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魔法の言葉

作者: 梅野飴

 時計の針が午前11時を回る頃。ようやく彼が起きてきた。

 ヨレヨレのTシャツに短パン姿。ボサボサの髪を引っ掻き回しながら、これだけ寝たのにまだ足りないのか大あくびを拵えている。なんとまあだらしがないこと。よく私の前でそんな油断しきった姿をさらけ出せるなと感心すらしてしまう。

 そのままリビングのソファにどしっと腰掛けた彼に私は近寄りもしない。寄ってやるもんですか。

 私の様子がいつもと違うことを感じ取ってか、彼は首を捻りながら私に声をかける。

 

 「おーい……こっちこいよ」

 

 私はグッと堪えて聞こえないフリをする。彼はそんな私の態度に全く身に覚えがないと言ったご様子。なんて鈍感な男。自分の胸に聞いてみたらいい。

 と、そこで彼はソファからおもむろに立ち上がるとそのままキッチンの方へと向かう。なんでよ。普通こっちにきてご機嫌伺い出すところでしょうここは。なに腹ごしらえしようとしてんのよ信じらんない。

 ていうかあの様子じゃ本当に覚えてないんじゃあないかしら。昨日のあの『大事件』を。

 

 事件。そうあれは事件だ。

 昨日の夕方、この近くの公園を二人で散歩していた時のことだ。

 長い冬も上がり、めっきり暖かくなってきた今日この頃、公園には桜がこれでもかと咲き誇っていた。私はこんな柔らかな午後のひと時を彼と過ごせる幸せで胸がいっぱいだった。しかし、事件はその桜の木の下で起こったのだ。

 

 私が、夕風に吹かれ舞う桜の花びらに目を奪われていたその隙に、彼は知らない女に見惚れていたのだ。そしてあろうことか声をかけ、あの女の体に……ああもう信じられない。私というものがありながらその私の目の前でいけしゃあしゃあと他の女に手を出すその淫縦な根性。果てはジゴロかスケコマシか。絶対に許さない。あんな、あんな誰にでも簡単に擦り寄っていくような、番の一つもまともにできないような女に。あぁまた思い出したらムカムカしてきた。しかし怒りで己を支えでもしていないとわんわんと泣いてしまいそうだ。

 

 しかし、そんな乙女の心の悲鳴も全く届いていないらしい彼は、ニマニマとした笑顔でキッチンから帰ってきたかと思うと見慣れぬ袋を私の前に差し出し叫んだ。

 

 「じゃじゃーん。実は新しいおやつ買ってきたんだよ!ほら、これテレビでやってるやつ!」

 

 …………は?

 なにこいつ。おやつて。信じらんない。なに、おやつて。

 こんなもので私の機嫌を取ろうと目論んでるの?それで私が大喜びで年甲斐もなくはしゃいで尻尾振って昨日のことなんか全部忘れて飛びついてきてくれるなんてそんな浅はかなこと考えているの?私をその程度の女だと軽んじているの?ちょっ、やめて、鼻先に持ってこないで。やめて。確かにいい匂いだけど。やめて。いい加減にして。

 

 もうダメだ。彼とはやっていけない。

 私の心は怒りを通り越して呆れすらも快速通過してどうやら恋の終着駅へと近づいてきているのかもしれない。今後の関係を本気で考えなくてはならない。彼と暮らし始めてもうすぐ二年。彼のことは好きだけど、大好きだけど、この先ずっとこんな男と二人で暮らしていける自信がない。あぁダメだ。こんなマイナスなことばかり考えていたら鼻が乾いてしまいそうだ。もう今日は寝よう。水を飲んで寝よう。

 

 私は水入れに口をつけてピチャピチャとやる。彼はその様子を心配そうに眺めては首を傾げている。ふん。せいぜい反省なさい。一生そうやってあたふたとして私の機嫌が治らないことに心を痛めているがいいわ。己の罪を悔いなさい。

 喉と鼻が潤った私がいつもの寝床である玄関の方へと向かうと彼も後ろからついてくる。何さ、この後に及んでまだ何か私の機嫌を取ろうっての?もう遅いのよ。

 彼の顔を見ようともしない私が、ヒンヤリとした床に腰を下ろし丸くなろうとしたその時、彼は観念したようにため息を吐くと、意を決したように言った。

 


 「しょうがないなぁ………さんぽいくか?」

 

 

 ………………………………………。


 …………………………………………さんぽ?

 

 えっ、さんぽ!?さんぽって言った!?今さんぽ行くって言った!?ほんと!?ほんとに!?ほんとにさんぽ行くの!?やっっっったああああああああああ!!!!!

 いんすか!?いつもは夕方しかいかないのに今日はこんな朝からいんすか!?ってことは今日は2回!?さんぽ2回ですか!?すげえ!!!!何今日これ!何かの記念日!?

 ちょっ、はよ!はよいこうよはよ!はよ!!はよ!!!!なんしよん!!!なんモタモタしよん!!!!

 ほんとなんしよん!!はよそのヒモ持ってほらほらほらほら早くつけないと私逃げちゃうよ!飛び出しちゃうよ!!はよ!!え、なに!?ああごめんごめん大人しくするからはよ首輪につけて!そのヒモつけて!ああごめん回っちゃうっ!テンション上がりすぎて回っちゃう!ごめんねヒモつけにくいねごめんね!!

 よし!!いける!?いける!?もういける!?いけるな!?開けて開けて!!ドア開けて!!なにどうしたの!なんでドア開けないの!!ああビニール袋か!確かに大事!それ大事!!条例違反だから!近隣住民に怒られちゃうから!子供が踏んじゃうから!!私の粗相を!!!

 いよっしゃああああああ!!!!開いたああああ!!外じゃ外じゃああああ!!!

 いつもの道行こう!はよ行こう!!あっ、ちょっと待ってあっちの草むら見る!だめ!?じゃあここの土掘る!!あっ、ハトさんがいる!!オラああああどっかいけやあああああああ鳥がああああ!!!!グヘェッ!!!!

 


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― 新着の感想 ―
[良い点] やーらーれーたー [一言] >しかし怒りで己を支えでもしていないとわんわんと泣いてしまいそうだ。 この位置に爆弾を仕込む度胸!! 華麗にスルーさせる技量! まいりました
[一言] なるほど! それは落ちますね!(笑) 途中まで 「なんだと」 と思いながら読んでいただけに、オチとの落差がすごかったです。 いい意味で裏切られました!
[良い点] ぬ [一言] まさかのオチ。 いいですね~。 途中まで「公爵令嬢」みたいな女の子を想像していました。
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