泉の湯けむりが風に流れていく。
「月光の湯は、かつてその奇跡の中心でした。
全ての種族を分け隔てなく受け入れ、心を癒やす場所。
私は...その場所を、もう一度」
その時、思いがけない声が響いた。
「お前に、何が分かる」
人々が静かに分かれ、一人の老いたドワーフが姿を現す。
杖を突きながら、どこか悲しげな表情でアイリスを見つめていた。
「戦争で家族を失った者の気持ちが、分かるというのか」
場の空気が、一気に緊張する。
広場の片隅で、ライアンが身構えるのが見えた。
(ああ、そうか)
アイリスは、ゆっくりと老ドワーフに向き合う。
確かに、自分は何も分かっていなかったのかもしれない。
「申し訳ありません」
アイリスは深く頭を下げる。
広場に、驚きの声が漏れる。
氷華姫が、一人のドワーフに頭を下げる姿に。
「確かに、私には皆さんの悲しみは分からないかもしれません。
ですが...」
アイリスは、ゆっくりと顔を上げる。
銀色の瞳に、強い意志が宿っていた。
「だからこそ、分かり合いたい。
この温泉の力を借りて、
傷ついた心を、少しずつでも癒やしていきたい」
「...」
老ドワーフが、じっとアイリスを見つめる。
「あんたは、あの時の」
「え?」
「十年前、王妃様とここに来た...あの子供か」
アイリスの目が見開かれる。
老ドワーフは、月光の湯の常連客だったのか。
「覚えておりましたか」
「ああ。あの時も、こうして頭を下げた」
老ドワーフの目が、懐かしそうに細まる。
「湯船で他の客の荷物に躓いた時にな」
思いがけない記憶に、アイリスの頬が熱くなる。
広場のあちこちから、小さな笑みがこぼれる。
「確かに、私はまだ未熟です」
アイリスは、気持ちを込めて続ける。
「でも、この街の皆さんと一緒に、
新しい月光の湯を作り上げていきたい。
種族も立場も超えて、心が温かくなれる場所を」
湯けむりが、やわらかな朝の光に照らされて輝く。
アイリスの言葉が、温かな風のように広場に広がっていった。