第3話「視察の命」
王城の廊下を歩きながら、アイリスは父の呼び出しの意図を探っていた。
普段、父王は政務に関することは執務室で済ませる。個室での面会を求めてくるのは、何か特別な理由がある時だけだった。
「陛下がお待ちです」
侍従が静かに扉を開く。
書斎に一歩足を踏み入れると、暖炉の前で佇む父の姿が目に入った。
「お父様」
「アイリス」
父王は振り返り、穏やかな表情を浮かべる。
「近頃、よく母上の話をするそうだね」
その言葉に、アイリスは一瞬、息を呑む。
執務室での会話が、父の耳に入っていたとは。
「...はい。辺境視察の予定を見ていて、ふと」
「月光の里のことかね」
微かな懐かしさを含んだ父の声に、アイリスは静かに頷く。
「実はな」
暖炉の炎を見つめながら、父は続けた。
「辺境視察には、もう一つ目的がある」
「もう一つ?」
「戦後の混乱で、種族間の軋轢が深まっている地域がある。
人族、エルフ、ドワーフ、獣人...そして、降伏した魔族たちまでもが、
互いを避けあって暮らしているという」
アイリスの表情が引き締まる。
戦後処理の報告書で、彼女も似たような事例を目にしていた。
「その調査も、視察の目的に?」
「そうだ。だが、これは単なる現状視察ではない」
父は、ゆっくりとアイリスの方を向く。
「おまえの判断を見たいのだ」
「私の...判断、ですか?」
「次期女王として、どのように異種族との関係を築いていくのか。
その手腕を、実地で確かめてもらいたい」
重みのある言葉に、アイリスは真摯に頷く。
しかし、どこか心の奥で、違和感が揺らめいていた。
(剣で切り開いた平和を、今度は政で守れというのですね)
「心配そうな顔をしているな」
「いえ、そんな...」
「アイリス」
父王が、珍しく柔らかな声で呼びかける。
「おまえは、母上に似て優しい心の持ち主だ。
それなのに、戦場では氷のように冷徹な剣士となった。
父として、それが少し寂しかったよ」
「お父様...」
「だが今、またおまえの中で、何かが変わろうとしているように見える」
「変わろうとしている...?」
「うむ。母上の思い出に導かれるように、な」
暖炉の炎が、一瞬大きく揺らめく。
その光が、アイリスの銀色の瞳に映り込んでいた。
「私には...まだ分かりません」
「それでいい」
父は静かに微笑む。
「道は歩みながら、見えてくるものだ」
会話が終わり、書斎を出たアイリスを、ライアンが廊下で待っていた。
「殿下、いかがでしたか?」
「ええ...」
答えながら、アイリスは窓の外を見やる。
春の陽光が、遥か彼方の山々を照らしていた。
(道は歩みながら...ですか)
胸の中で、かすかな予感が、温かく脈打っている。
それが何なのか、まだ彼女には分からなかった。
ただ、確かに何かが、彼女の中で目覚めようとしているのは感じていた。
「ライアン、出発の準備を」
「はい」
天高く伸びる王城の尖塔に、春の風が吹き抜けていった。