マックス、途方に暮れる
ポッペウスを地上に返した翌日、クレリアの混乱はお祭り騒ぎにとって代わり、ポッペウスを見る大司教たちの目には畏怖が色濃く影を落としていた。
あの奇跡を見た以上、ポッペウスをどうにかしようとする勇気を彼らは持ち合わせていなかった。
政庁からの振り込みは迅速に行われ、マックスは地上に帰還したトゲトゲのラウンジで小隊の面々に報酬を配っていた。
「んじゃ、いつも通り均等に割るぞ」
メルシー商会のカードを取り出したマックスは、期待に顔を輝かせている小隊の面々を見ながらそう言った。
「サージ、パウエル、カリーナ、アダムス、フェリシア、そしてショート。後は、俺と、リンだな」
「お、ぐんそー。私の分もあるのか?」
「当然だろ。お前、大活躍だったじゃねーか」
「ふふん。あの程度は当たり前だ」
「あー、はいはい。じゃ百万クレジットずつだな。おら、カードを出せ。区分は――バ・イ・ア・ムっと。よし、振り込んだぞ」
「すごっ、ほんとに百万クレジット増えてる!」
フェリシアが感動したように、自分のカードの残高を見ながら言った。
それなりに高給を取るバイアムでも、下っ端が百万クレジットを手に入れることは相当珍しい、というよりもほぼあり得ない。
「そりゃ当たり前だろ」
「あざーす! こんだけあれば超遊べますよ!」とアダムス。
「いや、貯金なり投資なりしろよ」
「やだなあ、軍曹。バイアムは宵越しの金は持たないものでしょう?」
最年少のショートが、どっかのバカに聞いた話を持ち出した。
「一体、いつの価値観だよ! ちゃんと引退後のためにとっとけ!」
「いや、だって、いつ死ぬか分かんないし」
「違いない」
「いや、お前らもしも生き残った時に困るだろうが」
「軍曹、もしもは酷いですよ」
サージが間髪を入れずにそう答えると、小隊の面々は声を立てて笑った。
彼らの仕事は常に死と隣り合わせだ。だから死にまつわる内容は、それを冗談で上書きして笑い飛ばすのだ。
「しかし、あのウォーカーって、今後も使えるんですよね?」
個人装備のパワードエクソスケルトンは、今回トゲトゲに持ち込んで魔改造された。
完全にシールされ、宇宙線からも保護されるそのシステムは、地上においても威力を発揮するかもしれない。もちろん地上には地上ならではの問題があるだろうが――
「使えるぞ」
リンはこともなげにそう言った。
「トゲトゲにバックアップさせれば、火口でも深海でもたぶん平気なのだ」
そのセリフに全員が驚きの声を上げたが、マックスだけは腕を組んで難しそうな顔をした。
「なんです、軍曹?」
「いや、他の小隊と比べてそんなに高性能な装備を手に入れたとなると、ソリッドのやつが面倒なミッションばかり持ち込みそうに思わないか?」
「……確かに」
「俺は、無駄に死亡率の高そうなミッションばかりに駆り立てられるのは御免だぞ」
「しかし、装備部に返却したら整備の過程で絶対バレますぜ?」
「トゲトゲの装備としておけばいいではないか」
リンが一緒に出されていた軽食を頬張りながらそう言った。
「んー、まあ、個人装備だから特に装備部に預ける義務はないんだが……」
バイアムの組織上、そこで整備を行うことで、消耗品の一括購入による低コスト化を図っていたりするのだ。
個々人が勝手なことを始めてしまうと、そういった構造が崩れることになる。マックス達の小隊だけなら大きな問題にはならないだろうが、前例を作ることをソリッドは嫌がるだろう。
「そういえば、ぐんそー。ちっこい縮退炉はないのか?」
「ちっこいって、どれくらいの?」
「あのうぉーかーとやらに乗るくらいのだが」
「お前、まさか……」
縮退炉付きのウォーカーで魔導回路を使いまくりというのは、確かに凄い。凄いのだが――
「だが、そいつはさすがに無理だな」
なにしろ縮退炉は本来宇宙空間専用だ。そもそもそれを小さくしようという発想が普通はないのだ。
そうすることに命を懸けていたらしい、アルミテージ社はすでにない。同じようなことを考えるメーカーは、おそらく皆無だろう。
「むー、そうか」
そういうとリンは何かを考えこむように腕を組んで、難しい顔をした。
「まあそこいらは、報告時にうまいこと言っとくさ。宇宙空間で使うために改修したから整備はこっちでやるとかな。何か理由があればソリッドも見逃してくれるだろ」
リンが魔改造したウォーカーは、そもそも保存の魔法とか言うふざけた魔法のせいで、整備の必要がない。
エナジーパックの残量まで元に戻った時は目をむいたが、必要な魔力量もそれなりのようで、常時はオフで、帰還時だけトゲトゲに繋いでオンにするといった運用をしていた。
もっともAIの学習結果だけは、魔法発動前に外部に移して、発動後に書き戻してやらなければ、いっこうに成長しない羽目に陥るのだが。
「それからな、ショート」
「へ?」
「うちの小隊は、現場で死ぬことは許さんからな」
「サー、イエス、サー!」
マックスが殺気を込めて睨むと、直立不動で敬礼したショートがそう言った。
それを見た小隊の面々は、ひとしきり笑い合うと、後は自由行動だと解散していった。
「なあ、マックス」
「なんだ? さすがにお前の取り分はないぜ、ギリー」
当たり前だろと苦笑したギリーは、まじめな顔に戻ると心配するように言った。
「お前気前よく払ってたけど、大丈夫なのか?」
「何が?」
「何がって、税金だよ税金」
「は?」
「だってお前、今の様子じゃ、台下からの入金をメルシー商会宛にしたんだろ?」
「ああ、まあな。俺個人が受け取るといろいろあるから」
「なら、メルシー商会の儲けから税金を払う必要があるだろうが」
それを聞いてマックスは、何だそんな事かと胸をなでおろした。
「いや、見てただろ? 全員に分配したから利益はゼロだ。なら、税金も不要だろ?」
ギリーは、やっぱりわかってなかったかと言う顔で、大きくため息を吐いた。
「バイアムへの支払いは、リアルタイムの源泉徴収が基本だろ?」
「そうだな」
「なら、徴収した税は支払った側が国に納めなきゃダメだろうが」
「お……おお?」
「いいかマックス。この場合は連中に支払った金からメルシー商会が源泉徴収した税を国に治める必要があるんだよ」
「ちょっとまて! 俺はもう全員に振り込んだ後だぞ?」
「バイアムの源泉は25%固定だから、六人分でぴったり二百万クレジットってところだな」
「はあああ!?」
七十五%の支払いで百万クレジットを支払ったのだから、税引き前の支払いは、133万3333.33クレジットだ。つまり支払うべき税は、六人分で、199万9999.98クレジットになるのだ。
あわてて、メルシー商会の口座を確認したマックスは、口座の金額が、0.02クレジットしか増えていないことに気が付いた。そこには彼とリンの分の200万クレジットが残っていたはずなのに、だ。
「う、うそだろ? じゃあ俺って、タダ働き?!」
「0.02クレジットが残ってて良かったな」
「良くねぇよ! リンに払う金すらねーじゃねーか!」
リンは、マックスを見て嬉しそうに笑うと、彼の膝をポンポンと叩きながら、「ぐんそー。こいつは貸しだな」と言った。
「くっ、厳しいな、リン」
「親しき中にも礼儀ありだぞ? 金のことはきちんとしておかなきゃだめだからな」
「至極もっともな話だが、俺のクレジット口座で借金したやつのセリフとは思えんな」
「そ、それはそれ、これはこれなのだ!」
「そういや、その借金だが、どうする?」
「くそっ、仕方ねぇ、お前の旅費とで相殺だ」
「ま、相殺してやってもいいが、大分足らんな」
「むうっ」
「だがまあ、今回は負けといてやるよ」
カネにうるさいギリーが、あっさりと値引きを認める事態に、マックスは鼻白んだ。
「そう簡単に負けられると、薄気味が悪いんだが」
「なあに、嬢ちゃんには紹介料で儲けさせてもらったからな」
「紹介料?」
「嬢ちゃんがバカ高いメモリサーバーを買っただろ?」
「ま、まさか……」
ギリーはにやりと笑顔を浮かべて、自慢するように言った。
「知ってるか? 紹介料の相場は三パーセントなんだぜ?」
八億クレジットの三パーセントは、二千四百万クレジットだ。
「おまっ! 俺たちの依頼料全額よりも儲けてんじゃねーか!」
「それはそれ、これはこれだ」
****
「ほとぼりが冷めたかどうか、確認してくるぜ」と、ギリーが外出すると、船には、がっくりと肩を落としたマックスと、楽しそうに足をぶらぶらさせているリンが残された。
「お前、元気だね」
「なんだ、ぐんそーは元気がないのか?」
「そりゃまぁ、タダ働きになっちまったからなぁ……」
マックスにもプライドがあるのだ。まさか小隊の連中に今更返せとは言えなかった。
仮に返してもらったところで、バイアムの特別税で支払った税金は戻ってこない。それは、臨時収入に税がかからないのとバーターの関係にあった。
「お金がないから元気がないのか? 金ならあるぞ?」
そう言ってリンは、無記名のチャージ用クレジットを〈倉庫〉から出すと、ラウンジのテーブルの上にどさどさと積み上げた。ぱっと見ただけでも千枚は軽く超えている。
「なっ……って、ああ、メモリサーバーの釣りか」
それなら百万クレジットで、二千二百枚あるはずだ。
「そうだ。やろうか?」
「あほか。そりゃおまえの個人資産だろうが。いい大人がそんなものに頼ってどうすんだ。それはお前が大人になってから自分のために使え」
「金貨なら、まだ使いきれないほどあるぞ?」
不思議そうな顔で、首を傾げるリンを見て、こいつにはちょっと経済的な教育が必要なのではとマックスは心配になった。
「だーかーらー、それはお前のカネで俺のじゃないの」
「むー、面倒な奴だな」
「面倒言うな。そうだ、大きな買い物をするときは、そっちのカードからでもチャージできるから、その時々で必要な金額をチャージして使え」
「ん。分かったぞ」
「でな、ぐんそー」
リンは、『それどころ』と言われたのが、よっぽど気に入らなかったのだろう。元気のないマックスにミラーシールドの説明を始めた。
始めは適当にその話を聞いていたマックスも、あまりの熱心さに、つい聞き入ってしまった。
「だからな、ぐんそー。ミラーシールドというのは、空間の入り口と出口をくっつけたものなのだ」
「空間の入り口と出口をくっつける?」
何を言っているのか全然わからないマックスは、首を傾げるしかなかった。
「仕方ないやつだな。つまりはこういう事なのだ」
リンは、その場でミラーシールドを作り出した。一瞬だけ波打った表面には、マックスとリンの顔が映りこんでいた。
「鏡?」
「いや、そこにいるのはぐんそーそのものだ」
「そのもの? 意味がまるで分からないぞ」
「ぐんそーは馬鹿だな。いいか、ほら」
そう言ってどこからともなくリンが突き出した、いい感じの枝は、その表面に当たって動きを止めた。
「だからなんだよ?」
その行為は、ただ、鏡に向かって枝を押し付けただけにしか見えなかったのだ。
「むー。じゃあ、これを力いっぱい押して動かしてほしいのだ」
「押せばいいのか?」
リンから枝を受け取ると、ただ浮かんでいるだけのように見えるシールドに向かって力を入れて押し付けた。
まるで動かないその盾を見たマックスは、真剣に全力で力を入れてみたが、その盾はピクリとも動かず、枝が歪んで折れただけだった。
「なんだこれは?」
「ミラーシールドだぞ」
そう言って、リンはマックスに、なぜそれが動かないのかを説明した。
「つまり物理的な力は、こちらから入れたと同時に向こうから出てくるから、同じ力で相殺されるって訳か?」
「そうなのだ。あの時のビーム兵器も――」
「自分に向かって跳ね返った攻撃を受けた?」
頷くリンを見て、マックスは感心したように言った。
「はー、まさに鏡ってやつだな」
「違うぞ。鏡の入射角と反射角は、鏡の垂線に対して常に対象だが、ミラーシールドは……ぐんそーに分かりやすく鏡に例えれば、入射角は常に鏡に対して垂直に当たったものとして処理されるのだ」
「それで、撃たれたビームと正確に同じ軌跡を通って開いていたシールドを通過したのか」
「そうだ。しかも距離があったからな、変位もちゃんと計算して補正したのだぞ」
ビームがシールドまでを往復する間に、航宙艦自体が移動している場合、ごくわずかでもシールドの隙間分くらいは移動してしまうかもしれないわけだ。
「すげぇな」
「やっと分かったか!」
リンはやり遂げたという雰囲気を全開にして、胸をそらし、フンスと鼻息を荒くした。
「しかし、それなら、砲の直前にシールドを展開すれば変位の計算とか要らないし、もっと簡単なんじゃないのか?」
「バカだな、ぐんそー。降ってくる無数のビームを跳ね返した方がカッコイイではないか!」
「そこ?!」
まあ、あのシーンは目茶苦茶絵になっていて、ビジネットでも繰り返し放映されていたけれど、まさかそんな理由で面倒な方法を選ぶなどということは、こと作戦上は、どちらかと言えば石橋を叩いて渡るタイプのマックスには考えられなかった。
もしかしてこいつ、あれでも余裕がありまくりなんじゃと呆れたが、まあ大魔導士様らしいからなと考えるのを止めた。
「しかし、向こうから押し返すねぇ……」
マックスは、ミラーシールドを掌で、押してみたが、当然びくともしなかった。
「実はな、ぐんそー。鏡の向こう側の世界に行けないのは、向こう側から同じ力で押し返してくるからなんだぞ?」
「いや、さすがにそれは嘘だろ」
「ダメだなぐんそー、スケさんも言っていたではないか」
そうしてリンは、にっこりと笑って言った。
「信じる者は救われるのだ」
本当は光速で飛んでくるビームを反射するところを外部から観測しても、色が変わる光が一瞬見えるだけな気がしますが、そこはフィクションってことで。
次回は第一部最終話「エピローグ」なのだ!