第6話「動き出す歯車」
「グラウスと申します」
老ドワーフは、杖を突きながらアイリスの前に進み出た。
「かつて、月光の湯の建築を手がけた者の子です」
その言葉に、広場がざわめく。
グラウス一族は、この地方きっての名工として知られる存在だった。
「父は戦火の中で倒れ、引き継いだ図面も焼失しました」
渋い声に、深い感情が滲む。
「だが、この体が覚えている。あの建物の全てを」
アイリスは、静かに息を呑む。
老ドワーフ...グラウスの瞳に、職人としての誇りが灯っていた。
「本気で再建するというのなら」
グラウスは、アイリスをじっと見つめる。
「この老いた腕を、貸してやってもいい」
その言葉に、広場が再び静寂に包まれる。
そして──。
「私にも、できることがあります」
一人のエルフの薬師が、前に出てきた。
「温泉と薬草を組み合わせた湯治法なら」
「うちの革細工も、何かの役に立つはず」
獣人の職人も、力強く声を上げる。
「私たち魔族の魔力で、源泉の管理が」
薄紫の肌をした魔族の老婆までもが。
次々と、声が上がる。
種族を超えて、思い思いの言葉が飛び交う。
まるで、この瞬間を待っていたかのように。
(これが、この街の本当の姿)
アイリスの目に、涙が滲んでいた。
力だけでは得られない、何かがここにはある。
「では、まずは」
エルシアが、静かに場の中心に歩み出る。
「月光の湯の現状確認から、始めましょうか」
***
夕暮れ時、月光の湯の前には様々な種族が集まっていた。
「建物の基礎は、まだしっかりしていますな」
グラウスが、石組みに手を当てながら唸る。
「これなら、大規模にはなるが、改修で済みそうだ」
「源泉の導管も、ほとんど無事です」
魔族の老婆が、魔力で探査した結果を告げる。
「薬草園も、すぐに再生できそう」
エルフの薬師が、敷地内を歩きながら頷く。
次々と、専門的な意見が飛び交う。
種族それぞれが持つ技術が、自然と組み合わさっていく。
(不思議)
アイリスは、その光景を静かに見つめていた。
たった数時間前まで、これほどの一体感は想像もできなかった。
「殿下」
ライアンが、心配そうに寄り添う。
「王都への報告は」
「ええ」
アイリスは、夕陽に照らされる建物を見上げる。
「父上に、直接説明に参ります」
「では、私も」
「いいえ、ライアン」
アイリスは、彼の腕に優しく手を置いた。
「あなたには、ここで皆を支えていてほしいの」
「しかし」
「大丈夫」
かつての戦場で、二人は何度もこんな会話を交わした。
そして、お互いを信頼し合うことを学んだ。
「この場所には、不思議な力がある。
私も、必ず戻ってきます」
「...承知しました」
ライアンが深く頭を下げる。
その仕草は、いつもと同じなのに、
どこか新しい感情が込められているように見えた。
「殿下」
エルシアが近づいてくる。
「これを」
差し出されたのは、小さな水晶。
中に、湯けむりが封じ込められているようだった。
「温泉の精霊の、親書とでも言いましょうか」
エルシアが、意味ありげに微笑む。
「きっと、お役に立つはず」
アイリスは、大切そうに水晶を受け取る。
夕陽に透かすと、中の湯けむりが七色に輝いた。
「エルシアさん、皆さん」
アイリスは、集まった人々に向かって深く頭を下げる。
「必ず、良い報告を持って戻って参ります」
夕暮れの湯けむりが、アイリスの決意を祝福するように、
黄金色に輝いていた。
***
数日後、アストラル王国の玉座の間。
「アイリス、お前の決意は本気か」
父王の声が、厳かに響く。
群臣たちの視線が、一斉にアイリスに注がれる。
アイリスは、ゆっくりと水晶を取り出した。
その瞬間、不思議な湯けむりが玉座の間に広がり、
そこに──。