マックス、驚愕する
ギリーの陰謀を聞いてから数日、次のミッションはbeams-7を超えた先にあるネヴィル星系で、極寒の資源惑星アイスヴァンでの紛争に参加するらしい。
何しろ気温がマイナス六十度の現場だ、ウォーカーの耐寒オプション装着に、しばらく時間がかかるようで、休暇もそれなりに長かった。
しばらく基礎訓練をさぼっていたマックスは、まじめに家の周りをランニングしていた。
十五キロ程を走った後、汗を拭きつつ玄関へ入ると、居間からリンの声が聞こえて来た。
「ほう。それは大変だったのだな」
小隊の誰かが遊びに来たのかなと、首を傾げながらシャワーの前にひょいと居間へと顔を出すと、リンが奇妙な機械の前に座っていた。
「なんだ、リン。何をやってるんだ?」
「おお、ぐんそー。スケさんが困っているらしいぞ」
「スケ……って、台下か?」
クレリア教皇ポッペウスは、彼をカーマインまで運ぶ道中リンと仲良く鳴った挙句に、彼女の子分二号として『スケさん』という名前を頂戴していた。
教皇の使う偽名、スーキ・Kをもじったらしい。
「そうだ。ほら、ギリーのやつが何かしてるんだろう? おかげで、ひっきりなしにどこぞの国家から使節がやってきて――なんだっけ?」
『魔導兵器を譲ってほしいとか、同盟を結びたいとか言ってくるんです』
「だそうだ」
「いや、宗教ってのは平和を祈るもんだろう? それの頂点みたいなところへ出向いて兵器を売ってくれってな――って、台下はどこにいるんだよ?!」
ここはビームス星系のシェードだ。テラバウム~クリムゾン間ほど離れてはいないが、それでも通信ラグは半日以上あるはずだ。
それをリアルタイムで会話をしているなんて、一体何がどうなっているのかマックスには意味が分からなかった。
「シェードに来てるのか?」
『いえ、クレリアにいます』
「はぁ? じゃあどうやって――リン、お前の前にある見慣れない機械は一体何だ?」
リンはマックスに向かって、よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに胸を張って立ち上がると、新しい仲間を紹介するように、片掌でその機械を差し示した。
マックスは、『ジャーン!』という書き文字が空中に見えるような気がした。
「ふっふっふ。これはな、現代科学と魔導工学のハーモニーを奏でる機械なのだ!」
「またそれか」
がっくりと肩を落とすマックスを見て、リンはもっと驚くべきだろうと不満に思った。
「なんだなんだ、その反応の薄さは!」
「あのな、リン。お前がそのセリフを口にするたび、俺は大抵酷い目にあってるんだぞ」
通信機の向こうから、ポッペウスの押し殺したような笑い声が聞こえてきた。
「ええ? そんなことはないだろう? ほら、トゲトゲだって凄いのだぞ?」
「凄いのは認めるが、あれのおかげで、あわや宇宙戦争だったろうが」
「むぅ」
「まあいい。で、そいつは――俺の想像どおりなら、超空間通信装置ってことか?」
超空間通信装置は、アイデアだけはずっと昔からある通信機だ。
光速に縛られず遠距離を結ぶ通信機で、量子エンタングルメントを利用する方式などが検討されていたが、実用化はまったくされていなかった。
もしも実用化されたりしたら、パラダイムシフトが起こることは間違いないだろう。
「その通りなのだ!」
「やっぱりか……で、何をどうやったらそんなことができるんだ?」
マックスは、もう『魔法だから』の一言で説明して欲しかった。
理解不可能なものは、理解できないまま、そのシステムに身をゆだねるのが現代人ってものなのだ。
しかし、現実は厳しい。
「これはな、量子の転移を利用するのだ」
「なんだそれは? 量子テレポーテーションのことか?」
「違うぞ。量子のテレポートなのだ」
「意味が分からん」
「ぐんそーは馬鹿だな。いいか、転移魔法の魔力消費量には、転移される物体の質量と転移させる距離が関係しているのだ」
「まあ、それは直感的に納得できるな」
もしもそれが積の関係にあるとすれば、転送する物質の質量をゼロにできるなら、距離は無限遠が可能になるわけだ。
「こいつはデジタル化された情報を、ほとんど質量がゼロの物質で表現するのだ」
「はぁ?」
どうやらこれは、デジタル通信機にトゲトゲのショートジャンプをくっつけた技術らしかった。
例えば原子を利用するなら、水素原子を0、ヘリウム原子を1として原子そのものをテレポートさせれば、ビット情報を送れるということだ。
亜原子粒子、たとえば対象に電子と中性子を使うなら、電子の質量は中性子の一八〇〇分の一くらいだから、電子の個数を0~1023個並べて、区切りに中性子を使えば、中性子二個分弱の質量で十ビット程度の情報が送信できることになる。
後は、元の情報を十ビットごとに区切って送信してやれば、めでたく光速に縛られない通信の完成だ。
最大の問題点は、使用する対象の放出/検出が、使用対象1個レベルで制御できなければならないところだが、そういう装置はすでに存在していた。
その部分を、より軽い亜原子粒子で行えるようにすれば、さらに高品質な通信や遠距離への通信が可能になるという訳だ。
「いや、凄いよ? 凄いけど、これ、1台いくらになるんだよ……」
原子や亜原子粒子の発生と検出を制御する部分だけで、何百万クレジットもすることは確実だ。デジタル通信機の価格は誤差のレベルだろう。
「代金はスケさんが払ってくれたぞ?」
「いつの間に!」
トゲトゲ内でずいぶん仲良くなっていたとは思っていたが、まさかそんな頼みごとをされるほどだと思わなかったマックスは驚いた。
『いえ、連絡できる機械が作れるって聞いたので、お願いしたんですよ。まさかこんなものが出来上がってくるとは思いもしませんでしたが……』
「だろうな。だが、クレリア側の魔力はどうなってんだ? 台下の魔力で賄えるのか、これ?」
「うーむ。それだけだと三分で干からびそうだな」
「干からびそうってな……」
いかに質量が小さいと言っても、転送する距離が尋常ではないのだ。仮に中性子を利用したとして、質量が10のマイナス24乗のオーダーでも、距離によっては馬鹿にならない魔力が使われるのだろう。
「じゃあどうしてるんだよ。まさか家庭用の電力を魔力に変換するアダプターを置いてきたんじゃないだろうな?」
そんなものが誰かに見つかったりしたら、現代じゃ確実にオーパーツだ。
それを研究されて魔力コンバーターが作られたりしたら厄介だし、それでなくても分子スキャナと分子プリンタを使って量産されたりしたら、いろいろと面倒なことになりそうだ。
「いや、さすがにクレリアの家庭用電力で魔力に変換しても、効率が悪くてな」
「検討はしたのかよ……」
「だから、魔力バッテリーと集魔装置をおいてきたのだ」
「待て、リン。一体それは何だ?」
魔力バッテリーはその名の通り、電気の代わりに魔力を溜めるバッテリーのようだった。
「ウォーカーに付けてある、魔力タンクの下位互換製品だな」
「いや、お前、そんなものを残してきて大丈夫か?」
「心配ない。魔力バッテリーには魔石が使ってあるから再現もできないはずだ。現代には伝わってないのだろう?」
「あほか! 分子スキャナーと分子プリンタがあるだろうが!」
もっとも分子スキャナーでスキャンできるレベルのものかどうかはわからないが。
「おお! だが、これを作った時は、そんなものがあるなんて知らなかったのだ」
「まあ、そりゃそうか……しょうがねぇ、台下、厳重に保管しておいてくれよ?」
『もちろんです』
「それに魔力バッテリーは、魔力を集めないとなんの役にも立たないからな」
「それが、集魔装置の役目か」
「そうだぞ」
集魔装置は、その名の通り環境から魔力を集めるものらしいが、普通の環境に放置するだけでは効率が非常に悪いらしい。
「魔導師が魔道具に魔力をチャージするために能動的に放出したものを集めるのが本来の使い方だが、そうでなくても、みなが祈りを捧げるような場所なら、かなり効率的に集めることができるのだ」
「はー、宗教施設ならではだな、そりゃ」
もっともそれならイシュールでも集められるだろうし、ユール……では無理だろうが、こちらはバンクにでも設置しておけば使えるような気がした。
ともかくそれを利用して、転移魔法部分を賄っているらしい。
「魔力の逆二乗の問題はどうなったんだよ?」
「これは固定された二点間の転送だから、あらゆる場所へ転移する可能性があるショートジャンプとは少し違うのだ」
「つまりこれは、固定された相手にしか繋がらないってことか?」
「そうだ」
見えないケーブルで繋がっているようなものなのだろうが、ペアとは言え、何処とも知れない場所から、何処とも知れない場所に接続しようとしたら、最初に相手を探すためには全方位を調べる必要があるんじゃないのかとマックスは首を傾げたが、なにか魔法的な力で相手の位置が分かるんだろうと、思考を放棄した。なにしろちゃんと接続されているのだ。
いずれにしても、リアルタイムで相手の状況を知ることができるというのは、それが軍事利用だろうと民間利用だろうと、非常に大きなアドバンテージになる。
二点間専用で数百万クレジットしたとしても、買い手は大勢いるだろう。
「まあ、いまさら何を言っても後の祭りだな。で、台下は小国家群のアプローチに困ってるって?」
『そうなんです』
マックスは、腕を組んでため息を吐いた。
「悪いな。そいつはギリーの悪だくみの影響だ」
『悪だくみ?』
「いやまあそれはいいんだが……小国家群は、適当に国益を考えてあしらっときゃいいだろ」
なにしろテラバウムは辺境だ、小国家群まではそれなりに距離があるのだ。同盟と言ってもそうそう助けに行けるような場所ではない。
あくまでも大国向けのポーズだろう。
『そんなことを言われても、あんな真似は期待されたって私一人じゃできっこありませんよ』
ポッペウスでなくても、普通の人間には地上から航宙艦を撃ち落とすなんて真似ができるはずないのだが、彼はそれができる人間だと誤解され、いろいろな国にすり寄ってこられているのだ。
ポッペウスは泣きそうな声でそう訴えた。
「台下。抑止力ってのは、別にそれを持ってなくてもいいんだよ」
『え?』
「あるかもしれないって思わせればそれでちゃんと抑止力として働くのさ。現にノーライアは報復に来てないだろ?」
『それはまあ』
マックスは、ことさら気楽な調子で言った。
「第一、紛争地帯に台下が直接出向いて行って、力をふるうなんてことはありえないだろ」
『それはまあそうですが……』
「なら、適当に有利なところだけつまみ食いしとけよ」
『ええ?』
「どうしても困ったことになったら、仲間に助けてもらえばいいさ。な、リン」
「もちろんだ。子分二号だからな!」
『お願いしますよ? 本当に、お願いしますからね?』
星間宗教のトップとは思えない情けなさに、そういえばこいつ、まだ十四歳だったなとマックスは苦笑しながら思い出した。
もっとも、こんな事態になった責任の半分以上は、マックスの関係者のせいなのだが。
ポッペウスは名残惜しそうだったが、そろそろ向こうの魔力バッテリーの稼働限界が近いようで、また溜まったら連絡すると言って通信を終了した。
「スケさんも、なかなか大変そうだな」
他人事のようなリンのセリフに、お前の我侭のせいでギリーが暴走してるんだろうがとマックスは言いたかったが、それよりも今は聞いておかなければならないことがあった。
「さあて、リン」
改まったマックスの様子に、リンはすこし身構えた。短い間に多少は学習したようだ。
「な、なんだ?」
「この通信機だが、ポッペウスのところとここの二台しかないんだろうな? まさか他に作ってたりしないよな?」
「え?」
リンは、急に固まると、焦ったようにきょろきょろと目を泳がせ始めた。
「ほほう?」
「い、いや、ギリーがな……」
「待て。すでにギリーがこいつのことを知ってんのか?」
あのダーティマーチャントにして守銭奴がこんなものを見たら、どうなるのかは火を見るよりも明らかだ。
しかし、それにしては一向に売り出したりする様子がないのは不思議だった。何しろマックスが今まで知らなかったのだ、表立って活動しているとは思えなかった。
自分の商会の目玉商品にでもするつもりで寝かせているのかとも思ったが、ギリーはそういうタイプじゃない。
「作ってる最中に見つかってしまってな。それで、ちょっと……」
「ちょっと、なんだ?」
「うう。自慢してしまったのだ」
「りぃんんん?」
ポッペウスをカーマインへ連れて行く道中で、常に暇だったのは、リンと客の二人だったことは確かだ。
この調子じゃ、自分の知らないことが結構あるんじゃないかと、マックスは不安になった。
「それでな。こないだ小国家群のお偉いさんを一堂に会させるために使うとかなんとかで……分子スキャナの入手に必要だというから、何組か作ってやったのだ」
「はぁ?」
連邦国家樹立ともなると、一堂に会して話し合う必要があるが、国家元首クラスがほいほいと出歩くのは普通は無理だ。
どこかの星で会合を持とうとしても、確実に大国の横やりが入るだろう。
ギリーは、この話にリアリティを持たせるためとはいえ、マジックミサイルだけでは飽き足らず、超空間通信機まで持ち出すつもりのようだった。
しかし――
「あいつ、ちゃんとケツが拭けるんだろうな……」
「なるようになるとか言ってたぞ?」
「そんな次元の話なのかよ?!」
この世界に常識人は俺しかいないんじゃないのと、マックスはめまいがするような気がした。
「で、集魔装置はどうしてんだ?」
「ギリーに作ったのは、交換式の魔力パックの小さい奴をつかうのだ」
「ウォーカーと同じか?」
「容量はもっと小さいがな、バッテリーと違って出力の大きな機器でしかチャージできないが、もっと長持ちするのだ」
それなら一種のブラックボックスだし、魔力変換部分の技術が流出することはないだろう。ギリーも一応考えてはいるようだ。
そして、ギリーがパックを交換して歩くんだろう。もちろん有料で。
通信機そのものはレンタルだろうが、一度便利なものを使ってしまった人間は、決して元には戻れない。売り出すことがあれば相当な高額でも食いついてくるはずだ。
「潜在的な顧客もゲットしておくとは、さすがはダーティマーチャントだよなぁ……」
「まずかったか?」
不安そうにこっちを見上げてくるリンを見て、マックスは、そういった制限そのものが、こいつには本来関係のない話だよなと頭を掻いた。
「いや、まあ……なあ、リン」
「なんだ?」
「お前の言う、現代科学と魔導工学のハーモニーを奏でる機器は、外に出す前に、一応俺に相談しろよな」
「作るのはいいのか?」
「そりゃまあ、お前のライフワークっぽいしな」
作ることを禁止されなかったリンは、嬉しそうに調子を取り戻した。
「ならまあ、相談くらいはしてやるか!」
「よろしく頼むよ」
マックスはこの判断を将来非常に後悔することになるのだが、それはまた別の話だった。




