眼鏡をかけてるだけで『見ての通り頭の良いやつだ』と言われた俺。席替えでギャルとお嬢様の百合の間に挟まれてしまう。
生まれて17年。
現実を知るには十分な年頃だ。
漫画やアニメに詳しくて頭は悪い陰キャの俺は今後もクラス内カーストは低い位置にあるだろう、とか。
俺と親しくしてくれる女子はいないだろう、とか。
そんな風に勝手に思い込んでいた。
※※※※※※
「ねぇ、アンタさぁ」
机に突っ伏して朝から寝たふりを決め込んだ俺に、クラスメイトのギャルが話しかけてきた。
「うちのクラスの……えっと、芳樹だっけ?」
生粋の日本人とは思えない白い肌、朝日を受けてキラキラと輝く長い金髪。
女子にしては高めの身長にモデルのように長い手足、それでいて胸と尻は大きい抜群のスタイル。
胸が大きく空いた改造制服を着こなして、粋に佇むその姿は世が世なら太夫として名を馳せていても不思議はない。
カースト上位、コミュ力おばけ、ギャルのカリスマ、学校の二大美女の内の一人、水戸朱音。
「え」
今まで接点はない。
幼馴染や生き別れの姉、許嫁なんてこともない。
それなのに話しかけてきたのは、
「漫画詳しいんでしょ?」
馬鹿にするためだろう。
『えー、芳樹ってさー。アニメのことになると早口になるじゃん。マジでキモ』って言われるに違いない。
オタクに優しいギャルはいないのだ。(断言)
「詳しいよ」
「あー、やっぱりね! よかったー」
バシバシと俺の肩を叩く朱音。女子の力だから痛くはないけど、その細い指が体に触れるたびにちょっと興奮してしまう。
こいつ、実は悪いギャルじゃないんじゃないか?
そして、ちょっと親しくされただけでころっとオちてしまう俺も情けない。
でも、仕方ないのだ。オタクは女に弱い。(断言)
「実はさー。お願いがあるんだけど」
ずいっと顔を寄せて、朱音が両手を合わせる。ちょっと視線を下に移せば胸の谷間が見えてしまう。
朱音の黒曜石のような瞳を見つめるべきか、胸をガン見すべきか。
視線が激しく泳ぐ俺に、朱音はにっこりとほほ笑む。『こいつ、俺のことが好きなのかな?』と勘違いさせてしまうほどの破壊力。
心臓が高鳴り、脈拍が激しく上昇して、頬が熱くなる。
「ああ、うん」
熱で頭をぽーっとさせながら頷いた。
既に脳内ストーリーでは、『俺と朱音の子供が大学に合格する』ところまで話が進んでいた。
「最近流行ってる漫画教えて」
一気に熱が冷める。
あまりにも不可解だった。
「なんで俺に聞くんだよ」
はっきり言って、俺よりも詳しいやつは他にもいる。漫画研究会のやつらとかクラス一の漫画アニメマニアのやつとか。
俺に声をかける必要はないはずだ。
やはり俺を馬鹿にするために――。
「だってさ。アンタ眼鏡かけてるでしょ?」
「だから?」
「ってことは頭良いんでしょ? どーせ教えてもらうなら頭良い人のほうが教え方上手いでしょ」
眼鏡をかけてれば頭が良いなんて漫画やアニメの安易なキャラ付けだろ。
俺が眼鏡をかけてるのはアニメや漫画を見すぎたからだ。
決して勉強のしすぎで目が悪くなったわけではない。
――と、反論するのは簡単だった。
だが、女の子と話す機会なんて滅多にない。
良いところを見せたかった。
「……まぁな」
眼鏡をくいっと上げて、頭良いアピールをした。
すると、簡単に騙された朱音が顔を喜色に染める。
「さっすがー。よ、眼鏡キャラ」
「それ褒め言葉? ていうか、漫画に興味あるんだな」
その問いかけに、朱音は僅かに視線を逸らした。
「んー、ちょっとねー」
妙な態度だったが、詳しく聞けば嫌われる可能性もある。
「で、何の漫画について聞きたいんだ?」
聞き流した俺に朱音が顔を近づけてきた。睫毛長っ。
「最近流行りの戦う漫画って何?」
「チェーンソーの漫画とかかな」
「それちょっと知ってる。チェーンソー……なんだっけ?」
「チェーンソーマ――」
……いや、待て。簡単すぎる。チェーンソーマンなんて誰でも知ってるだろ。別に俺に聞かなくてもいいことだ。これは俺の頭が良いオタクキャラとしての要素を試しているに違いない。
つまり、知的キャラとしての最適解は!
「ああ、あれね。『血まみれスケバンチェーンソー』」
これだ!
「それそれ。チェーンソー振り回してやっつけるんでしょ? やっぱ流行ってんだねー」
朱音が相槌をうつ。ふ、やはり正解だったか。
「そうそう、たまにふんどし見えるんだな」
「え、主人公ふんどし派なんだ」
「そこがいいんだよね」
「マジで? ……男でもそこがいいんだ」
ちょっと引かれた気がする。
女子の前でふんどしとかセクハラだったかもしれない。
「とにかく熱い戦闘がメインだからおすすめだ」
「おっけ。ちょっと読んでみるね」
「またなんかあったら聞いてくれ」
眼鏡をくいっとさせる。
「あはは、芳樹いいやつじゃん。またなんかあったら頼むから」
朱音が肩を軽く叩いたところで、教室の扉が開いた。一瞬、その場の空気が変わった。
長い黒髪をなびかせて入ってきたのは、朱音に負けず劣らずのスタイルをした美少女だった。
その場にいるだけでみなを感嘆させるカリスマギャルの朱音とは違い、深窓の令嬢のような乙女だ。
二人に共通しているのは圧倒的な存在感だった。
彼女こそ、朱音と並ぶ二大美女のもう一人。二階堂冬子。
この街を牛耳る二階堂財閥のお嬢様。正真正銘のエリートというやつだ。本来ならもっと位の高いエリート校にいてもおかしくないのだが、冬子の祖父がこの学校の理事長を務めているため、この学校に入学したらしい。
クラスの全員から向けられる羨望の眼差し。どこか浮世離れした雰囲気を醸し出しながら悠然と歩く。自然と誰もが左右に避ける中、朱音だけが彼女に近づいた。
「お嬢、おはよー」
「おはようございます。朱音様」
「もー、相変わらず堅いじゃん。気楽にいこー」
「は、はい」
仲睦まじく、というかイチャイチャするような距離間で二人がじゃれ合う。
「そーいやさー。お嬢って戦う系の漫画とかアニメが好きじゃん? あたしもさー。読んでみようかなって思ってんだよね」
「それは良いことだと存じます。やはり少女漫画ですか?」
「いやいや、少女漫画って柄じゃないし」
「そんなことありませんよ。朱音様は恋がしたいとおっしゃってたじゃないですか?」
「ちょ、ま! ……そ、そう言ったけどさぁ」
顔を赤らめて慌てて否定する朱音を見て、冬子はくすくすと笑っていた。和やかな雰囲気に教室が明るくなった気がした。
「それで? なんの漫画ですか?」
「最近流行りのチェンソーのやつ」
「存じています。『チェーンソーマ――』」
「『血まみれスケバンチェーンソー』ってやつなんだけど」
一瞬冬子が真顔になった。
「最近流行り?」
言いかけた言葉から察すると、ジャンプのやつだったか!
自らの失敗に気づき、心臓がきゅっと縮まった。
冬子が『血まみれスケバンチェーンソー』ではないと言ってしまえば、俺の評価は地に落ちるだろう。
そうなったとき、俺のスクールカーストは今後も浮上できない最下位で決まる。
半ば祈るような気持ちで見守っていると。
「それは知りませんでした。朱音様は博識ですね」
感心したように手を合わせて冬子は微笑んだ。その可憐な仕草に世界から争いごとがひとつ消えた。
「マジで? まー、でも、お嬢ってば現世? 世俗? っつーのかな。そういうのに疎そうだもんねー」
「お恥ずかしいです」
冬子が若干赤くなって身が小さくなった。
「いーじゃん。いーじゃん。そういうお前が可愛いゼ」
「はい。朱音様も可愛いですよ」
ストレートな物言いに朱音の頬が赤くなった。
「お、おう。……ありがと」
普通のカップルよりもラブラブした会話にクラスメートは一様に感嘆の吐息をこぼした。
「なんてことだ。あの場だけ世界が違う」
「……はぁ、二人とも美女だし。まるで劇みたい」
「同性だけどあれは憧れるよねぇ」
まさに二人だけの世界だ。
そこに誰かが入る余地はない。というか、入ろうとすら思わない。
「そういえば、朱音様、モデルの仕事はどうですか?」
「つっても、読者モデルだし。まーぼちぼちかなー」
「今度私にも載ってる雑誌教えてくださいね」
「いやー、お嬢向きじゃないし」
「もー、いつもそれですね」
二人の仲睦まじい会話を聞いていると、ホームルーム開始を告げる鐘が鳴った。
生徒達が次々と席に持っていく中で、朱音はふりかえって俺に向かい一言。
「ありがと」
女子からの飾り気のない感謝にどう応じていいかわからず、とりあえず軽く頷いた。
これで朱音と俺の接点はなくなった。
恋の物語は始まることなく終わった。
それでも人生は続いていくのだから不条理だ。
なんにせよ、後の人生は消化試合ということだ。
――と、思っていた。
後日、行われた席替えが始まるまでは。
※※※※※※
我がクラスは席の横並びが女・男・女・男という順番になっている。
そのため、仲の良い女子同士が横並びになった際、男子を飛び越えて会話することになる。
つまり、朱音と冬子が横並びの席になった場合、
「お嬢さー。宿題教えてくんね?」
「……」
「駄目ですよ。宿題は自分でするものです」
「えー、それ正論だけどさー。……そうだ。だったらヒントだけでも教えてよ」
「……」
「もう、仕方ないですね」
「やった! マジ感謝」
会話の間にある「……」という沈黙。実はこれが俺なのだ。
席替えの結果、朱音・俺・冬子・不登校の男子という席順になってしまった。最初の頃は美女二人に囲まれてラッキーと思ったのだが、
「やっぱあの朱音と冬子は絵になるよな」
「やばいわ。ご飯三杯はいけるわ」
「……でも、ひとつ気になるんだよな」
「ああ、俺も」
「間にいる土偶の真似してるやつ誰だっけ?」
「知らね。なんかよく寝てるやつ」
「邪魔だな」
「ああ、邪魔」
クラスメイトの嫉妬が激しくて辛い。なるべくヘイトを買わないように置物になりきっていたのだが、それすらも気に食わないようだ。
いっそ俺がもう一人いたらなぁ。
朱音・俺・冬子・俺。
という順番になって、
朱音・俺・俺・俺。
と、オセロみたいに――なるか!
激しく現実逃避していると、
「ここに方程式を当てはめて……」
「ちょい待った。芳樹が間にいるから見えないんだよね。そっち行くから……っと、芳樹ごめん。机借りるね」
俺の机の上に朱音は座った。間近で朱音の尻がむにゅうと潰れて目のやり場に困ってしまう。
「朱音様ったら駄目ですよ。芳樹君が困ってますよ」
「大丈夫大丈夫。あたしら友達だからさ」
「うえ!?」
いつの間に友達になったんだ。これが陽キャ特有の「挨拶したら大体友達」というやつか?
「いやー、だって、相談に乗ってくれたりしたじゃん」
「あー……それはそうだけど」
あれだけで?
そう思ったが、朱音は「でしょ?」と言わんばかりにニコニコと笑っている。こういう飾り気のない言葉が他の人たちも惹きつけるのだろう。
「芳樹君、頼りになるんですね」
「そーなんだよねー。だって、ほら、見ての通り頭良いじゃん」
それ判断材料『眼鏡』だけだよね?
この前はたまたまうまく言っただけだから感心した目を向けないでほしい。
「それで芳樹君になんの相談したのですか?」
「そりゃ色々……だし」
さすがの朱音も『冬子ともっと仲良くなるために相談してました』なんて本人を目の前にしては言えなかったか。
「むー」
わかりやすく不満をあらわにする冬子。
「そ、それよりさー。次の問題ってどうすんの?」
朱音はかなり無理やり話題をそらす。いやいや、ハヤシライスをカレーだと言い切るくらい無茶だ。
「でも」
「いいからいいから、ね?」
朱音が軽くウィンクする。あまりの可愛さにどきんと心臓が高鳴った。覗き見ていたクラスメイトたちも感嘆のため息を漏らした。
「……」
そんな中で冬子だけは窓のほうに視線を向いていた。
「早くしないと休み時間終わっちゃうじゃん」
「え、えっと、次はですね」
強引な朱音に押し切られるように冬子が参考書に視線を移す。
上手く誤魔化せて朱音は「やったぜ」というようにほくそ笑む。
でも、会話に参加しないため二人から忘れられていた俺は見ていた。
朱音に見られないように窓のほうを見ていた冬子がにやけそうな口元を必死に押さえ込んでいたことを。
朱音は冬子を友達として見ているが、冬子は朱音にデレデレだった。
二人の甘い空間。
……なぜ俺はここにいるんだろう。
めちゃくちゃ気まずい思いをしながらも俺は必死になって埴輪のふりをしていた。
※※※※※※
放課後になると途端に騒がしくなる。部活の準備をする生徒、友達と会話する生徒、部活もないため真っ直ぐ帰宅する生徒。普段の俺は後者の『帰宅する生徒』だ。でも、今日は違う。
「お嬢さー。今度髪の毛金髪にしようよ」
「それは、ちょっと興味があります」
「……」
「じゃあ、いいじゃんいいじゃん」
「でも、髪を染めたらおじいさまに叱らせてしまいます」
「えー」
二人の会話に挟まれて動けない。そうしている間にも生徒たちは次々と帰っていく。
「あ、やば! そろそろバイト行かなきゃ。お嬢また明日ね!」
「はい、また明日」
朱音が鞄を引っ掴み、教室から出て行く。その背を眺めながら、はぁーっと息を吐く冬子。
ようやく帰ってくれた。
教室には俺と冬子しかいない。
二人だけの気まずい雰囲気。俺も帰りたいのだが、一言告げるべきだろうか。いやいや、さすがに友達ですらないのに気安く声をかけるというのも。でも、クラスメイトなら声くらいかけてもいいんじゃないか。
そんな風に葛藤していると。
「あの、少しよろしいですか?」
「うぇ!?」
突然、冬子に声をかけられて反応できずびくっと体を震わせた。
「え、え、なにか?」
「芳樹君に相談がありまして」
「な、なんで俺に?」
「芳樹君は頭が良いって朱音様が仰っておりました。だから、どうかお願いします」
俺みたいな平民に、社長令嬢の冬子が頭を下げた。この現場を二階堂財閥の世話になっている他の者が見たら襲いかかってくるかもしれない。
身の危険と女子に頭を下げられたという申し訳なさから慌てふためいた。
「いやいやいや、あ、頭を上げてくれ!」
「じゃあ?」
「わかったよ。なんでも力になるよ」
「ありがとうございます!」
両手を合わせてぱぁーっと花が咲いたような笑顔の冬子。朱音の快活とした笑顔とは異なるが、この笑顔も俺の頬を緩ませるのに十分だった。
「芳樹君は頼りになりますね!」
「い、いやいや、まだなんもしてないし」
ここまで純粋な言葉を向けられると、ひねくれものと自称する俺も照れてしまう。
「そ、それで相談って?」
「実は……」
何か決意した表情の冬子に、俺も顔を引き締める。
「ギャルになりたいのです」
「なんで?」
思わず素で聞いてしまった。お嬢様がギャルになる必要って……待てよ。悪堕ちみたいな感じでありかも。
「朱音様ともっと仲良くなりたくて」
「今でも十分だと思うけど」
「でも、たまに朱音様が何を仰っているのかわからないことがありまして」
「たとえば?」
「キャパいとか……」
それは俺でもわかんないわ。
「もっと朱音様と仲良くなりたいのです! そして、一緒に下校とかしてみたいです」
顔を近づけて冬子が詰め寄ってくる。距離が近いよ。
「いや、でも、ギャルになるってハードル高くない?」
「どんなハードルでも乗り越えて見せます!」
更に顔を近づけてくる。
「わ、わかったよ」
すすっと身を仰け反りながらこくこくと頷いた。
とはいえ、ギャルになりたいって陰キャの俺に言われてもなぁ。
「お願いします」
ぐぅ、瞳が輝いて尊敬の眼差しを感じる。
学年でも有数の美女に頼られて、正直に言って気分が良い。この期待に応えられなきゃ男じゃない!
まずは冬子がギャルとしてできることを冷静に考えてみよう。
先ほどの冬子と朱音の会話から金髪は駄目だというのがわかった。
つまり、『肌の色を小麦色に帰る』など一目でわかるギャルファッションは難しいというこだ。
かといって、言葉遣いでギャルを表すのも難しい。
……あれ? これ無理じゃね?
「やはり無理でしょうか?」
俺が難色を示したことに気づいた冬子の顔色が暗くなった。
「いや、そんなことはない」
眼鏡をくいっとさせる。
頭が良さそうに見える仕草に冬子がほっと安堵する。……眼鏡だけで頭良いと思いすぎだろ。
だが、その期待には応えて見せよう!
「確かに一目でわかるようなギャルになることは難しい。でも、ぱっと見た感じでわからないギャルファッションなら問題ないんじゃないか? わかる人にだけわかる。通みたいなファッションを目指そう」
今まで俺が見てきた動画のギャルたち。その共通点を考えればわかるはずだ。
「そう、例えば髪の一部にメッシュを入れる。いや、駄目だ。目立ちすぎる。舌にピアスを入れる。駄目だ。上級者すぎてもはやギャルじゃない……」
……駄目だ。そんな通好みのギャルなんて。
「やはり難しいでしょうか?」
や、やばい! これ以上待たせたら失望されてしまうかも! 考えろ! 何かあるはずだ!
そうだ! 動画のギャルたちはアレが共通していたけど……。駄目だ! 言ったらドン引きされる! で、でも!
「ひ、一つだけ思い当たることがあるんだ」
「本当ですか!?」
冬子の期待に染まった瞳を見て、頭が真っ白になる。
「それはなんでしょうか?」
それでも言葉は俺の口から勝手に出てきた。
「そう、『乳首にピアス』をしていたということさ!」
言い終わってから失態に気づいた。
冬子の背中でどーんと爆発音が響いた――気がした。
「そ、それはどうなんでしょうか? ハードルが……高すぎるような気がします」
上流階級としての教育と読んでる漫画やアニメの質が違うため乳首にピアスというのがエロと結びつかなくて、ピンときていないのだろう。でも、深く考えられたらドン引きされる。その前に畳みかけて時間を稼ぐしかない。
その間に別の手段を考えてやる!
「大丈夫。最初はちょっとした高尾山くらいのハードルだけどいずれなれるから」
「いきなりチョモランマクラスだと思います」
「大丈夫。みんなやってるから」
「そうなんですか?」
「少なくても俺が知ってるギャルはみんなやってるよ。俺のデータによれば98パーセントの確率でギャルは乳首にピアスをしてる」
と言ったが、俺の知識は基本的にエロ動画だ。
「あの、それは朱音様も?」
「もちろん。ぱっと見た感じではわからない。だが、可能性はある。朱音が乳首にピアスをしているか。それは他者が観測したときに明らかになる。『シュレディンガーの乳首ピアス』ということさ」
「それを言うなら『シュレディンガーの猫』では?」
「そうとも言うね。だが、問題はそれじゃない。乳首にピアスというチョモランマを無酸素で駆け上るか! ということだ」
「でも」
冬子は純粋だから強い口調で押し切ればいける!
「ちょっとだけ! ちょっとだけだから!」
「あの、顔が怖いです」
「ごめん、ちょっと興奮しすぎた」
「いえ、大丈夫ですよ」
普通の女子ならキモッと思われるが、冬子は穏やかにほほ笑んでくれた。彼女の背後に大輪の花びらが咲き乱れていた幻覚を見た。
時間を稼ぐための演技とはいえ、ちょっとやりすぎた。……本当だよ?
でも、なんとかもう一つ、ギャルの共通点が浮かんだ。
「こほん、嫌ならこういうのはどうだろうか?」
――そこで俺はある提案をした。
「とても良い案ですね!」
冬子が両手を合わせて喜び、目がきらきらと輝いた。
「ありがとうございます。芳樹君!」
興奮した冬子が俺の手を取った。あまりにもさりげなく、自然な仕草に一瞬反応できなかった。
「……うす」
脳内CPUの使用度がマックスになったため、返答がおざなりになってしまった。
それでも、冬子は嫌な顔をせずほほ笑んでいた。
初めて触れた女の子の手。なんて暖かくて柔らかいんだ。
こんな俺にも嫌がらず接してくれる人間性、俺を信じてくれる純粋さ、なによりも近くによってきてくれたときに鼻をくすぐる女子特有の良い匂い。
全てが俺の好みにマッチしている。
これが運命……そして、恋。
そう確信したのだが。
「これできっと朱音様も喜びます!」
百万ボルトの笑顔。俺に向けられたものとはレベルが違う。
感覚で分かった。即座に失恋してしまったと。
※※※※※※
翌朝、俺はいつも通り登校して、いつも通り誰にも挨拶せず席に座る。
別にいじめられているとか、俺が孤独を愛する性格とか、そういうわけじゃない。
一年に一度クラス替えで、以前のクラスにいた友達が揃って別クラスになってしまっただけだ。
3クラスしかないから一人くらいは一緒になると思ったんだけどなぁ。
「でさー。マジやばいんだって」
「えー、その彼氏やばくない?」
「アウトっしょ。そいつ」
隣の席では朱音と似たような恰好のギャルたちが大声で話していた。
なんて慎みがないやつらだ。どちらかといえば俺は静寂を好むほうなのだ。何かこいつらを追い出す手段はないものか。
「あ、芳樹っちだ! おはよー」
俺に気づいた朱音が気軽に声をかけてくる。
「……あ……あぁ……」
「なぁにカオナシっぽい返事してんのさー」
めちゃくちゃ気安く肩を叩いてくる。
「朱音、だれそいつ?」
「同じクラスにいたっけ?」
「ちょいちょい同じクラスの仲間の名前忘れんなし」
最初は朱音もうろ覚えだったじゃねぇか。
「てか、芳樹は見た目通りまじで頭良いし。悩み事マジで解決してくれたし」
朱音が形の良い胸を張った。つい視線がその胸に引き寄せられるが、他のギャルたちの視線を感じて慌てて眼鏡をくいくいっとさせる。
「俺の計算によれば解決率は99パーセントってところかな」
「おー! 頭良さそうじゃん!」
「『俺の計算』とか言うデータキャラ初めて見た!」
単純すぎる。
「そういや冬子見なかった? いつもならとっくに登校してるはずなんだけどさー」
クラス委員長を務める冬子はいつもなら誰よりも早く登校して授業の準備をしている。
だが、今日はクラスのどこにもその姿は見られない。
「もしかして風邪とかじゃない? あたしもさー。全裸で寝たら風邪ひいたことあるし」
「一緒にすんなしー」
「あはははは!」
ギャルたちが笑い合う。その場にいた俺もとりあえず愛想笑いで乗り切った。
陽キャ特有の雰囲気に陰キャである俺は気圧されてしまう。一刻も早くここから逃げ出したい思いに囚われるが。……ここが俺の席なんだよな。
「でさー」
話に夢中な朱音がひっついてくきた。む、胸が当たってる。
なんともいえない至福の感触に頭が真っ白になった。
「……でさー」
「だよねー」
ギャルたちが会話しているが、俺の神経は全て俺に身を寄せてきた朱音の胸に集中していた。
全集中・乳の呼吸。
「――ね? そう思うっしょ?」
クラスメイトのギャルに投げかけれた言葉で意識を取り戻す。
……なにも聞いてなかった。
「そ、そうかも」
故に適当な返事をしてしまった。だが、それは朱音が思っていた答えではなかったようだ。
いつも楽しそうな笑みを崩して、ぶすっとした不機嫌なオーラを出し始めた。
それは態度にも現れており、そそくさと俺から離れてしまった。……明らかに選択肢を間違った。
だが、不機嫌なのは朱音だけでギャルたちは我が意を得たりと言わんばかりにぺらぺらとしゃべり始めた。
「だって、向こうはお嬢様じゃん?」
「うちらとは立場? ってやつが違うしねー」
どうやら朱音と冬子の立場の違いについて非難したらしい。
確かに二人は立場が違う。
お嬢様とギャル。趣味も正反対だ。
だが、二人が歩み寄ろうとしているのは間に挟まって相談された俺が一番よく知っている。
「つーわけでさ。もっとあたしらのグループに付き合ってよ」
「どーせ話合わないっしょ?」
しつこいギャルたちの攻めに朱音はむっとしたような表情で口を開いた。
「あのさ」
「それは違う」
と同時に朱音の言葉を塞ぐように強い口調で割って入った。
「冬子は冬子なりに朱音に近づこうとしている」
「いや、あんた立場が違うことに同意してたじゃん」
「……」
言葉をひるがえした俺に朱音ですら不信感を持っていた。くそ、俺がおっぱいに夢中になったばかりに。
「孔子曰く――」
眼鏡をくいくいっとさせる。
「『それはそれ。これはこれ』ってね」
「孔子ってうちのお母さんみたいなこと言うんだ」
「『ってね』の部分がキモい」
言いくるめられると思って適当に言い過ぎた。
ギャルたちは完全に不信感を持っていた。
「孔子が言うなら間違いないし!」
だが、朱音は納得したようだ。……いや、単に不安を押し隠すため納得したかっただけだろう。その証拠に笑顔がぎこちない。
「その通りだ。だから、心配しなくていいとも」
あえて自信満々に振る舞う。
「なぁに、すぐにわかる。彼女が遅れている理由は明らかだ」
「それってどういうこと?」
「君のためだ」
朱音をずびしっと指さす。
「あ、あたし?」
彼女は俺の昨日の案を参考にしてくれたようだ。
「初心者の彼女はあれの装着は苦戦しているんだ」
「あれ?」
「俺の計算によればそろそろ――」
そのとき、教室の扉が開いた。
「おはようございます」
登校してきた冬子はいつも通り穏やかにほほ笑みを浮かべて、クラスメイトたちと挨拶を交わす。
その姿はいつもと変わりないようにも見える。
「なんも変わってなくね?」
「だよね?」
眉をひそめるギャルたち。だが、朱音だけはじーっと冬子を見つめていた。そして、何かに気づいたように顔を上げる。
「あ、爪」
さすがは親友の朱音だ。
「そう、ネイルだ。君に合わせるために付けてきたのだろう」
「あ、あたしのために? ……やっばー」
冬子の本心を知って嬉しさを隠し切れないというようににやける口元を手で隠す朱音。
「いや、でもさ。ネイルってお嬢様の家の人に怒られるんじゃね?」
「だよね。ルール破って大丈夫なん?」
「もちろん。大丈夫だとも。なぜなら――」
「そっか。あれ付け爪なんだ。それなら、好きなときに付け替えられるもんね」
朱音さん、それ俺の台詞なんですけど。
「さっすが朱音じゃん!」
「なるほどねー」
いやだから俺が提案したんだけど。
「そっか。おそろいじゃん。へへ」
朱音が嬉しそうにつぶやいた。『冬子がネイルをしてくれた』というよりも、『冬子が朱音のために行動してくれた』という事実に喜んでいるようだ。
互いに想い合う。簡単なことで意外と難しい。
心を読む術がない限り、いつだって自分の気持ちは一方通行になりえるのだ。
「朱音様。おはようございます」
クラスメイトに挨拶を終えた冬子が声をかけてきた。
「おっはよ。お嬢」
それをにこやかに受け入れる朱音。先ほどとはうって変わっていい笑顔だ。
「似合うね。それ」
「あ、ありがとうございます」
少し照れたように冬子はシールがついた爪を大事そうに抱える。
「あー、今度さ。あたしにも教えてよ。少年漫画とかさ」
「もちろんです」
互いに笑い合う。一件落着といった雰囲気に、俺は安心して胸をなでおろす。
これで静寂が返ってくる。
俺は静かに席に腰を下ろし、優雅に眠り――というか寝たふりをして時が過ぎるのを待つ。
――はずだったが。
「でもさー。そのネイルちょっと派手じゃない?」
「そ、そうですか?」
「んー、ちょっと童貞臭いっていうか。清楚っぽい感じ」
色を選んだのは俺だ。悪かったな。
はっきりいって専門外だったから無難な色合いになってしまった。だって、黒と赤のマーブルとかレインボーなやつとか上品な冬子のネイルに相応しくないと思うじゃん。
「今度選んであげるよ」
「あ、ありがとうございます。なら、私も今度漫画選んであげますね」
「マジで? やった!」
というか、うるさい!
なんで俺を挟んで会話してんだよ!
……隣の席だからか。
でも、さっきのギャルよりはやかましくないし、実害はないから。
いや、むしろ。
「そだ。今度さー。駅前に出来たカフェ行こうよ」
「もちろんです。あ、でも、この前みたいに変な味の飲み物頼んで『やっぱまずい』って私に渡すのはやめてくださいね」
「お、今のあたしの真似。けっこー上手いじゃん。……ギャルやっちゃう?」
「話をそらさないでください」
百合最高じゃん。きゃっきゃうふふと二人がいちゃつくのを聞いて心が落ち着く。
「そういや、芳樹に相談したいことあったんだった」
「朱音様もですか? 実は私も相談がありまして」
「ええー、お嬢は今度にしてよ」
「朱音様こそ今度にしてください」
互いの声の質が変わり、徐々に険悪な雰囲気になっていくのがわかる。
嫌な予感がする。けど、どうせその相談って俺自身には関係ないんだろ?
「芳樹。相談があるんだけど」
「芳樹君。相談があるんですが」
ほぼ同時に声をかけてきた。
勘弁してくれ。
俺は二人のやり取りを聞くのが好きだったのに。
「百合の間に俺を挟むな!」
※※※※※※
あれから一年。
無事進級して三年生になり、無事席替えも終わった。
……のだが。
「お嬢。ほら、出たばっかのアイス。……あーん」
「あーん」
「なーんて」
「もう意地悪しないで」
「いいじゃんいいじゃん。怒った顔も素敵だぜ」
「もう」
相変わらず二人に挟まれた生活を送っている。
まさかの同じクラス。そして、まさかの同じ席。
一見変わっていないようにもみえる。だが、変わったこともあった。
「芳樹も食べる? 甘いの好きっしょ?」
朱音は前よりも気軽に声をかけてきてくれる。
「美味しいよ」
冬子は親しい相手には敬語を使わなくなった。
「……食べる」
そして、俺自身の変化もある。
今でも二人のやり取りは好きだ。でも、三人でいることも悪くないかなと思い始めてきたこと、俺の乳首にピアスがついたこと、さらに漫画やアニメが詳しくなったこと。
どれも小さい変化だが、でも、そうやって人は変化していくのだろう。
コンセプトは「ぎりぎり許容範囲のキモイ主人公の間に百合を挟むとどれだけ緩和できるか?」です。
「面白い!」
という方は、ブックマーク・評価していただけると励みになります。