第2話「グラウスの執念」
「違う、そうじゃない」
グラウスの声が、作業場に響く。
手元の石材を見つめる目は、鋭い光を宿していた。
「この石組みは、水の流れを理解していなければ」
その言葉に、若い職人たちが息を呑む。
人族もドワーフも、等しく真剣な面持ちで耳を傾けていた。
「温泉は生きている」
グラウスは、石材の表面を撫でるように触れる。
「湯は自分の道を選ぶ。私たちは、その道を整えるだけ」
アイリスは、少し離れた場所からその様子を見守っていた。
「グラウスさんは、お父上から直接技を学んだのですか?」
ライアンの問いに、エルシアが答える。
「ええ。かつてこの温泉街が最も栄えていた時代、
グラウスの父は、人族の建築家と共に
新しい温泉建築の形を生み出そうとしていた」
その時、グラウスのポケットから一枚の古い図面が零れ落ちる。
黄ばんだ紙には、緻密な設計図が描かれている。
「これは...」
アイリスが、図面を手に取る。
「父が残した最後の設計図です」
グラウスの声が、普段より柔らかい。
「戦火で多くを失いましたが、これだけは守り抜いた」
図面には、実現されなかった月光の湯の増築案が記されていた。
人族とドワーフ、双方の技術を融合させた革新的な設計。
そして欄外には、小さな文字で記されている。
《種族を超えた技術の融合こそが、新しい時代を作る》
「父は、それを信じていた」
グラウスの瞳が、懐かしさに潤む。
「種族の壁を超えて、技を磨き合うことの大切さを」
その時、作業場の奥から異変が起きた。
「棟梁!」
「浴場の床下から、何かが!」
駆けつけてみると、床下から温泉が湧き出していた。
予定外の源泉の流れに、職人たちが慌てふためく。
しかし、グラウスの表情は冷静そのもの。
むしろ、どこか嬉しそうにさえ見えた。
「やはり、ここにも」
彼は、湧き出る湯に手を触れる。
「父の図面に記されていた、もう一つの源泉が」
エルシアが、静かに頷く。
「この温泉には、まだ多くの秘密が眠っている」
グラウスは、再び図面を広げる。
そこには確かに、この場所に隠された源泉の記述があった。
「父は知っていた」
グラウスの声が、誇りに満ちる。
「この建物の、本当の可能性を」
アイリスの水晶が、かすかに光を放つ。
新たに見つかった源泉から立ち昇る湯けむりが、
不思議な模様を描き始める。
「皆!」
グラウスが、職人たちに向かって声を上げる。
「新しい設計図を描き直すぞ。
この源泉を活かした、さらに素晴らしい月光の湯を」
人族とドワーフの職人たちが、
一つの図面を囲んで意見を交わし始める。
かつて夢見られた融合が、
今、現実となって動き出そうとしていた。
「殿下」
グラウスが、アイリスに向き直る。
「少し、工期が延びるかもしれません」
「いいえ」
アイリスは、温かな笑みを浮かべる。
「きっと、待つ価値があるはず」
陽光が差し込む作業場で、
新たな図面が、少しずつ形を成していく。
そこには、過去と未来を繋ぐ、
確かな技術の輝きが宿っていた。