マックス、帰還中
リン達が、メモリサーバーを受け取って戻って来るとすぐにクリムゾンを出立したマックス達は、全速力で〈ハバククゲート〉ではなく、レーダーで捉えられない空間に向かっていた。
「ノーライアが〈エレミアゲート〉をくぐって、テラバウムに現れるまで、最速で一週間ってところか?」
「〈エゼキエル〉から本気で加速しているなら六日でしょうね」
「クリムゾンからテラバウムは、標準的な速度なら二十日以上かかりますし、全力で飛んでも二週間はかかりますよ」
ゲート間の平均距離は、大体25億キロ~30億キロと言ったところだ。もちろん例外はあるが、光速の1/10で、1日程度の距離に設定されていた。
10G程度の加速度で光速の1/10に到達するためには、約85時間かかる。もちろん減速も同様だ。
つまり移動時間の大きな領域を占めるのは、加速・減速のシーケンスだ。航宙艦の速度性能は、搭載されている慣性制御システムの性能によるところが大きいのだ。
「ノーライアは、八日も待ってくれると思うか?」
「望み薄でしょう。司令官の性格にもよると思いますが……〈エゼキエル〉に駐留している第3師団は、場所柄イケイケが多いと聞きますよ」
「仕方ない、全力でショートワープを利用する。トゲトゲ、利用制限や注意点はあるか?」
「問題ありません。チャージが正常に行われれば、無制限に利用可能です」
それを聞いたカリーナが、心配そうに報告した。
「軍曹。無制限に利用した場合、ゲートでは通過時間が記録されますから、調べられた時にそうとう目立ちますよ」
マックスはそれを聞いて一瞬考えたが、すぐに決断した。
ともかくノーライアの攻撃に間に合わないことには何もできないのだ。
「できれば目立ちたくはなかったが……ま、このさい仕方がないだろ。全力で行くぞ。ただし、計算上光速を超えないように注意しろよ」
カリーナは、その指示に頷くと、細かな準備をしながら軽口を叩いた。
「しかしこれ、〈ハバククゲート〉じゃ、約三億メートルパーセカントスクエアなんて意味不明な加速度が記録されそうですね」
「それって何Gなんだ?」
トゲトゲがその問いに速やかに答えた。
「一秒で光速度に到達した場合、30,570,322.99511Gです」
「三千万G? 笑えるな」
「それを制御できる慣性制御システムがあると聞いたら、宇宙中から商人とスパイが集まってくるだろうよ!」
ギリーのセリフに、カリーナは苦笑しながら、ショートワープの設定を始めた。
連続してそれを行うため、〈ハバクク〉の直前まで航路外を飛び、直前で指定航路に戻る航路を設定する必要があったのだ。
そもそも転移魔法の転移先に何かの物体がある場合、転移された物体はそれに重ならないよう調整されるらしいが、その説明には不安があった。
テラバウム上で人間が転移した場合、それが人間の隣に出現しても大した危険はないだろうが、航宙艦の場合、重ならないというだけではまるで不十分だ。ものすごく近くに出現したりしたら必ず大事故になるだろう。
しかも今回はこちらの加速度がほぼゼロだ。相手は場合によっては十分の一光速、つまり一秒で三万キロメートルを移動する速度で動いている。出現位置が三万キロ離れていても、次の瞬間には衝突するかもしれなかった。
そのため、マックス達はなるべくメインの航路外を航行することにしたのだ。
「設定完了。リアルで航行に利用すると、なかなか緊張感がありますね、これ……」
「心配するな、もしも何かにぶつかったとしたら、全員なにも気が付かないうちにこの世とおさらばさ」
「実に、心温まるお話をどうも」
設定の完了を受けて、フェリシアがチャージを開始した。
「魔力キャパシタ1~24チャージ――あ、あれ?」
「どうした?」
「軍曹、魔力キャパシタのチャージ速度と、数が――」
フェリシアの目の前で、49以降のキャパシタにも同時にチャージされていき、96で完全にチャージが終了した。
「――来る時の倍になってます?!」
「トゲトゲ、どうなってる?」
「当艦は現在、縮退炉3および、魔道キャパシタ96が稼働中です」
「リンの奴か」
そう言えばクリムゾンに来る途中で、ポッペウスを連れてうろうろしていたなと、マックスは思い出した。
しかしバックアップどころか縮退炉を三基も増設していたとは。
「問題ないんだな?」
「動作は良好です、軍曹。ただ、新たに増設していただいたメモリサーバーですが――」
「なんだ?」
「――3つのユニットに障害があります。速やかに交換していただけると助かります」
「さすがに完全なテストまでは無理だったか」
ギリーがうめくようにそう言った。
なにしろ実質1日で組み立てられたものだ。それが動作するだけでも大したものなのだ。さすがは規格品ということだろう。
「当該ユニットが分かるように印をつけておけ。出発後交換してやる」
「アイサー」
「それで、当のリンはどこにいるんだ?」
「食堂でスケさんと茶わん蒸しを食べています」
トゲトゲの報告に、マックスは思わずこけそうになったが、まあ緊張するよりはいいかと思い直した。
「目標テラバウム。限界までショートワープを利用して最速で進む。何が起こるか分からんから、しばらくは注意を怠るなよ」
「「「「「「了解です」」」」」」
「トゲトゲ発進!」
マックスがそう宣言したとたん、そこにあったはずの航宙艦は一瞬で消失した。
****
〈ハバククゲート〉の管制室では、システムが異常航行を知らせるメッセージを点灯させていた。
「セシル、一体なんだって?」
監視員の一人が、そのメッセージを出力させた端末にいた男にそう尋ねた。
セシルはその男の問いに答えようとして情報を表示させると、信じられないと言った様子で固まった。
「なにがあったんだよ?」
「いや、さっき通過した船のデータだけど、平均速度は0.94c(光速の0.94倍)なんだ……」
「そりゃ、速い。視認はほぼ不可能だな。しかしそれだけで異常航行はないだろ」
「それが、通過したゲートエリアが……」
「なんだよ?」
煮え切らない相手の言葉に業を煮やした男は、セシルのモニターを覗き込んだ。
「SLエリア? おいおい、大事故になるだろ、こいつは何を考えてるんだよ! 航宙士免許を取り上げられるぞ?!」
ゲートを通過する航宙艦の速度はまちまちだ。だが、宇宙的スケールで見た場合ゲートは狭い。
速度差が大きいと非常に危険な状況になるため、速度に応じて通過する場所が決められていた。SLエリアは下から2番目に遅い毎秒10キロ前後以下のエリアなのだ。
ちなみに一番遅いのは、そのゲートからスタートする船が潜るSTゲートだが、その領域は非常に狭いため、事実上SLエリアが最も遅い船が通過するエリアだと言っても過言ではない。
そこを0.94cで通過するなどと言うことは、自殺や、下手をするとテロ行為だと断じられてもおかしくなかった。
「警報はこれか?」
「いや」
そう言ってセシルが指差した場所には、その船が通過した速度が表示されていた。
「毎秒9.8キロ……はぁ?」
それは、0.0000327cだ。
クリムゾンからここまで、平均0.94cで飛んできた航宙艦のゲート通過速度がほとんど三万分の一に減速しているなどということがあり得るはずがない。
減速時間を考慮すれば、それまでは光速を超えていたことになりかねないからだ。
「いや、故障……ってーか、いくらなんでもどっかの計測ミスだろ、こいつは」
「だ、だよな!」
彼らはその記録をエラーだと考え、計測失敗と書き換えて、異常警報フラグを消去した。
そして、その馬鹿げたエラーに気を取られた結果、その船がクリムゾンから出発していたことは完全に見落とされていた。
その後、すべてのゲートで同じようなやりとりが行われ、トゲトゲの通過はエラーと見なされた。
そうして、異常航行を知らせるリストにはまったく掲載されなかったのだ。
****
「どうしたスケさん」
「いえ、本当にこれでよかったのかなと……」
「ん? 茶わん蒸しは、相変わらずんまいぞ?」
リンはスプーンでそれを掬うと、満足そうに口に入れた。
「違いますよ。マックスさんたちを本当に巻き込んでよかったのかなと思ったんです」
なにしろ相手は、分かっているだけでもノーライアの中隊だ。冷静に考えなくても貨物船一隻でどうこうできるようなレベルの話ではないはずだ。
自分がクレリアのために犠牲になるのは構わないが、勝ち目のない戦いに無関係な人たちを巻き込むのは本意ではなかった。
「ちゃんと、ぐんそーが引き受けたのだろ?」
「ええ、まあ」
「なら、大丈夫だ」
リンは、茶わん蒸しの底に転がっている、一センチほどの黄色い粒を見つけると、眉根を寄せた。
「うう。これはちょっとむにょっとしてて、へんな味で苦手なのだ」
「信じてるんですね」
「何を?」
黄色い粒をつんつんとスプーンの先でつつきながら、リンは視線も合わせずに訊いた。
「軍曹を」
「んー?」
リンは顔を上げながら、スプーンで掬い上げた黄色い粒を、さりげなく器の蓋の裏に隠した。どうやら、嫌いなものを収納するのは嫌らしい。
「あれはやるときはやる男だぞ」
リンはフンスと鼻息を荒くして、スプーンを振り振り自慢した。なぜリンが誇らしげなのかは分からないが。
「なにしろ私を助けようとしたときは、脇腹に穴が開いて、足が取れてたからな」
「ええ?」
それって線の内側なのか?と、ポッペウスは顔をひきつらせた。
しかし、今のマックスの足はどう見ても義足だとは思えない。クラウン級アンドロイド並みの技術を使えば本物そっくりに作れるかもしれないが、マックスとリンが出会ったのはフリゲートが落ちた日だと聞いている。
そんな大けがを負っていたのでは、いまだに病院のベッドの上だろうし、いくらリハビリを頑張ったのだとしても、さすがに違和感くらいはあるはずだ。そもそもそんな義足が、突然手に入ること自体ありえない。
「まさか……」
「どうした?」
「リンさんって、マックスさんとナエリアル平原で出会ったんですよね?」
「そうだぞ」
それまで一体何をしていたのかと、ポッペウスは訊きたかった。しかし、訊くのが恐ろしい気もしていたのだ。
何しろ、以前それに近いことを訊いたとき、彼女は「寝ていた」と言ったのだ。その時は、詮索されたくない何かがあるのだろうかと思い、それ以上訊かなかったが……
常識外れの船、常識外れの力――そして、「寝ていた」。
「まさか、ロマリアの遺産って……」
「ん?」
ポッペウスの目の前で、それが、二つ目の銀杏を蓋の裏に隠そうとしていた。
****
「それで、軍曹。一体どうするんです?」
「どうって……状況を把握しないことには何にも分からないだろ」
現在分かっていることは、テラバウムに向かってノーライアの一個中隊が進軍しているという事だけだ。
ゲート周辺で通常航行をしている間に、ゲートを介して得られた情報によると、ノーライアは中央協議会の連絡に対して、宙域とナエリアル平原で墜ちたフリゲートの調査と回答したらしい。
そんな調査に一個中隊でやってきた理由を問いただしても、ノーライアはそれを無視して、一路テラバウムに向かっていた。
テラバウムでは、その真の目的が分からずに戦々恐々としていて、当事国のイシュールとクレリア、念のためにユールにも説明を求める聴聞会が開かれるようだった。
「それで、連中何処まで来てるって?」
「そろそろ〈イザヤ〉だそうです」
「間に合うか?」
「このままのペースだと、1日未満の遅延で追いつきそうですが、向こうも相当飛ばしてるみたいですから……」
「到着していきなり発砲したりはしないだろ?」
「うーん。相手はエゼキエル駐留艦隊(ノーライア第1方面軍第3師団)ですからねぇ……司令官のファースタル・ミローシュは脳筋って話ですよ?」
「ミローシュ? どっかで……」
マックスが首をひねると、トゲトゲがそれを補足した。
「先日資材化した分隊旗艦の艦長がミローシュです」
「ああ!」
「もしかして親戚かなにかか?」
「可能性はありますね」
「かたき討ちかよ」
「どうやら、有無を言わさない砲撃もありそうじゃないですか?」
「いやいやいやいや、いくらかたき討ちめいていると言ったって、師団の司令官が中隊を率いてやってきたりはしないだろ。それに、誰が来たって、まずは話くらいするはずだ。分隊の消失にテラバウムが関わっているかどうかなんて分かんないだろうが」
「振り上げたこぶしが下ろせれば、場所はどこでもいいって人もいますから」
「そんな奴がトップにいるのかよ!?」
脳筋は現場の部隊だけにしておけよと悪態をついたマックスだったが、今更どうにもならなかった。
「ともかく、最初はこっそりと様子見だ。だが、それでも地上が攻撃されそうなシチュエーションになった場合は――」
マックスは、小隊の面々に作戦の概要を話したが、それは作戦などと言う高尚なものではなかった。
「本気ですか、軍曹?!」
「ま、世界はヒーローを求めてやまないってところかな」
「いや、ヒーローって……」
ことは一国家の存亡にかかわるかもしれない話なのだ。
それを星間ムービーもかくやと言わんばかりの、物語に仕立て上げるというのは――
「台下はそれで納得されているのか?」
一緒に話を聞いていたギリーが、腕組みを説いてそう訊いた。
「あー、台下には話していない」
「はぁ?」
「いや、話すと嫌がるかなと」
「嫌がるかな?」
そう言う問題かよと、ギリーは眉根を寄せたが、マックスはそれを受け流した。
「ギリーも台下には話すなよ」
「うーむ……」
「航宙艦いらないのか?」
「ぬな?! お前、それは卑怯ってやつでは?!」
「信仰が試される時だなぁ?」
マックスがニヤニヤ顔でそう煽った。
ギリーは、その顔を一発殴ってやりたい気分で「分かったよ」と言った。
「航宙艦はあきらめ――」
「なに?!」
まさか、ギリーがそんな結論に到達すると思っていなかったマックスは、信仰と言うものを舐めていたかと、大いに焦った。
「――るわけないだろうが! 地獄に落ちやがれ!」
次回「マックス、火中の栗を拾う」 とうとう戦闘が始まるのだ!




