第1話「湯けむりの幻影」
玉座の間に、不思議な光景が広がった。
水晶から放たれた湯けむりは、まるで意思を持つかのように渦を巻き、やがて空中に映像を結び始める。
そこに映し出されたのは──。
(温泉の精霊の力...)
月光の里の日常。
人族の子供とエルフの子が、共に遊ぶ姿。
ドワーフの職人が人族に技を伝える風景。
獣人と魔族が、市場で笑顔を交わす光景。
そして、かつての月光の湯。
種族を超えて、人々が心を癒やしていた日々。
「これが、私が守りたい場所です」
アイリスの声が、静かに響く。
群臣たちの間から、小さなざわめきが起こる。
「確かに、平和な光景ではある」
宰相が一歩進み出る。
「だが殿下、次期女王たる方が、一地方の温泉街ごときに」
その時、湯けむりの中の映像が変化した。
戦火に包まれる街。
逃げ惑う人々。
種族間の対立と憎しみ。
そして──。
「これが、私たちが乗り越えてきたもの」
アイリスは、毅然とした態度で続ける。
「そして、これをご覧ください」
映像は再び変わる。
今や廃墟となった月光の湯に、様々な種族が集まる様子。
グラウスの建築指導、エルフの薬師の提案、魔族の源泉調査...。
「彼らは、自ら動き出したのです。
種族も立場も超えて、共に働く術を、既に知っている」
湯けむりが、玉座の間の空気をほのかに温める。
建物の傷みを映し出す光景に、群臣の一人が声を上げる。
「莫大な費用が必要でしょう」
「はい」
アイリスは頷く。
「ですが、これをご覧ください」
次の映像は、街の人々の表情。
希望に満ちた瞳。
再建への意欲。
そして何より、種族を超えた信頼の芽生え。
「彼らには技術があります。知恵があります。
そして何より、共に生きていこうとする意志が」
「しかし」
別の重臣が口を開く。
「王女である殿下が、一介の宿の女将に...」
「私は」
アイリスの声が、強く響く。
「この国の理想の形を、実際の形にしたいのです」
湯けむりの中で、様々な光景が重なり合う。
過去と現在。
苦しみと希望。
そして──。
「月光の湯は、単なる温泉宿ではありません。
種族共生の象徴として、この国の新しい形を示せる場所なのです」
その時、思いがけない声が響いた。
「では、アイリス」
父王が、静かに立ち上がる。
「その覚悟を、試させてもらおう」
玉座の間に、緊張が走る。
湯けむりの映像が、ゆっくりと消えていく中、
父王の目には、何かを見通すような光が宿っていた。
「これより、おまえの決意を試す、三つの試練を課す」
アイリスは、背筋を正す。
水晶の中の湯けむりが、かすかに脈打つのを感じながら。
(試練...)
それは、新しい戦いの始まりを告げる言葉だった。