第3話「反対の声」
「とんでもない話です!」
王宮の会議室に、怒声が響く。
「次期女王候補である殿下が、一介の宿の女将に?
しかも、魔族まで受け入れるというのですか?」
アイリスは、静かに目を閉じる。
予想はしていた反応だった。
商務卿のヴィクター・ハーウッドは、戦後復興の功労者として知られる人物。
しかし同時に、種族間の区別を重視する保守派の重鎮でもあった。
「エルフやドワーフはまだしも、魔族との共生など」
「ヴィクター卿」
アイリスは、穏やかな声で遮る。
会議室の窓から、王都の景色が見える。
戦後の復興で賑わう街並み。
そして、その影に隠れた確かな軋轢。
「街の再建には、全ての知恵が必要です」
「しかし」
「魔族の技術がなければ、源泉の完全な調査はできません」
水晶を取り出すと、調査結果が浮かび上がる。
魔族特有の探査魔法で判明した、地下の複雑な温泉脈。
「これほど詳細な調査ができたのは、彼らの協力があってこそ」
ヴィクターの表情が、僅かに揺らぐ。
実務家である彼には、その価値が分かるはずだった。
「それに」
アイリスは続ける。
「商務卿であるあなたなら、もう一つの可能性にも気付いているはず」
「もう一つ?」
「観光による経済効果です」
会議室に、新しい映像が浮かび上がる。
市場で交わされる様々な物資。
エルフの薬草、ドワーフの工芸品、獣人の革製品。
そして、魔族の宝石細工。
「異なる文化が交わることで生まれる、新しい価値」
アイリスの声が、確信に満ちている。
「それは、この国の新しい富となる」
「しかし...」
ヴィクターの声が、僅かに弱まる。
「民衆が受け入れるとは」
「ならば、私がその先例を作ります」
アイリスは、真っ直ぐに彼を見つめる。
「次期女王候補である私が、種族共生の象徴として」
その時、会議室の扉が開く。
「失礼します」
「レイチェル卿...」
入ってきたのは、かつて母の側近として仕えた女性だった。
先日の玉座の間で、ため息をついていた老臣である。
「ヴィクター、少し話があるのだけど」
レイチェルは、意味ありげな表情を浮かべる。
「殿下、少しよろしいでしょうか」
「はい」
アイリスが退室しようとした時、
レイチェルの小さな呟きが聞こえた。
「懐かしいわね...あの方にそっくり」
(母上に...?)
廊下に出たアイリスの耳に、
会議室からヴィクターとレイチェルの声が漏れ聞こえる。
「あの温泉街のことは、覚えているでしょう?」
「...ああ」
「あなたも、かつては」
それ以上は聞こえなかったが、
アイリスの中で、ある予感が芽生える。
(母上の時代に、何かあったのでしょうか)
伝統と革新。
過去と未来。
その狭間で、アイリスは新しい道を探ろうとしていた。
窓の外では、春の風が街路樹を揺らしている。
その木漏れ日が、廊下に不思議な模様を描いていた。
「今日の会議は、ここまでとさせていただきます」
出てきたレイチェルが、アイリスに小さく頷きかける。
その表情には、どこか懐かしいような、温かな光が宿っていた。
(まるで、母上のよう)
アイリスは、水晶に手を当てる。
湯けむりが、かすかに脈打っている。
まるで、彼女の決意に応えるように。