マックス、ぺろんする
「ふわぁあああ」
大きな欠伸をして、ベッドの端っこで目覚めたマックスは、その部屋を見回した。
結構な格式のあるホテルの、結構な格式のあるスイートは、結構な格式で朝の光を受け止めていた。
リンは相変わらず、マックスが寝ていたベッドの真ん中で、大の字になって、ぽりぽりとお腹を書きながら可愛いいびきをかいていた。
昨日の帰り、リンに向かって、「これでお前も、ちょっとした資産家だな」と言ったら、「資産家っぽいホテルに泊まるのだ!」と言い出したのだ。
まだクレジットを手にしたわけでもないのに贅沢をするのはどうかと思ったが、たまにはリンの我侭に付き合ってやるかと、誰もが知っている格式あるホテルに飛び込みでチェックインした。
おかげでがっつりデポジットを取られてちょっとイラっとしたが、それでもちゃんと希望に合わせてそれなりに高額の部屋を用意してくれたのだから、飛び込みにしてはまともな扱いかと気を取り直した。
「こいつはすげえ部屋だな。最初に吹き飛ばして泊まれなかったことへの罪滅ぼしか?」
マックスはそう嘯いたが、リンに言わせればあれはマックスが悪いのだから罪滅ぼしもくそもないだろう。
端っことは言え、体を優しく受け止める最高級のマットレスは、まるで魔法のように疲れを癒やしてくれていた。
「さすがは一泊8500クレジットの部屋ってところか」
マックスが自前で泊まるホテルは、大抵が150クレジット以下だ。それと比べれば大違いのアメニティに、金持ち連中が安宿に泊まらない訳だぜと、妙な納得をしながら、部屋の受話器を上げてルームサービスを注文した。
今更数百クレジットの支払いが追加されたからと言って、何が変わるという訳でもないだろう。
受話器の向こうでは、受付がこちらの注文を復唱していた。
機器でオーダーした方が合理的だとは思うが、無駄に金のかかったホテルでは、未だに人が対応してくれるのだ。フレキシビリティの重視と言うやつだろう。
30分後の朝食の注文を終えたマックスは、リンの丸出しのおなかにシーツを掛けると、伸びをしながらシャワールームへと向かって行った。
「ま、渡りに船っちゃー、船だったよな」
頭からシャワーを浴びながら、昨日のやり取りを思い出していたマックスはそう思った。
多少足元を見られたとはいえ、一気に千枚も換金してくれるところはそうそうないだろう。さすがは宇宙有数の電子部品商だけのことはある。きっと金持ちの知り合いが沢山いて、あれをバカ高い値段で捌くに違いない。
シャワーを止めて、ふんわり高そうなバスタオルを取り上げ、頭をガシガシと拭きながらパウダールームへ足を踏み出した時、顔を洗いに来たリンと鉢合わせした。
マックスの体を覆うべきバスタオルは、髪の毛の水分を吸うのに使われていた。つまりマックスの息子は、ぺろんと顔を出したままだった。
「にょ、にょえええええ?!」
「う、うおおおおお!」
慌てて左手で股間を隠したマックスは、「めがーめがーくさるー」とふらふらしているリンを見ながら、テラバウムの惨状を思い出して、右手を突き出し、彼女を落ち着かせようとした。
「おい、落ち着けリン! ここはハロー砦のホテルよりも遥かに高けーんだからな! 吹き飛ばすのはよせよ! な! な!」
その時部屋のドアにノックの音が響いていたが、大慌ての二人はそれに気が付かなかった。
リンがパウダールームからふらふらと出て行くのに合わせて、マックスが、魔法を使わさないようにとそれを追いかけ、「OK! ――いいから、落ち着け!」と叫んだのを入室許可と勘違いした管理AIがドアのカギを開けた。
「え?」
朝食のワゴンを運んできたページボーイが、室内を見て固まった。
そこでは、素っ裸の男が、少女を追い回していたのだ。
「え?」
マックスは入り口を振り返って、目を丸くしているボーイを見た。
「ええ?! し、失礼しました!」
そう言って、彼はセッティングもせずに急いで廊下に戻りドアを閉めた。
「や、やべっ?!」
子どもの虐待はれっきとした犯罪だ。それが性的虐待ともなると、一体何年ぶち込まれるか分かったものではないのだ。
マックスは必死にドアへ駆け寄ると、それを開けて廊下へと首を突き出して、ボーイの姿を探した。
その時、間が悪く向かいの部屋のドアが開いて、年配のご婦人が出てきた。彼女は、彼の姿を見た瞬間、大きく目を見開くと慌てて部屋へと引き返した。
彼はまだ何も着ていなかったのだ。
「おい、ちょっと待て、誤解! 誤解だ!」
「おおー、この果物はいいものだな!」
焦りまくるマックスを尻目に、いい匂いに誘われてワゴンを見つけたリンは、それを部屋に引っ張り込んで、我関せずと、その上に乗っていた朝食を賞味していた。
****
「ううう。あれは絶対変態を見る目だった……」
あの後、遠回しにこってりとホテル側に絞られたマックスは、チェックアウト時に感じたフロントの冷たい視線を思い出して肩を落としていた。
「まあまあぐんそー。世の中は上手くいくことばかりではないからな?」
「そりゃそうだけどよ……って、半分はお前のせいだろ?!」
「違うな。あんなところで、ぐんそーがぺろんしてるのがいけないのだ」
「いや、ぺろんってなぁ……」
「下を向いていても始まらん。ほら、今日もいい天気ではないか!」
「天候調整されてるんだから、当たり前だろ」
マックスはとぼとぼと、今日会談が行われる予定だと連絡のあった政庁のビルを目指して歩いていた。
そこのロビーで、サージ達と落ち合う予定だった。
****
『こちら、ノーライア帝国軍テラバウム方面分隊旗艦セレスティア艦長ミローシュだ、今すぐ停船して――うわぁああ!』
「……なんだこれは?」
〈エゼキエルゲート〉では、第3師団長のファースタル・ミローシュが、弟で末っ子のフォーシー・ミローシュが被ったであろう不幸の映像を見て、額に青筋を立てていた。
ノーライア帝国第3師団は、〈エゼキエル〉に駐留している師団だ。テラバウム方面分隊は、独立した特殊な分隊だったが、編成はこの師団で行われていた。
ファースタルはこの師団の師団長だったが、身分がその立場を後押しした面が強く、本人の能力はそこそこだったが勘気が強い傾向があって、部下達からは敬遠されていた。
「停船させようとしたのはどこの船だ?」
彼の怒りのオーラにびくつきながら、報告官はその名を告げた。
「実際に停船させようとした対象は定かではありませんが、命令は、メルシー商会所属、C-CS-0238167-TOGE×2の拿捕でした」
「C-CS? 貨物船だと?」
フォーシーは優秀な男だった、ましてや相手が貨物船で、彼の乗船していたのは最新鋭の重巡だ。そう簡単にやられるはずがない。
「相手が何か汚い手を使ったに違いない!」
「し、しかし、相手との距離は七光秒と報告されています。何をして来ようとも――」
「報告官」
怒りの衝動がこもった重い声で官職を呼ばれた彼は、思わず言葉を止めた。
「私は、相手――きっと赤鼻の連中だろう――が、なにか姑息な手段を使ったに違いないと言ったのだ」
「はっ! ご明察恐れ入ります!」
「つまり君はそう具申する訳だな?」
「は?」
報告官の男は、はめられたと感じたが時すでに遅かった。
能力でここまで登って来たのではないとはいえ、ファースタルは、貴族界の泳ぎ方を熟知していたのだ。
「丁度、我々にこの件の調査依頼が舞い込んだ。分隊を編成した第4大隊から、1中隊を出撃させろ」
「本来なら2大隊程度の規模で蹂躙してやりたいところだが、上は赤鼻どもを刺激するなとのことだ」
師団長は忌々しそうにこぶしを握り締めたが、すぐにそれを開くと、連絡官に向かって続けた。
「古臭い時代にしがみついた妄執の生き残りどもが、輝かしい我々に要求するなどという勘違いも正さねばならんが、イシュールの連中にはまだ利用価値があるとの仰せだ」
ファースタルは立ち上がると、後ろ手に組んだまま左右へ数歩歩を進めてから立ち止まって、向こうを向いたまま尋ねた。
「そのメルシー商会の船とやらは、教皇を?」
「はっ、教皇庁の依頼でカーマインへ飛んだものと思われます」
「ならば、思い知らさねばならんな。たかがフリゲートを一隻墜としたくらいでいい気になりおって!」
「し、しかし、命令は調査です。勝手にテラバウムの国家に侵攻したりしたら……しかも相手は、星間宗教の本拠地ですよ!」
彼はくるりと振り返ると、連絡官をまるで虫けらを見るような冷たい目で見降ろしながら静かな声で言った。
「それは我が弟の命よりも重いのかね?」
「えっ……」
重いに決まってるだろうと連絡官は思ったが、それを口に出した瞬間、首と胴が物理的に離れそうな威圧を浴びて、押し黙らされた。
「愚民どもには躾が必要だろう?」
連絡官は青い顔で、額に汗を浮かべながら仕方なく頷いた。
「君の具申は良く分かった。なあに、悪いようにはしない」
薄く笑ってそう言う師団長を見ながら、それは結果が上手く行ったらだろうが! と連絡官は内心憤ったが、もはやどうにもならなかった。
「第4大隊に連絡! 一中隊を持ってテラバウムに侵攻せよ!」
「し、侵攻?!」
連絡官の男は目の前が暗くなるような錯覚にとらわれた。
****
「そんな!」
それほど広くない会議室の中に、ポッペウスの叫び声が響いた。
カーマイン共和国に助力を頼むため、ここを訪れた彼は、現在政庁の一室で、秘密裏に外務大臣と会談していた。
「では、我が国の民が虐げられるのを傍観するということですか?!」
「台下、我々は国家間の紛争には介入することができますが、その国の内部にまでそれを行ってしまっては、内政干渉になってしまうのです」
カーマインの外務大臣は、仕立ての良いダブルのスーツに身を包んだ恰幅の良い男だった。
彼は仕方がなさそうに、肩をすくめつつ、少年のような会談相手に説明した。
「また二つの宗教間の争いに介入することは、政教分離の観点からも望ましくありません」
「バカな……」
ポッペウスは、このままだとイシュールを介してノーライア軍にクレリアが蹂躙されると訴えてはみたが、それはテラバウムの中央協議会が何とかするべき問題だと相手にしてもらえなかった。
中央協議会にノーライアと渡り合う力がないからここまでやってきたポッペウスは、そのことを力説した。
「しかし、それならば、テラバウム中央協議会からの依頼である必要があるのです。台下はその委任状をお持ちですか?」
そう言われてしまえば、その通りだ。
ポッペウスは、宰相たちの動きから直接マックス達を頼って出発してしまったが、本来なら、中央協議会に申し立てを行って、そこからカーマインへ働きかけるべきだったのだ。
もっともそんな手続きを踏んでいたら、カーマインとの話し合いが始まる前に、クレリアは蹂躙されているかもしれないが。
「もっとも、これは建前ですがね」
「え?」
「先日、ノーライア帝国の中隊レベルの艦隊が〈エゼキエルゲート〉から、〈エレミアゲート〉に向かって進軍を開始しました」
「それは……」
「もしもここで台下の要請を受け入れ、わが軍を〈エレミアゲート〉からテラバウム方面に移動させた場合、周囲のゲート付近にある艦隊をエレミアへ移動させる必要がありますが、それは不要にノーライアを刺激することになり、場合によっては全面的な争いに発展する可能性があるのです」
外務大臣は渋い顔で、机の上に乗りだし、両手を組み合わせた。
「我々の国民を、こう言っては何ですが辺境の惑星内にある一国家を守るために、全面的な戦争に引きずり込むようなことは……できないのです」
そうしてこの戦いは、極論してしまえば宗教戦争に行きつくのだ。
それを終わらせることがいかに難しいかは、奇しくも聖地を巡る争いが、雄弁に物語っていた。




