第5話「隠された協力者」
「商務会議を、一週間後に」
ヴィクター卿の声が、王宮の廊下に響く。
側近たちが慌ただしく行き交う中、アイリスは立ち止まる。
(商務会議...)
それは王国の経済政策を決定する重要な会議。
この時期の開催は異例だった。
「殿下」
レイチェルが、静かに近づいてくる。
「少し、お時間をいただけますでしょうか」
***
案内された離宮の一室には、意外な人物が待っていた。
「お久しぶりです、殿下」
かつて辺境貿易で財を成し、今は商人ギルドの重鎮として知られるクライブ・マーシュ。
その傍らには、エルフとドワーフのギルド代表も控えていた。
「まさか、皆様が」
「ええ、密かに会談を重ねていたのです」
レイチェルが説明を始める。
「商人ギルドの方々も、種族間の交易の必要性を感じていた。
ですが、そのきっかけがなかった」
クライブが言葉を継ぐ。
「月光の湯の再建は、絶好の機会です」
エルフのギルド代表が、一枚の地図を広げる。
そこには、各地の交易ルートが描かれていた。
「月光の里は、まさに交易の要所」
ドワーフの代表が、渋い声で説明する。
「かつては、種族を超えた交易の中継点でした」
(そうだったのですか...)
アイリスの目の前で、地図が輝きを帯びる。
水晶が反応し、湯けむりが地図の上を漂う。
クライブが、意味深な表情を浮かべる。
「ヴィクター卿の商務会議にも、私たちなりの準備がある」
「実は」
レイチェルが、古い記録を取り出す。
「これは、二十年前の商務記録」
そこには、驚くべき数字が並んでいた。
種族間交易が活発だった時代、月光の里は王国有数の商業都市として栄えていたのだ。
「つまり」
アイリスは、ゆっくりと理解していく。
「経済的な価値を示すことで」
「ええ」
クライブが頷く。
「保守派の懸念を、利益で押し切る」
その時、予期せぬ来訪者があった。
「これは、興味深い会合ですね」
振り向くと、そこにはヴィクター卿が立っていた。
アイリスの背筋が伸びる。
しかし──。
「私も、少し話を聞かせていただけますかな」
その表情には、先日の反発の色は見えない。
代わりに、どこか懐かしむような、温かな光が浮かんでいた。
「実は、私にも月光の里との縁がありましてな」
ヴィクターは、窓際に歩み寄る。
「若き日に、そこで人生を変える出会いがあった」
アイリスは、息を呑む。
エルシアの言葉を思い出していた。
温泉の力が、人と人を、種族を超えて結びつける──。
「殿下」
ヴィクターが振り返る。
「商務会議では、この企画を全面的に支持させていただこうと思います」
「ヴィクター卿...」
「ただし」
その声は、厳格さを取り戻していた。
「経済的な実現性は、しっかりと示していただきたい」
アイリスは、凛として頷く。
「はい。必ず、ご期待に応えてみせます」
部屋の空気が、柔らかく変化していく。
水晶の中で、湯けむりが優しく揺らめいていた。
「さて」
クライブが、新しい書類を取り出す。
「具体的な計画を詰めていきましょうか」
窓の外では、春の陽射しが降り注ぎ、
新しい季節の訪れを告げているようだった。
レイチェルはその様子を見守りながら、
小さくため息をつく。
「王妃様も、きっと喜んでいらっしゃることでしょう」
その言葉は、誰にも聞こえないほど小さかったが、
確かな希望の音色を持っていた。