マックス、登場する
「しっかし、こんな紛争いつまでやってんのかね?」
殆ど黒に見える濃い茶色の髪を長めのクルーカットに整えたベテランの風格を漂わせ始めている男が、美味いとは言えないがカロリーだけはきちんと含まれているレーションを食べ終えると、その容器をゴミ箱に向かって放り投げた。その容器を受け取ったゴミ箱は、静かな振動音を立ててそれを分解した。
「マックス・リード軍曹。君は我々の飯の種を否定するのかね?」
少尉の記章をつけた、背の低い体の分厚い男がしかつめらしくそう言った後、カエルのように潰れた顔でにやりと笑った。
「それも明後日までの辛抱さ。二日後には、イシュールに雇われたバーサカリームの連中が、ここを占領する番だからな」
「けっ」
リード軍曹と呼ばれた男には、それも気に入らないことのひとつだった。
この場所――ナエリアル平原――は、八千年前に、この星テラバウムを支配していたロマリア王国の首都があったとされる場所だ。
そして現在、そこは三つの星間宗教の聖地として、三つの宗教国家が争う、テラバウムきっての紛争地帯となっているのだ。
「星の海を船が飛び回るような時代に、何が聖地だよ」
「人は宇宙に進出すればするほど、心のよりどころを強く求めるものさ」
何しろ宇宙は広い。そうして人類は、まだ宇宙へと進出した他の知的生命体との遭遇を果たしていなかった。人類は孤独だったのだ。
したり顔でそう言ったカエル――ゲッコー・ケロゴール少尉――は、にやりと笑うと「だから金になるんだがな」と嘯いた。
マックスも金は好きだったし、それをどこから持ってこようが誰から毟ろうが金には変わりはないとも思っていた。だが気に入らないものは気に入らないのだ。
「平和を願うはずの宗教が、聖地の奪い合いで血を流し合ってるなんて、シャレにもなりゃしねーよ」
結構な額の浄財とやらが、戦争をするための費用に使われているなどと知ったら、信者はどんな顔をするのだろう?
「だから連中は、俺達を雇ってるんだろ?」
現代には、衛星軌道から地上を焼き払うような兵器まで存在していたが、なにしろここは仮にも聖地なのだ。地上に大きな被害を及ぼすような兵器を使用する訳にはいかない事情があった。
そのため、陸戦で場所を奪い合う昔ながらの泥臭い戦場が、この時代に現出することになった。
陸戦には多くの犠牲がつきものだ。
自前の軍で人的被害を出し続けた三国は、国民の不満を緩和するために、バイアム(傭兵が集まってできたクランのようなもの)と呼ばれる連中を大量に雇い入れ始めた。
その結果、ナエリアル平原は傭兵や兵器の見本市と化した。
武器商人の連中が、地上兵器の実験場とばかりに、強力な新兵器を試験導入し始めてから、バイアムにも馬鹿にならない被害が出始めた。
こうなると、バイアムの連中も自衛のためにいろいろなことを考え始める。いくら金を積まれようと死んでしまえばそれっきりだからだ。
彼らは、本国の部隊がほとんどいないのをいいことに、敵対勢力に雇われたバイアムと裏で手を握り、順番にその丘を占拠するように協定を結んだ。
つまり、バイアムたちは、ローテーションで被害なしに成果を上げることにしたのだ。
一度聖地を奪われたとしても、しばらく後には捲土重来、それを奪い返すバイアムに、雇用国としても、あまり強いことを言い出せなかった。
何しろ彼らにそっぽを向かれてしまえば自国の人間を犠牲にしなければならないのだ。過ぎたる犠牲は自らの足元を危うくさせる。
とは言え、聖戦として始めたものを犠牲が多いからなどという理由で、おいそれと止める訳にもいかない。止めてしまえば、今までの犠牲は何だったのかと責任を問われかねないからだ。
ナエリアル平原では、そんなやりとりが、もう二年ほども続いていた。
「俺はもう、こんなクソみたいな現場は飽き飽きだぜ」
マックスが忌々しげに唾を吐くと、理解できないとばかりにカエル顔の少尉が、眉をしかめた。
「楽して稼げるんだ。文句はないだろ?」
総攻撃は、誰もいない場所を狙って弾薬を消費しあう。どうせ本国の軍隊はいないのだ。死体がなかったところで、埋めたとでも言っておけば誰もそれを気にしたりはしなかった。
死なないことが分かっている以上、戦闘自体は気楽なものだ。さすがに流れ弾には注意が必要だったが。
「ぬかせ。古い武器のストックを始末して、濡れ手に粟で儲けてんのはあんたらだけだろ? ケロゴール少尉」
「おいおい、リード軍曹。根も葉もない中傷は見過ごせないぞ?」
あまりに反抗的なマックスの態度に顔をしかめつつ、ケロゴール少尉は、彼のプロフィールを思い出していた。
マクシミリアン・リード軍曹。
親しい者からはマックスと呼ばれる陸戦のエキスパート。経験豊富な優秀な現場指揮官で、共に戦場に立った部下からは例外なく慕われているが上の受けはあまり良くない。その理由は、今しがたのやり取りの通りだ。
少尉には、彼が、金には汚いくせに奇妙な倫理観も併せ持っている、なんとも歪んだ存在に思えた。
軍隊において歪みは放置できない。そろそろ切り時だろうかと、ケロゴールは目を細めた。
露骨に不満を漏らされると、それが伝染して、いつこの美味しい絡繰りが雇い主にばれるとも限らない。こんなに楽に稼げる戦場をそんなことで手放すのは惜しかったのだ。
「軍曹、最前線でそんな愚痴をこぼさないでくださいよ。士気に影響しますから」
上官同士の不毛なやり取りが危険な水域に達したことを察して、さりげなく口を出したのは、マックス直属の部下であるサージ伍長だ。
ダークブラウンの髪を軍人としてはやや長めのクルーカットに整えた彼は、中肉中背ながらその体は鍛え上げられ、さながら凶器のようなものだったが、それとは裏腹に、人懐こい柔らかな風貌で、他人の懐に滑り込むのが特技だった。
「サージ伍長。愚痴は我々に与えられた権利だぞ」
「権利の行使は、TPOをわきまえてお願いします」
マックスとは軽口を叩きあう、気が置けない関係だ。
そのやりとりを憤然として見ていたケロゴールの耳に、静謐な夜の静寂を切り裂くような鋭い音が聞こえ、ついで何かが爆発したような激しい振動が地面を伝わってきた。
「な、なんだ?」
焦るケロゴールの前で、上を見上げたマックスが平然と言った。
「ありゃ、亜音速巡航ミサイルの飛行音だ。少尉、連中とは本当に話がついてるんでしょうね?」
時刻はちょうど0時を回ったところだ。
ケロゴール少尉は慌てて暗号化無線機にかじりつき、それに数値を打ち込んだ。数回の呼び出し音の後、相手が出ると、こちらが何かを言う前に向こうが勝手にしゃべり始めた。
『よ、悪いなケロゴール。あんたとの付き合いも長かったが、どうやらイシュールの連中に疑念を抱かれたらしくってな。連中、最新のデカブツまで持ち出して出張って来やがった。どうやらバックはノーライアらしいぜ。俺達もまだ死にたくないんで、あんた達との契約はここまでだ。悪く思うなよ』
「お、おい! ダビドフ! ダビドフ!! ふざけてんのか!?」
しかし無線機は沈黙したまま、それきり二度と何かを伝えることはなかった。
空気を切り裂くような音と、爆発音がさらに連続して聞こえてくる。
「どうやら、最低限のルールだけは守ってるようだな」
マックスは着弾している場所を音で判断しながら、そう呟いた。その爆発音は、二日後の攻撃目標に設定されていた無人の塹壕付近から轟いていたのだ。
「それで、少尉。どうするんです?」
すぐにでも行動を開始しなければならないが、目の前にいる上官を差し置いて行動する訳にはいかない。軍と言うのはそういうものなのだ。
「ダビドフの野郎……」
「少尉! 反撃するんですか!」
マックスがそう言った瞬間、またしても大きな揺れが襲ってきた。その振動で我に返ったケロゴールは、「撤退だ!」と叫ぶと、我先にと部屋を出て行った。
「船長が真っ先に逃げ出してどうするんだよ……」
その様子を呆れたように見ていたマックスは、近くで命令を待っていたサージ伍長に指示を飛ばした。上官がいなくなれば彼がここの最高位だ。
「サージ伍長! この状況で寝ているやつはいないと思うが、いたら蹴っ飛ばしてたたき起こせ! ハロー砦まで退くぞ。幸い動けないようなけが人はいない。撤退プランは、コマンドB231-8。すぐに個々の端末で指示書を開いて行動開始だ!」
出来レースが続いた結果、後詰めの連中はほとんどいない。航空戦力の要請をしても期待は薄いだろう。彼らは、二日後のスクランブルに向けて、今ごろは大いに気炎をあげているはずだ。町の酒場で。
「はっ! 軍曹はどうされるのですか?」
「俺? もちろん俺も逃げるさ。だが、なにやらデカブツが投入されているらしいから、そいつをなんとかしないとな。ともかくしんがりは任せておけ」
にやりと不敵に笑ったマックスの顔を見たサージ伍長は、思わず感動したように敬礼した。
いつもはいい加減な人だが、いざと言うときには尊敬できる上官になるのだ。もっとも本人に言わせれば、抜くときは抜くのが長く上手くやるコツなのだと言うことなのだが。
「ご武運を祈ります!」
そう叫んだ彼は、素早く自分がやるべき仕事へと向かって行った。
「さてと」
部隊のメンバーがいなくなった後の塹壕には、ひっきりなしに攻撃されている爆発音が響いていたが、まだしばらくは大丈夫だろう。
「どうせ奪われたり破壊されたりする資材だ。せいぜい有効に活用させてもらいましょ」
そう呟いてもう一度ニヤリと笑ったマックスは、攻撃されているのとは反対側にある資材置き場へと向かって足早に移動し始めた。
コマンドB231ー8は、完全撤退命令だ。すべての部屋のロックは解除され、それぞれが最低限の書類や物資を始末した後撤退を行う。
これがもしもB231-0だった場合は基地そのものを破壊してしまうが、ここは聖地のすぐ傍だ。そんなことを仮にも聖地の奪還が目的だと言ってはばからない雇用国連中が許すはずもなく、撤退は非破壊のものとなっていた。
傭兵同士で出来レースを演じていたここでは、それが、居抜きで施設を利用し合い相手に資材を横流しするのに実に都合が良かったのだ。
それにしても、この紛争は最初からどこかおかしかった。
マックスは陸戦のエキスパートだ。彼の目から見る限り、塹壕は戦術的に優位に立てる位置と言うよりは、ロマリアの遺跡から少し離れた、聖地の丘を守るにしてもやや微妙と思える位置に築かれていた。
三国とも示し合わせたように周辺への攻撃は容赦がなかったし、彼らが言う聖地に直撃する流れ弾も何発かはあったようだが、遺跡への着弾は一度もなかった。
それはまるで、そこに何か大切なものがあるかのようだった。
「本当は聖地なんかどうでもよくて、遺跡のどこかに隠されている、ロマリアのお宝が目的だって噂もあながち間違っちゃいないのかもな」
ロマリアの遺跡が発見されてからすでに何千年もの時間が経過しているとは言っても、宗教三国のにらみ合いは当時からずっと続いていたし、遺跡の調査を行うためには非常に複雑な手続きが必要だった。
盗掘連中はいたかもしれないが、そんなレベルで見つかるものは、とうに何も残されてはいなかっただろう。
紛争地帯と化してからは、そこを支配した国が遠慮なく調査団を送り込んできたが、さすがに何を探しているのかもはっきりしない状況では、現代の科学をもってしてもそれをうまく見つけることができなかった。
大体八千年も前の何かなど、それが本当にあったところで、すでにゴミと化しているはずだ。金銀財宝の類ならなんとかと言ったところかもしれないが、二年間で使われた戦費の方がよっぽど大きそうに思えた。
ともかく、短期間とは言え占領中に各国の学者連中が探し回って見つからないものが、そう簡単に見つかるはずもない。だからマックスはそんなものに期待などしていなかった。
彼の目的は、単に備蓄されている戦闘用の資材であり、簡単に手に入る金目のものだったのだ。
まだ部隊の誰にも知られてはいなかったが、彼は発売されたばかりの小さな亜空間庫の所有者だった。
魔法と科学が混在する文化を築いたこの世界においても、ようやく近年開発されたばかりの商品で、出回る数も僅かしかない逸品だ。
傭兵生活十年目の区切りに、運よく当選した一部屋程度の小さいサイズのそれに、今まで貯めこんだ全財産をつぎ込んだのは、こういう時のためだった。
もしも使うチャンスがなかったところで、転売すれば損はないと計算していたが、契約に十年間の転売を禁止する文言があるのを見たときは一瞬躊躇したものだ。
だが、早速こんなチャンスがやってくるとは、どうやら彼は賭けに勝ったようだった。
「さてさて、金目のものは残ってますかね」
両手をパンと合わせて楽しそうにそう呟いた彼が、期待して開けた扉の奥に置かれていた武器は、ほとんどが型遅れのものばかりだった。
どうせ奪われることが分かっている以上、バイアムの補給部隊は虎の子を持ち出して来たりはしないのだ。
雇い主が支援する武器は別だが、それすらも自分達の倉庫にしまい込んで、型の古いものと差し替える強者も以前はいた。
さすがにそのバイアムは、抜き打ち検査でばれて横領の咎で解散。ついでに賠償まで請求されることになったのだが。
以降、そういうことをする連中は、とても控えめになっていった。それでもなくならないところが、彼らの強かさと言えば強かさだ。
そして稀にとは言え、幸運に見舞われれば、テスト用に提供された各武器メーカーの最新機やテスト機が格納されていることもあるのだ。
彼は攻撃がこちらにやって来るまでの時間を正確に把握しながら、残された資材のうち高価なものや有用なものを、ニマニマしながら自分の亜空間庫に収納していった。