第3話「種族間の調整」
「温度が高すぎます」
「いいえ、むしろ低すぎる」
会議室と化した仮設の小屋で、エルフとドワーフの意見が激しくぶつかり合っていた。
浴場の温度設定について、エルフは繊細な肌に配慮した微温湯を、ドワーフは疲労回復に効果的な高温を主張する。
「私たちエルフには、刺激が強すぎて」
「鍛冶の仕事で疲れた体には、それくらいの熱さが」
アイリスは、黙って両者の言い分に耳を傾けていた。
対立は温度だけではない。
浴場の広さ、休憩所の配置、庭園の様式──。
種族それぞれが、異なる価値観を持っている。
「殿下」
ライアンが心配そうに声をかける。
「このままでは...」
その時、エルシアが静かに立ち上がった。
「皆様、源泉を見に行きませんか?」
予想外の提案に、議論が止む。
***
湧き出る源泉の前で、エルシアは語り始めた。
「この温泉には、七つの源泉があります。
それぞれが、異なる温度と性質を持っている」
「七つ...」
アイリスは、水晶を取り出す。
すると、源泉の位置が浮かび上がった。
「新しく見つかった源泉も含めて」
グラウスが図面を広げる。
「複数の浴場を設けることは、可能です」
エルフの代表が、目を見開く。
「それは、種族別に?」
「いいえ」
アイリスが、静かに言葉を紡ぐ。
「目的別の浴場にしてはどうでしょう」
会議室に戻り、アイリスは新しい案を説明し始めた。
「高温浴は、肉体労働で疲れた方々のために。
微温浴は、ゆっくりと湯治を楽しむ方々に。
薬湯は、治療を必要とする方々のため」
水晶に、新しい設計図が映し出される。
「種族で分けるのではなく、
その時々の目的に応じて、
誰もが自由に選べる場所に」
エルフとドワーフの表情が、少しずつ和らぐ。
「なるほど」
獣人の代表が、感心したように頷く。
「私たちも、体調によって使い分けられる」
「魔力の回復には、異なる温度が効果的ですからね」
魔族の老魔術師も、賛同の意を示す。
その時、人族の大工が思いがけない提案を。
「休憩所は、共有スペースにしません?
種族それぞれの文化に触れる場所として」
「それは面白い」
エルフの薬師の目が輝く。
「私たちの薬草茶を、皆様に」
「うちの鍛冶で作った茶器を使って」
ドワーフの職人も、乗り気な様子。
話は自然と、文化交流の場としての可能性へと広がっていく。
対立していた者同士が、新しいアイデアを出し合い始めた。
「見事ですね」
エルシアが、アイリスに小声で語りかける。
「殿下は、種族の違いを問題視するのではなく、
むしろそれを活かす道を選ばれた」
アイリスは、水晶を見つめる。
中の湯けむりが、七色の光を放っていた。
(一つ一つの色が美しいように、
それぞれの種族の個性も、かけがえのないもの)
「では、改めて」
アイリスは、皆に向かって声を上げる。
「新しい月光の湯の姿を、一緒に描いていきましょう」
会議室には、もう対立の空気はない。
代わりに、期待と創造の雰囲気が満ちていた。
窓の外では、春の風が吹き抜けていく。
それは、古い壁を溶かし、
新しい可能性を運んでくる風のように感じられた。




