マックス、逃亡する
「はー、何とかなったか?」
救出したサープラスを〈イザヤゲート〉のガードの連中に引き渡し、状況を報告した後、速攻でトゲトゲは〈ホセアゲート〉に向かって出発した。
連絡を受けたノーライアの大使館員がお礼をしたいと足止めを要請してきたが、マックス達はそれを急いでいますからの一言で振り切ったのだ。
遅れること数分、ノーライアのイザヤ駐留艦隊の船が追いかけて来たようだったが、マックス達はショートワープを数回行って、それを置き去りにした。
テラバウムの重力加速度Gは、9.8m/s2だ。人間の体が耐えられる範囲で常時5Gの加速を行うことができたとしても、光速に到達するには1700時間が必要になる。
現代では慣性制御の恩恵を受けて、ずっとましになっているとは言え、それでもそれなりの時間はかかるわけで、停止状態からの数光秒の先行は、通常なら決して追いつけないアドバンテージになるだろう。
そうしてこのまま加速していけば、ノーライアが想像している時間よりもずっと早く、各ゲートを潜り抜けられるはずだ。
つまりそれは、ノーライアがマックス達を捕捉できない可能性が高いということだった。
そして〈エレミアゲート〉を潜ってしまえば、そこから先はカーマイン共和国の勢力範囲だ。いかにノーライアと言えども艦隊を侵入させるわけにはいかないだろう。
一安心と言ったように、深い息を吐くマックスに、カリーナが報告した。
「軍曹、イザヤで停泊してしまったため、加速のやり直しで到着日時に大きな影響が出そうです」
五日も早く出て来たのに、途中で加速を止めただけで到着時間に大きな影響が出るとは、宇宙は広くて面倒くさいなとマックスは頭を掻いた。
リンに約束した二日も確保しなければならないが、あれはまあこの航海中とは言っていないと開き直ることもできるだろう。後が怖いし、バックアップなしの状態も怖いが。
「まあ、仕方がないな。人目のないところでショートワープを積極的に挟みつつ、なるべく急いで今度は絡まれないようにしようぜ」
「了解です。いや、ホント便利ですね、これ」
「まあな。これだけ便利だと、何かのペナルティがありそうな気がして怖いけどな」
話を聞こうにも、リンはここのところ、忙しそうにポッペウスを連れて船内をうろうろしていて、今もブリッジにいない。
きっと何か妙な改造をしているのだろうが、それを見たポッペウスが、間違った航宙艦観を植え付けられそうで、ついでにそれもちょっと怖かった。
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「見失っただと?」
サープラスを救出したとされている船は貨物船だ。それが数分間遅れて出たとはいえ我々の艦を振り切るというのは、一体どういう事なのか、駐留艦隊の司令官は首を傾げた。
「追わせたのは、足の遅い船だったのか?」
「いえ、ゼフィロスとリールスです」
「どちらも高速駆逐艦ではないか! それで見失った? 一体、どんな訓練をしてきたのだ?!」
いくら何でも軍の誇る高速駆逐艦が、貨物船に振り切られることなどあるはずがない。
見失ったのは、乗組員の練度が低かったからで、追い越してもそれに気が付かなかったからだと司令官は考えていた。
突然消えた分隊の生き残りに付いて本国に報告を入れなければならないのだが、状況も理由も、詳細がまるで分からないというのが報告をためらわせる大きな要因だった。
サープラスの報告は、どうにも要領を得なかった。
彼の言っていることをもっとも現実的に解釈した場合、分隊から大部分の戦闘艦が離脱して不意を突くことで旗艦と補給艦を破壊し逃げ出した、だろうか。
しかし、フレンドリーファイヤーを防ぐためのロックを外すのは、なかなか面倒な手続きが必要だ。そんなことを旗艦に隠れながら実行することは難しいだろう。
残された可能性は、大艦隊に不意を突かれて殲滅されたか、そうでなければ、臨検を行おうとした船に七光秒先から一瞬で艦隊ごと葬られたかだが――
「ありえんな……」
常識的には、そんなことがありうるはずがなかった。
艦隊全員がグルで、狂言をでっちあげて軍を脱走したと考える方が、まだしもと言ったところだ。
テラバウムにいる連絡艇が、最後に受け取った通信も送られてきてはいたが、それでも何が起こったのかはまるで分らなかった。
本国がどうするのかは分からないが、おそらく最初の調査はうちの艦隊に命じられるだろう。
救出した艦の証言を得られなかったのは残念だが、調査を行えば何があったかくらいは分かるだろう。
仮にも分隊規模で、場所もはっきりとしているのだ。戦闘があったとしたら、その残骸くらいは残っているはずだし、発見もできるだろう。
司令官は、たるんでいるゼフィロスとリールスの乗組員に特別訓練を施すべく、参謀に連絡した。
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「変な船がある?」
ローズ星系までの道のりで最後の大ゲートにあたる、〈バルクゲート〉に駐留するカーマインの艦隊の副司令官は、部下からの定例報告を受けていた。
「はあ、なんといいますか、各ゲートの通過時間がおかしいんです」
「おかしい?」
「異常に速いと言いますか……遡って調査してみたのですが、特に〈イザヤ〉ー〈ホセア〉間は、軍の最新の高速巡洋艦でも不可能な――」
「ん? 確かに速いが、テラバウムの出発ならば不可能と言うほどではないだろう?」
提出された資料に目を通した副司令官は、最新鋭の高速巡洋艦が全力で飛べばひねり出せそうな通過時間を見ながらそう言った。
「テラバウムから加速してくればそうかもしれませんが、その船はイザヤで一度停船してるんです」
「停船?」
通過時間がイザヤを出港した時間だと考えれば、そのタイムは明らかに異常だった。
「ノーライアの新鋭高速艦か?」
なにか、慣性制御で驚異的なブレイクスルーでも起こったのだろうか。そうとでも考えなければこんなタイムを叩きだす加速に乗組員が耐えられるとは思えなかった。
もしもそうだとしたら、相当な脅威になることは間違いない。
「それが……区分は貨物船となっています」
「は?」
軍艦はおろか、レース用の艦艇でも、どこかの実験艦でも、個人でスピードを楽しむための特注の船でもなく、貨物船?
貨物船と言えば荷物を運ぶ船だ。速いに越したことはないが、積載量と速度は一般的には二律背反の関係がある。両方を維持するなどコストの無駄だし、一般の貨物船なら当然選択されるべきは積載量。つまりは鈍重な船の代名詞ともいえる船だった。
「高速巡洋艦よりもはるかに速い貨物船?」
「記録だけを見ればその通りです」
そう説明されれば、確かに異様な船だ。
「可能性があるとしたら、どこかの実験艦や擬装艦ですが、もしもそうだとしたら、こんな目立つことをする意味が分かりません」
確かに技術を喧伝するつもりでもない限り、ゲートをくぐる意味がない。それどころか、こうして注目されることからも分かる通り、害にしかならないだろう。
「他の可能性は?」
「天才航宙士が、旧態依然のカビが生えたスイングバイをあちこちで利用して、誰も思いつかなかった経路で飛んだ、とかでしょうか」
副司令官は、その途方もないアイデアと、天才航宙士について興味を持った。
船舶IDが判れば、現在の航宙士の名前は登録されているため、検索することができるのだ。
「その船の航宙士は?」
「登録では、カリーナ・クラヴィスとなっています」
「知らんな」
この世界に名の知れた航宙士は何人もいるが、クラヴィスなんて名前は聞いたことがなかった。しかも、名前だけ見れば女性のようだ。
「その船はなぜイザヤに入港を?」
通常〈イザヤゲート〉を〈ホセア〉に向かって通過する船は、テラバウムを出て他の星域を目指す船だ。〈イザヤ〉で停船するのは各国の駐留艦隊関係者や、ゲートを維持するための人員を運ぶ船くらいなものだ。
そうして、そういった船は、ゲートの安全保障上決まった船が使われる。通常なら、この船が〈イザヤゲート〉に立ち寄る意味はまるでないのだ。
「駐在員の報告では、テラバウムと〈イザヤ〉の間の宙域で遭難したノーライア帝国補給艦の乗組員を救助して、〈イザヤ〉で引き渡したということです」
「ノーライアの補給艦がそんな場所で遭難? 他にそれをにおわせる情報はあるか?」
「いえ、そんな情報はまったく。可能性があるとしたら、何十日か前に分隊規模の艦隊がテラバウムに向かって、戻ってきていません。目的は――」
報告官はそれを調べるために、いくつかの操作を行った。
「――納品?」
「なんだそれは? 分隊規模で商船かなにかを護衛していたという事か?」
「それは分かりません」
「ふーむ。その艦隊に何かがあったという事か?」
もしもそれが襲われていて、しかもそれが報告されていないとなると、なにか秘密裏に重要なものを運んでいた可能性が高い。
「念のために、中央協議会へ問い合わせておけ」
「分かりました」
「それで、問題の船だが」
「管制との通信によると、目的地はクリムゾンです。この勢いですと、数日後にはクリムゾンに到着します」
「時間がおかしいというだけで、特に手配などはされていないんだな?」
「問題ありません」
「なら、状況と船舶IDだけクリムゾンに連絡しておけ。後は向こうに任せよう」
「了解です」




