マックス、焦る
ご近所さん物語は今回までだ!
「あら、もしかして、リードさんかしら?」
ランニングから戻ってきたマックスが、玄関の扉を開けようとしたとき、隣から出てきた年配の女性がそう言った。
見覚えはなかったが、隣から出て来たのだから、隣に住んでいる人だろう。名前は――マックスには記憶がなかった。
「あ、そうです。どうも、こんにちは」
さすがに始めましてはないだろうと、自重したマックスだったが、彼女がどうして今更話しかけてきたのか、彼には分からなかった。越してきて以来ご近所づきあいらしいものはほぼゼロなのだ。
彼女は、おばちゃん特有の馴れ馴れしさで、ずずいと距離を詰めてきた。
「丁度良かった。お宅のリンちゃんにあの棒をどこで買ったのか教えて貰えるように伝えていただけます?」
「え? リン?」
どうして隣のおばさんがリンのことを知っているのかと、思わず首を傾げたマックスを見て、彼女は不思議そうに言った。
「あら、リンちゃんってリードさんのところの娘さんじゃなかったの?」
「あ、いや、そうですが……」
「リンちゃん良い子よね。リードさんが結婚なされていたなんて知らなかったわ」
「あ、いえ、そう言う訳では……」
なにしろリンの髪は輝くような銀色だ。マックスとはあまりに違い過ぎた。
「いいのいいの、ちゃあんと分かってるから」
「え、ええ?」
混乱するマックスを尻目に、おばさんは、したり顔でそう言った。
一体何を分かっているというのだろう。このままでは社会的にまずいことになるのではないかと警戒したが、マックスの警戒も、おばさんの前では無力だった。
「じゃ、棒のこと、よろしくね。もう欲しいって方が大勢いらっしゃって」
「はぁ……わかりました」
なんのことだか全然理解できなかっただけに、またやらかしてるんじゃないかと焦ったマックスは、自宅の扉を開けると、すぐにリンのいる部屋を覗き込んだ。
「おい、リン。お前隣のおばさんを知ってるのか?」
「ん? ああ、メイリーおばさんか」
「初めて名前を知ったぜ」
「買い物から帰ってきたとき声を掛けられてな。学校がどうとか言ってきたのだ」
「学校か!」
リンの見た目の年齢だと、義務教育のど真ん中だ。
どっかの学校に通っていないとおかしく思われることは間違いない。
「すっかり忘れてたぜ!」
「いや、今更初等教育を受けろなんて言われても困るぞ」
そう言われれば、リンが読んでいる本は、すでにマックスでも理解できない領域だった。
それが年相応の学校に通えと言われても困るだろう。だが、子供に義務教育を受けさせないと虐待で逮捕されかねない。
だがリンには、住民としての登録がないのだ。
通報でもされない限り、役所からおとがめが来ることはないだろうが、単純に学校へ通わせることは難しいし、近所のおばさんの目までは気が回っていなかった。
「心配するな。別の星系で、リセをスキップして高等教育を受けてることにしておいたぞ。今は長期休暇で里帰り中だ」
「お前、よく学校のシステムを知ってたな」
リセはいわゆる後期中等教育で、高校にあたる。
「いや、きょとんとしていたらメイリーおばさんが勝手にいろいろと説明してくれたのだ。で、てきとーにでっちあげた」
「よくそれを信じたな」
「ちょうど、宇宙物理学の本を持っていたのだ」
「ああ、なるほど……」
こないだのエンジン工学の本もそうだが、彼女の読む専門書は、すでに高等教育の専門学部の範囲を超えていた。
もっとも理系ばかりで、文系ジャンルの本を読んでいるのは見たことがなかったが。
「そうだ、そのメイリーさんだっけ? が、『あの棒をどこで買ったのか』って聞いてたぞ。てか、あの棒ってなんだ?」
「棒? ああ、肉叩き棒のことか」
「肉叩き棒?」
「うむ。八千年前のロマリアで使われていた、肉を叩く棒だ」
「なんだそりゃ?」
タルタルを作るためのアイテムだろうか?
「いや、科学というのは実に素晴らしいぞ。当時なんであんなものがもてはやされたのか、やっと分かったのだ」
「俺には欠片も分からんぞ。一体その棒って言うのは何をするものなんだ?」
「だから、肉を叩くのだ」
「叩いてどうするんだ?」
「んー、柔らかくする?」
「なんで半疑問文なんだよ」
現代にも昔から形の変わらないハンマー然とした肉叩きはある。肉を柔らかくしたり、薄く延ばしたりするのに使うものだ。
しかし、それをご近所の主婦の皆さんが欲しがる理由はさっぱり分からなかった。
「現代風に言うと肉を熟成させるのだ」
「熟成?」
工場生産のタンパク質もそうだが、現代の食肉は、流通の過程でウェットエイジングが自然に行われるようになっている。
しかしロマリアの肉は、現代の冷蔵庫のような保存用の機器がほとんどなかったこともあって、狩人や冒険者が獲ってきたものをその場でさばいて、エイジングなしで食卓に上るものがほとんどだったのだそうだ。
「だから、硬くてうまみも少なかったのだ」
森の奥で獲られた魔物や獣の方が味が良かったため、最初は魔素の濃い場所に棲むものが美味いと考えられていたらしい。
もちろんそれも一因ではあったらしいが、後年、魔素の濃さよりも、獲れたあとの措置と時間が関係していることが明らかになった。森の奥で獲られた獲物は、街まで運んでくるのに時間が掛かっていたのだ。
「とある食いしん坊の魔導師がな、その変化を研究して作り出したのがこれなのだ!」
その研究の結果生み出されたのが『肉叩き棒』、肉を柔らかくし、うまみを増す不思議な棒だということだ。
だが、当時の肉叩き棒は、感覚によって作られていたから、対象となる肉によって効果がばらばらだった上、その棒に熟練したものだけが完璧な肉を作り出せるようなものだったらしい。
なにしろ叩く力の大きさと場所が、熟成させる度合いに直結していたというのだから、もはや鍛冶師の鍛造だ。
「本当にそれ、肉の話か? 刀かなにかじゃなくて」
「そうだ。だが、科学は成分を数値で表現するからな、絶妙な調整が可能なのだ! これは大発見だぞ?」
魔法はものすごく便利だし、科学ではありえないようなことが可能になるが、こと誰もが使える普遍性と精度という点では、圧倒的に科学が優っている。
数値化することがその基盤にあるからだ。
「絶妙?」
「いいか、ぐんそー。動物は、死ぬと血液の循環が止まる。すると筋肉中でATP(アデノシン三リン酸)が消費され、嫌気性解糖が起こってグリコーゲンから乳酸が生成され、筋肉を構成するたんぱく質のアクチンとミオシンが結合して、ついでに保水性が減って硬くなるのだ」
リンが、猛烈に何かを語り始めた。
どうやら、肉叩き棒の改良中に仕入れた情報を吐き出しているようだ。ATPの分解と共におこるイノシン酸の増加や、麹菌によるドライエイジングの効果について詳しく語っているが、細かいことはさっぱりだ。
「というわけでな、こいつは現代科学と魔導工学のハーモニーを奏でる肉叩き棒の改良版だ」
リンが取り出した棒は、ハンマーというよりも、タクトのような棒だった。お尻のところに黒いネジが付いていて、それを左右に捻れるようになっている。
それはいい。それはいいんだが、その棒には、なんだこりゃ?とマックスが大いに首を傾げるような装飾が施されていた。
その時、彼女はこの間のことを思い出したのか、慌てたように、わたわたと手を振って言った。
「メイリーおばさんに渡したのは、こないだの約束の前だからな? 本当だぞ?」
「ああ、分かってるよ」
マックスはリンのあまりの慌てように思わず吹き出しそうになりながらそう言った。
リンは安心したようにひとつ息を吐くと、説明を再開した。
「でな、こいつはこのダイアルを、右へ回すと熟成が進んで、左へ回すと浅くなるようになっているのだ」
「え? 魔法陣ってそんなこともできたのか?」
「一つでは無理だな」
マックスが調べてみた限り、魔法陣は一定の効果を発揮する陣で、それを調整するなどということはありえないように思えた。
第一すでに書かれている以上、調整する方法がないのだ。
以前リンに訊いてみたところによると、通常の魔法陣は魔力を流し込む量や強さを変えたところで効果は変わらないということだ。ある一定以上の魔力が流されたとき、指定された効果を発揮するものらしかった。
「ぐんそーに分かりやすく言えば……そうだな、カメラという奴は複数のレンズの位置を動かして結像するだろ?」
「ああ」
「魔法陣もそんな感じだ。複数のものの位置や角度を調整すると、いろいろな調整ができるのだ」
レンズの位置は、積層魔法陣の配置のようなものらしい。
いわゆるピントの合った状態がベストの効果を持つとすると、そこからわずかに位置をずらすことで効果を調整するそうだ。
「なるほどな。だが、それだとメイリーさんにどこで買ったのかを教えるのは無理だな」
「うむ。そもそも普通の人間には使えんしな」
「使えない?」
「メイリーおばさんには、魔法の資質があったのだ」
となりのおばさんに魔法の資質があるというのは驚きだが、ごく小さなものまで入れれば、テラバウムでも十人に一人くらいは資質があったらしいので、マックスは、なるほどと納得して、もう一度棒を眺めた。
「ならまあ、『よく覚えてないが、確かどっかの星の土産物屋で買ったもので、あれ一個しかない』とでも言っとけ」
「うむ。それが良かろう」
「しかしなんでこんなにキラキラしいんだ?」
その棒は、やたらときらきらしたもので、螺旋を描くように飾られていた。これがなにか魔法的な意味を持つのだろうか? どう見ても女の子向けのおもちゃのビーズにしか見えないが。
「ふっふっふ、元は味気ない棒だったからな。可愛くデコってみたのだ!」
「デコる?」
「ミリーという女子がな、お礼にとそのキラキラしたアイテムをくれたのだ。彼女はそれをくっつけることを『デコる』と呼んでいたが違うのか?」
「いや、違いはしないんだろうが……ミリーって誰だよ?」
しかもお礼ってなんのだよ? とマックスは、またとんでもないことをしでかしたんじゃないかと眉間にしわを寄せた。
もっともビーズそのものは、どう見ても女の子向けのおもちゃにすぎないようだったので、ギリー相手の時のように、大問題になるようなことはないと……信じたかった。
「この星には、どういう訳か魔法の資質があるものが多くてな」
「何の話だ?」
魔法が使えるためには魔力を扱える資質がいる。それが魔導工学が普及しなかった一端になった訳だが、魔法がすたれて何千年も経った後では、それを調べる機会など普通はない。
突然に変わった話にマックスは面食らったが、いつものように何かを誤魔化しているような感じはなかった。リンに腹芸など、ワニの腹筋運動のようなものだ。
「大人もかなりの頻度だったが、子供はみんな資質があったぞ」
「まさかと思うが……魔法のか?」
「そうだ」
魔法の資質というのは、それほど珍しいものではないとはいえ、全員が資質持ちだとはいかにもおかしい。テラバウムと同じ確率だとすると、集まった十人全員が魔法の資質持ちである可能性は、十億分の一なのだ。
まさかリンが何かした……という可能性に思い至って、マックスは額に汗を浮かべた。
「リン、お前、まさか何かしたんじゃ?」
「資質のない者を資質持ちになどできるわけがなかろう。資質という言葉を辞書で引いてみた方がいいぞ?」
資質とは、生まれつきの性質だ。マックスとてそんなことは分かっているが、何しろ相手は大魔導師様だ。何をなされるか分かったものではないのだ。
「お前はその前に、胸に手を当てて、今までやらかしたことを思い出せ」
「と、ともかくだな。ぐんそー、散歩に行くぞ!」
「散歩だ?」
つい今しがた、ランニングから帰って来たばかりで、まだシャワーも浴びていないマックスは、とりあえず上のスェットシャツだけ取り換えると、玄関へと駆けて行ったリンを慌てて追いかけた。
****
「あ、せんせーだ!」
リンに連れられて行った近くの公園で、数人のこともが、リンを見つけて駆け寄ってきた。
先生と呼ばれたリンは、まんざらでもなさそうだった。
「先生?」
「ふっふっふ。私は『先生』なのだぞ?」
リングア・インテレクトスは大魔導師だ。だから、当然その薫陶を受けようとした者は多かったが、皆、彼我の差のあまりの大きさに挫折して彼女の元を去っていった。
正式に彼女の弟子になった者はいなかったし、教えを授けられた者もいなかったのだ。
つまり、彼女は『師匠』とか『先生』と呼ばれることに憧れていたのだ。
「何の?」
マックスの問いかけは、すぐに実践で明らかになった。
「せんせー、ほら、ちょっとできるようになったよ!」
そう言って、駆け寄ってきた少女が地面に手を突くと、もこもことそこが盛り上がって、不格好な人形のようなものが作り出され、それが――
「動いた?!」
マックスは驚愕した。
その人形は、まるでマリオネットのように、ぎこちなく踊っていた。だが、どこにも糸などついていないことは明らかだ。もしも手品だとしたら凄い手練れだ。しかし相手は最高に高く見積もっても6~7才なのだ。
「凄いぞミリー。もう完ぺきではないか」
「ほんと?」
どうやらその子がリンにデコることを教えた女の子らしい。
「「俺も、俺も!」」
別の男の子がふたり、同じようにして別の人形を作り出すと、紙相撲よろしくそれを戦わせ始めた。
不格好なウォーカーをラジコンで操作するおもちゃのようにも見えるが、それを操る機械はどこにもない。
それを満足げに見ながら、リンは、マックスを見て言った。
「な」
「なっ、ってな……お前一体何をやってんの?」
リンは誇らしげに胸をそらすと、目を閉じて鼻の穴をスピスピさせながら、自慢げに言った。
「砂場で遊ぶのに、一番簡単なゴーレムの魔法を教えてみたのだ。皆、すぐにできるようになったぞ。大したものだ!」
そこにいた数人の子供たちは、リンに褒められたのが嬉しかったのか、みなニコニコしながら変な形の土人形を動かしていた。
「お、教えたってなぁ……そういうのって簡単にできるわけ?」
「いんや。だが、どうやら全員、動くロボットや人形への深い造詣があったようで、比較的簡単だったぞ?」
確かに子供番組やアニメじゃ定番だし、おもちゃメーカーとのタイアップ作品じゃ、おもちゃも発売されている。子供はみんなそういうものに詳しいのだろう。
それはともかく、こんなのを親御さんに見られたらどうするんだよ?
マックスは慌ててきょろきょろと辺りを見回した。
子供同士で遊ぶのが楽しい年齢なのだろう、親らしい人はとりあえずいないか、いても親同士で話をしていて、特に子供たちが何をしているのかを気にしているものはいないようだった。
しかしまずい。これはまずい。
子供にこんなことができると知られたら、すぐにTVに出しちゃうような親がいるかもしれない。そこからリンのことがバレるのはひじょーに宜しくない。
肉叩き棒はごまかせても、これはダメだ。
「あー、みんな」
マックスはかがむと、子供達と目線を合わせて笑顔を浮かべながら言った。
「これは、この先生と君たちの秘密だからね?」
「ひみつー?」
「そうだ、このことが悪い人に知られたら、先生がピンチになるんだ」
「いや、別に平気だが?」
「お前は黙ってろ!」
「わかった!」
ミリーを始めとする子供たちは、いい笑顔でそう言った。
だが、子供たちの秘密というのは、「あのね、あのね、秘密なんだけどね」と言って広がる程度のものだということを、子供を持ったことのないマックスが知らないのは仕方がなかったのだ。




